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社長日記

2009年12月07日

一週間の日記 11月30日から12月6日まで



デメ研忘年会のご案内。みなさん来てくださいな。


▼今週の一枚(有楽町)
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▼今週のふぁぼったー


11月30日(月)
◇学校で講義。旅の高揚のまま。

◇麹町で鍼灸治療。高揚しすぎて頭に血が昇っていると言われる。あと2日もすれば、ぐったり疲れが出るからね、とも。

◇今日は、フィランソロピー協会のイベントが行く予定だったが、疲れてきたので行かないことに。

12月01日(火)
◇フレンドリーの後藤くんと恵比寿で待ち合わせて中華ランチ。だらだらとしたおしゃべりが一番楽しいね。Twitter的だ。

◇恵比寿に来たので、ガオの照井くんところに寄ろうと思ったが、駅ビルの無印良品とか本屋さんとかぶらぶらする。

◇御成門のペーパーメディア研究所で、新規メディアの開発ミーティング。だんだん面白いところに転がってきた。

◇会議の最中に、事務所から電話が入る。ガオの堀川誠(ホリキ)くんが、突然、新宿駅のホームで倒れて急逝したとのこと。会議を早回しして、新宿の東京医科大学に向かう。なんということだ。こないだまで、恵比寿のガオに行けばニコニコしてコーヒーを出してくれたホリキが。安置室には、倒れて顔に傷のあるホリキが眠っている。照井が泣いている。十勝の後藤健市くんから電話が入る。後藤くんは80年代の前半、恵比寿のガオにいて、照井、後藤、ホリキなどでチームを組んでいた仲間だ。クモ膜下出血は、前兆もなくやってくる。沈痛な夜を過ごす。

12月02日(水)
◇国井正人くんが来社。打ち合わせ。

◇池田くん(池ピー)が来る。池田くんは昔、デメ研の事務所の裏のアパートに住んでいた。何のきっかけで知り合ったのか忘れたが、昔はライターやってて、竹場元彦の友人で、DTPにやたらと詳しくて、いろいろ相談してた。そのうち金羊社に呼ばれて、高給で働いていて「三国流DTP術」だったかの家元になった。ある時、すべて辞めてしまい、引っ越していって、介護タクシーの運転手になった。今日は、自由か丘までお客さんを運んできたので、寄ったようだ。池ピー、橘川、カミさんと三人で寿司ランチ。池ピーとカミさんはサッカーが好きなので、おしゃべり。僕は分からない。

◇旅行の疲れが出てきたのと、ホリキのことがあって、なんだかすっかり疲れる。

12月03日(木)
◇オンブック会議。京都の大学との交渉のため、明日は中村さんに京都に行ってもらう。

◇高円寺で「ゆきおちゃんねる」の打ち合わせ。深水、柴田くんなどが集まるが、放送はなし。帰りに、ビレッジバンガードへ行って、お香の箱を買う。

12月04日(金)
◇都内を歩きながら写真を撮る。

12月05日(土)
◇川崎鶴見でホリキのお通夜。古い友人たちが集まってきている。

◇帰りに武蔵小山でカミさんと食事。

12月06日(日)
◇ホリキの葬式。堀川誠くんは44才の若さでなくなった。彼が19才の頃、照井俊光が中心となって設立したゴッドルーム(現在のガオ)に集まった天才少年たちの中でも最年少だった。パソコン文化の夜明けの頃で、照井とホリキはアメリカに行って、UNIXのマシンを買って担いできた。僕は技術のことはあまり分からないが、照井とホリキが作った数々の作品の凄さは分かる。SONYやCANONやPANAの優秀な人たちが、ガオに集まってきていた。一時は、松下電器の門真に缶詰にさせられてワープロの開発を任された。ありえないことだが、社外の人間である照井やホリキの功績に対して、松下電器は社長賞を出してくれたのだ。

◇照井とホリキは僕のことを慕ってくれて、80年代初期、僕が恵比寿で「橘川事務所」をやっていた頃に、恵比寿に事務所を開き、昼も夜も交流を重ねた。ガオに電話すると、いつも最初に出るのがホリキだった。すっかり僕の声を覚えていて、名乗らなくても僕だと理解してくれていた。そのホリキがいない。もう、パソコン通信時代のバックアップファイルを持ち込んで、なんとか読めるようにしてくれ、と頼めるホリキがいない。恵比寿にぽっかりと穴があいてしまった気分だ。

◇さようならホリキ。いつかまた会おう。合掌。

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