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2007年07月04日

第一回オンブック書評コンテスト入選作


2007年1月から3月までに募集いたしました「第一回オンブック書評コンテスト」より、入選作をご紹介いたします。書影をクリックすると、該当書籍のページへ飛びます。

有らざらん 壱

脳の中の迷宮 by 田尾宏文
book  未完の作品の書評を書くことは、次刊以降の記述にささやかな影響を及ぼすことができるという甘い誘惑と、その対極で書評自体が敗残し「ぞっとする嫌悪」に晒されることを覚悟しなければならない。『有らざらん壱』は、書評を書きたくなる作品である。
 漆の扉を開けると、「黄金のキャベツ」の写真が目に映り、破片のような文章が舞っている。雷鳥が影となって人語を発し、幕末の志士の元に誘う。
 雷鳥、エッチングから抜け出してきた猿公、ヴェールを被ってお出ましになる白の貴婦人、影法師、巫女あやめと巫女くれは、牝の猟犬、露台にすうっと近づいてきた鬼火、森の山彦、ぐるりと馬首をめぐらして嘶く馬…この物の怪たちは何者なのか? 作品が完結したとき、どのような位置を占め、どんな機能を果たすのだろう。  『有らざらん壱』は、FictionにつつまれたFactである。全巻には、いくつのFactが俎上に乗るのだろうか。新たな物の怪は登場するのだろうか。
 登場人物の自在な出し入れ。好奇心の赴くままに渉猟された膨大な史実、輻輳する史実を照合し重ね合わせた解釈…Factのつらなりが表現しているものは、作者の頭脳の働きそのものである。読者は、探索され、摘出され、再構築されたFactに導かれながら、作者の脳の中の迷路にさ迷い込んだことを知る。読んでいる自身をおぼろげな意識で眺めている心地よさを感じる。作者の脳の働きに身をゆだねる名状しがたい浮遊感覚に襲われる。
 猿公や影たちの挿話は、頭脳の迷宮から共有地に放擲する口寄せなのか。

深呼吸宣言2・飢鴉

本という本当は恐ろしいブツの見本 by ワタナベ
book  2006年1月8日のことだ。メールに膨大なデータが送られてきていた。『深呼吸宣言2・飢鴉』(株式会社オンブック)の著者・橘川幸夫さんからだ。「感想を書け」という。
 20歳のときに書いた短歌に、55歳になったご本人が写真をつけ、本にするようだ。本が過去の自分と今の自分の再会場所となってしまった? 本がタイムマシーンになった?
 コピーをとり、その後、通勤電車で長く読み続け、分かったことがある。「感想など書けるわけがない。冗談じゃねえや、怖くてさ」
 部屋の灯をつける前に内鍵を閉め、鉛筆削りに指を入れつつ、都市の沼を凝視している青年が突然、眼前に現れてきたのだ。幾分かは老いただろう本人の手招きで。爾来、簡単に1年以上が過ぎていた。
 私は今年54歳になる。落ち着かない集合住宅の空中生活者を続けてきた。目端が利かず、仕事に恵まれないまま、帰路に呑み屋の縄のれんをくぐろうかどうしようかと逡巡せざるを得ないせこい経済情勢だ。
 そんな間抜けな初老の男が、暴力の悲しさと、衝動の明るさなどに裏打ちされた時代感情を軽く不吉に、重く巧みに語る青年、および35年後には写真家になったご本人を前にして、何からどう語り出せばいいのか。
「そのTシャツの汚れ、どしたの?」「割腹の真似したりボールペンの青Tシャツよりぬけず」「痛かったんじゃあないの…」「未だなまめかし瘡蓋はがせば荒野ひろがる痛みの原型」「うむ。何だか疲れているようだけれど」「疲労すら方法とはならぬ夜明けまえ目的ある行為にくみつつ」「そ、そ、そうか。ところで最近さ、連れションならぬ、連れ自殺が流行っているけれど、未成熟なのかなあ」
 すると、背中を見るために首を断つ青年は、ニヤリとして呟くのだった。「果実の成熟を知らずして語るな腐熟をそして未来を」
 写真家は、すでに消えていた。深夜、私は、湯船に浮かんだ、妹のものではない、紛れもない自分の白い陰毛を眺めつつ、あの青年に何かを伝えられるだろうかと、呆けていた。
「そうだな、若いころ覚えた言葉に倣って言えば、今ここで跳べなければ、よそでも跳べないってか。あっ、よそへも跳べないってか」
 『深呼吸宣言2・飢鴉』が迫ってくるのは、あくまでも今・ここで、混乱を全身で受け止め、いや混乱さえ続々と生み出し、受肉していく姿勢に満ちているからだろう。
 青年は、35年後、本という場所で、なおも突き進もうとする自分と再会することを一瞬でも考えただろうか。この世の、恐ろしくも幸せなシステムを作ってしまうと想起しただろうか。そうだ、恐ろしいことなのだ、後年、自分の言葉の直球を受け止めなければいけないことは。
 読み終わらない本が、今、ここにある。実は誰もがいつか書かざるを得ない本の見本が。
「私と私の間に河あり誰も渡れぬゆえ言葉なげこむ」

ニートという生き方

by 見城 豊
book  ニートに対する関心の多くは「なぜ彼らは働かないのか」という疑問に集約されるだろう。昔から働かない若者はいただろうが、それが百万人にも達する規模で存在すると聞けば「なぜだ」と思わずにはいられない。本書はそんな疑問に対して一つの答えを提示している。
 就職してバリバリ働いているわけでもなく、家で何もせずに暮らしているわけでもない。本書に登場するのはその中間に位置する「半ニート」の若者たちだ。彼らはニートの支援を行うNPO法人が運営する、「仕事体験塾」という場で活動している。飲食、介護、ITなど、多種の仕事を同時に体験できる環境の中で、活動に参加してみたり、距離を置いてみたりしながら過ごしている。著者は仕事体験塾のIT部門を運営しながら、そんな若者たちと日々接し、彼らの葛藤が見えるポジションに立っている。
 ニートたちとの日常的なつながりの中から著者の出した疑問への答えは、「彼らは自己実現の病にかかっている」というものである。彼らは自分を環境に合わせて生きることをせず、自分にあった環境があるべきだ、あるはずだと信じている。完成された自分があると思い込んでいて、それが足かせとなって社会への参画を阻んでいるのだと分析する。
 一方で著者は、そんな若者たちを社会に受け入れるための受け皿が用意されていないことも問題ではないかと、社会の側の問題点を指摘する。若者たちが働かないのは現在の企業に魅力がないからだ、とも言う。階層化され、仕事の細分化が進んだ企業組織の中では希望が見出しづらく、社会的に価値のあることに参画しているという実感が持てないのだという。
 それらの問題の解消方法として、著者は「ゆるやかな器」の形成を提唱する。社会的に価値のある明確なミッションを掲げつつ、参入、離脱が容易で、多種多様な価値観を受け入れることのできる器を社会に多数用意するべきではないかと。
 こうして並べてみると、実はニートの問題はこの社会そのものの問題なのではないかと思えてくる。ここではないどこかには自分にぴったりとあてはまる場所があるはずだ、と思い込んでいたり、今の仕事はこなしているだけで、報酬を得るためにやっているだけで、そんなに価値のあることをしているとは思えない。そんな風に感じて生きている人は、世代、性別を問わず多いのではないだろうか。
 それを解消するには、問題の原因を若者の側だけに押し付けるのではなく、社会の側だけに押し付けるのではなく、著者が示したような、両側の問題点を把握した上で、それを解消するためのアイデアを出し、実践していくという建設的な姿勢が必要になるだろう。
 もはや当たり前のように働きづめになる時代は終わっている。新しい状況にふさわしい社会のありようを模索していくことが、目標を見失って迷走気味なこの社会に必要なふるまいではあるまいか。そのふるまいの一例を本書は示している。

ニートという生き方

by 松山敏和
book  この本は、著者である田尾宏文が現代の社会に見た「希望」と「絶望」に関するレポートではないかと思う。著者は、引きこもりを社会の場に連れ出す支援を行っているNPO法人ニュースタート事務局(以下、NS)で、引きこもりの若者と日常的に接してきた。その体験を基に、ニートの実態とNSの支援活動を詳細に記した本である。
 まずは、希望の方から見てみよう。代表である二神能基は、NSの価値観を次の二つにまとめている。「神様以外の人間はみんな障害者である」「面流を共有し、別々に進んで協力する」。「面流」とは二神の造語で、「点」や「面」を超えるトータルでロングレンジな考え方を指している。そしてここには、現代の日本社会のありように関する二神の批判が良く現れている。戦後の社会は、何よりも組織の生産性が問われた経済優先の社会であった。組織では、役割の明確化とスキルと効率を上げることが求められた。結果的に、自分に直接関わりのないことに興味を失い、どうしても「点」や「線」で考える人々を生み出していった。組織のあり方を含めた社会構造とその中で培われた観念が、ニートや引きこもりの発生に影響を与えているとの認識がここには見られる。
 彼には、おそらく信念があった。「人間は一人で生きていけるものではなく、また生きて行ってはいけないのだ」という信念が。こうした価値観と信念の基にNSは事業を展開する。それは、まさしくソリューション?ビジネスと呼びたくなるようなやり方である。公的支援を当てにすることなく、試行錯誤を重ねながら独力で事業展開を図る。まさに日本におけるソーシャル?エンタープライズの魁ともいえる。
 さて、次は「絶望」のほうであるが、この言葉を使うのは適当ではないかもしれない。著者はとくに絶望しているわけではない。引きこもりに対して適度な距離を保ちながら、過度に内面に立ち入ることを抑制して観察する。読者は、読みながら考える。なぜ、引きこもりは生じるのか。原因は何か。他の人と何が違っているのか。しかし、分からない。著者も教えてはくれない。しかし、彼らは準備をしてから引きこもりに入るようだと言う。外界から過度な情報が入って混乱しないように、心にバリアーを張った後に引きこもりに入るようだと。そのうえで、「やることがない苦痛」か「やりたいことができない苦痛」を引き受ける。そういうものなのかと納得するしかないが、でも良く分からない。きっと安易に問題として整理してはいけないのだろう。
 最終章で、著者はニートたちが、様々な観念(しばしば現実的でない)に縛られ過ぎていると言っている。その観念に疑問も持たず、新たな考え方を求めようともしないことがニートとなる遠因となっているのかもしれない。そうであれば、それは他人事ではなく我々自身の問題でもある。
 現在の社会のありようと自身の生き方を思い巡らす機会を与えてくれる好著である。

ニートという生き方

by 紙谷清子
book  少し読んでみて、「むずかしい」と思った。ニートというものがではなく、この本が、だ。それでも「気になる言葉」がたくさんあったせいか、最後まで読めた。「やることがない苦痛」だったり「彼はいわれたことしかしない」といった言葉に笑ったり、なるほどと思ったりした。ただ、これで「ニートがわかった」というわけではない。なぜか。ひとことで言うと「食い足りない」のだ。
 作者の田尾宏文という人は、ニートの自立支援をしているNPO法人ニュースタート事務局のIT事業部タウンタウンを運営している。それ以上の説明がないために、どんな立場と状況の人が書いたのかは不明だ。書いてあることに対して、作者がどう関係していたのか、あるいは感じたのか、ということもわからない。「私は…」という記述がないのだ。客観的に表現しようとしているところに、ニートへの愛を感じる。しかし、そのためにわかりづらくなってしまった。
 奥歯に何かがはさまったまま、その何かを飲み込むために、ほかのニート本を読んでみた。驚いた、ニートは親に暴力、それもいつ殺してもおかしくないくらいの暴力をふるっているケースが多々あること。さらに、レンタルお姉さん、お兄さんの存在。これもショックだった。こういう仕事が成り立つなんて、という驚き。この人たちは、職業欄にどう書くのだろう。
 地球温暖化解決には、世界から人間がいなくなることが最も手っ取り早い。それと同じで、ニートの解決には戦争でも起すしかない。過激なことを考えてしまった。平和の良さならぬ、平和の悪さに思いを馳せるのも、ニートについて知ったからだ。
 「ほかの同じテーマの本も読みたい、読まなくちゃ」切羽詰まってそう感じた本ははじめてだ。そして他の本も読むことで、本書にあるニートの現実をより理解でき、本書には書いていないニートの現状も知ることができた。その点でも、本書の「こむずかしさ」は、価値ある「こむずかしさ」なのだ。私の失敗を生かせるよう、ほかのニート本との併読をおすすめしたい。いずれにせよ、ニートとは一冊読めばすむ問題ではないのだ。

ニートという生き方

by 河野宏行
book  ニートと聞いてみなさんはどのような想像をするだろうか。なまけもの、不真面目、責任感がない、将来のことを考えていない、ちゃらちゃらしている。そんなイメージがわいてくるのかもしれない。もし、そのような考えが浮かんだのであれば、ニートという生き方を読んでマスコミが流し続けてきた偏見を直してほしい。実際、ニートにはなまけもののような人がいるかもしれないが、ほとんどは違う。礼儀正しく、真面目で、責任感があり、将来のことを考えていない人はいない。しかし、そのような性格でも、ニートになってしまうのは、何かしらの原因が必ずある。それは、どこからともなくくる不安だ。普通に生活する上でニートでない人には感じない不安を敏感に感じてしまうのだ。
 このニートという生き方は、NPO法人ニュースタート事務局が行っている、ニートの社会復帰支援の活動を事細かにリポートしたものだ。ニュースタートはニートの社会復帰支援としてあのうわさのレンタルお姉さんや仕事体験塾やスローワークや福祉コンビニなどの活動をしている。例えば、レンタルお姉さんはどのような活動をしているかというと、家庭の中で自室に閉じこもっている<彼>を外に出そうとすることをやっている。もちろん強制的に外に出すのではなく、<彼>の部屋のドアを叩き、外へ出ようと誘うのだ。これはあまり効果のないように思われるが、ニートは外に出て何かをしたいが、不安によって行動できないので、何度も誘ってみると、<彼>の防衛するのをやめてなぜか一緒に外へ出て行ってしまう。このとき、<彼>にどのような心情の変化があったかはわからないが、自室から外へ出ることは確かだ。ニュースタートは外へ出して終わりではなく、集団生活などを通してニートが感じてしまう不安をなくし、社会復帰の支援をしている。
 この本はニート本人、その親、ニートの支援をしている方々に読んでほしい一冊である。

若き不条理

by 渡邉公代
book  ふ‐じょうり【不条理】
[名・形動]1 筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「―な話」2 実存主義の用語。人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。(Yahoo辞書より引用)
 中学生の主人公「リュウコ」は自分の名前とひびきが嫌いだ。同級生たちとの「ガキの社交辞令」も、母親との会話も、彼女にとっては自分を押し殺して、がまんして、ようやく取り繕って、なんとか過ごす日々。学校の教師に対して敬語をつかう自分を揶揄し、陰口をたたき、無視する同級生達。唯一自分に話しかけてくれるアヤでさえ、影では自分の悪口を言っている。リュウ曰く、小学校5年生くらいから「ガキの社交辞令」の適応が始まる。
 昔は無邪気だったと思い、時が止まればいいのにと大人になる自分に戸惑いと憤りを感じ始める。話の合間の沈黙の空間埋めることができないこと、提供できないことは、現代用語でいうところの「サイテー」にあたる。「まじむかつく」社会に対して、愛するものや好きなものが見つからず、毎日、日々の出来事が1つ、ただ1つづつ終わること、これを「時代」といって受け止めようとするリョウが出した結論は「存在することは穢れること」
 とある日の帰宅後に、1人台所にたたずむ彼女は、その一瞬を忘れるために腕に包丁の刃をあてる。一命を取り留めたときにちょっと素直になった母と、自分、学校、同級生。生ぬるい社会で生きるということに、協和する術を得られる人はいいが、社会は反抗する術を教えてはくれない。
 この「若き不条理」は小学校の頃、2004年に芥川賞の存在を知り、受賞に向けて作品を書いている現在14歳の作者が13歳の時に認めた作品である。ごく普通のいまどきの若者が吐き出すメッセージ、「若き不条理」。フィルターを被った若者が一生楽しく暮らすために、生す術は、つまり「嘘をつき続けること」。大人である我々は今後、不条理で在り続ける術を若者達にどう伝えて行くべきなのであろうか。

脳:永遠の不確実性との共存

by 富沢一道
book  脳(細胞演算装置)の知識処理機能・特性を考察しているこの本は、人間の行動はいかにして決定されるかという命題をGOMS理論を用いて検証している。GOMS理論とは基本的には5W1Hと同じであるが、より深層心理的な側面を重視して考えだされた理論である。
 人間の脳はシナプス同士の信号のやり取りで情報を処理する、いわば化学的な有機コンピュータといえる。一般のハードウェア型のコンピュータと比較すると、人間の脳は数値演算性能は遥かに劣るが、画像認識能力などの複雑な関数(ファンクション)を備えている。これは脳が非常に複雑で多様な関数(ファンクション)をもっている事を証明している。
 言われてみれば、仕事でも、遊びでも、日常生活でも、私達は流れていく時間の中で、絶えず状況判断をして行動しかなければならない。その判断が重要なものであれば脳はその演算部分とデータベース部分を総動員して最適な答えを導きだす。コンピュータが線形の解を見つけるのが得意なのに対し、人間の脳は非線形の答えを見つける事に適している。
 大規模な環境シュミレータでも、有機的に新しい関数(ファンクション)を自分自身で生み出す事はできない。脳はそれを軽々と生み出す能力を持っている。
 無味乾燥な研究論文と違い、この本は何気ない日常生活においても、役に立つ多くの示唆を与えてくれる。例えば『脳で幸福と感じることが、体に非常に良い効果をもたらしてくれる』とか、『地球という物理的な制約のある条件の下で、進化の意味をもっとよく考える事が重要』などである。
 ゲームの脳トレより、脳が鍛えられた感じがする本でした。

深呼吸宣言

by 加藤清司
book  この本は、表現と視点の組み合わせを楽しみながら読む手紙だ。
 ヘーゲルの弁証法「正・反・合」というよりも、三つの視点を独自に組み合わせていろいろな方向から皮肉たっぷりに表現している。
 スマートというより、納得できて楽しめる。

「人と共同体と選択肢」
「知識と知恵と対象」
「説明と問題と本質」
「気持ちよいと心地よいと関係性」
「個人と共同体と成熟」
「宗教と文学と政治」
「人間と環境と人間くささ」
「師匠と友人と回答」
「景気と社会とリズム」
「鍛冶屋と農業と売上高」
「わびとさびとエネルギー」…

 人生論から社会批評からつまらないことまで面白みたっぷりで語ってくれる。
 一回目は何も考えず納得しながら読む。
 二回目は、自分の想像力とこれまでの経験をふまえて読むと面白い。

 このテーマだけで一冊の本が書けてしまう。
 私は何に限らず想像力を掻き立ててくれるものと、含蓄を含んだものは好きだ。
 いつまでも自分の中にとっておきたい表現がいっぱいである。
 一つ一つが著者の日常を独自の視点で観察したもの。
 合っているか間違っているかは別としてまた、納得できることと面白いことが多い。

 表現手段にもこだわった。『言葉』と『写真』。
 私は『言葉』と『写真』と『視点』で読んでみた。
 「人生は一瞬一瞬の連続であり、生活そのものである。」ということを感じ取れる一冊。
 受け手の想像力をフルに活用して読める本。
 とにかく、橘川幸夫氏は面白い。