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社長日記

2009年12月23日

一週間の日記 12月21日から12月27日まで

橘川幸夫の新刊「希望の仕事術」(バジリコ)
Amazonで予約受付中。

▼今週の一枚(渋谷)
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12月21日(月)
◇母親が病院で定期検査の日なので、朝から麻布の済生会中央病院に向かう。父親がタクシーで母親を連れてきて、診療ツァー。待つ時間が長くて、診療は短時間。3カ所ぐらい診療室を回って、食堂でみんなでランチ。

12月22日(火)
◇澤田美佐子さんから、信國の死を知らされる。

◇バジリコの安藤くんが新刊「希望の仕事術」の見本を持ってきてくれる。二人で、寿司屋でランチ。いろんな人に読んでもらいたいが、特に若い人たちに読ませたい。献本の手配など打ち合わせ。年内に取次搬入するが、店頭発売は来年年明け。



追悼・信國乾一郎くん

◇今朝、信國乾一郎くんが亡くなった。食道がん。44才。若すぎる。

◇信國とは、林雄二郎さんを囲む勉強会「森を見る会」を一緒にやっていたのだが、今年になってから電話しても出ないし、メールの返事もないので、何やってるのだろうと思っていた。夏に澤田美佐子さんから連絡があり、ガンであることを知らされた。僕にも言わずに一人で治そうとしていのだ。見舞いに行くと、相変わらずの強気な姿勢のままだった。

◇信國と出会ったのは1994年ぐらいだと思う。寒い冬だった。リクルートの澤田さんが、当時、東京に移動したばかりの高橋理人さんと、若いメンバーで面白い奴ということで信國を連れてデメ研にやってきた。近くのビートルズが流れるバーで、みんなで飲んだ。信國は一目で才気のオーラを発していたのが分かったが、酔うにつれ、なぜか僕は初対面の彼に攻撃的になった。「信國、おまえは、エイリアスのままでここに来たな。本当の自分は自宅の押し入れにしまったままで、ここにいるのはエイリアスだろう」と。エイリアスというのはMACの用語で、ウィンドウズの場合はショートカット。澤田さんが「エイリアスって4Kぐらいしかないよね」と、上手い合いの手を入れてくれた。信國のオーラは間違いなく重量級だったのだ。

◇初対面で、相手のことも何も知らずに「エイリアスだ」と決めつけられたわけだが、なぜだか、その夜以降、僕になついてくれた。信國はあちこちで喧嘩ばっかりしているトラブルメーカーだったが、僕の言うことは素直に聞いてくれた。

◇やがて、リクルートは、ミックスジュースが始まり、ISIZEになってインターネット事業に本腰を入れる。リクルートが一番リクルートらしく、雑多な人材がうごめいていた時代だ。信國は「じゃマールon the net」の編集長になる。「じゃマール」は読者伝言板の情報交換メディアだ。参加型メディアを追及するんだと、僕の事務所から「ポンプ」のバックナンバーを持っていき、スタッフたちと分析をしていた。「じゃマール」は、リクルートのメディアなので、とてもやりにくかった。例えば、北海道の人が東京に引っ越すので安い家を探してます、というような情報は載せられなかった。なぜなら、リクルートには住宅情報や賃貸情報のビジネスがあるから、それらを無視することは出来ない。信國は、日曜日に個人の時間を使って都内の不動産屋さんを回って情報をその投稿者に送ったのだ。そういう奴なんだあいつは。

◇僕が2000年に「21世紀企画書」という本を出して、大阪で出版パーティをやった時は、リクルートの信國の部署の大半を連れてきてくれた。平日の昼間だと言うのに。信國は僕の弟子だ。これも、僕が勝手に「おまえは弟子だ」と決めたので、信國はびっくりしてた。でも顔は笑っていたので、良いのだろう。

◇先週、澤田さんからメールが来て病院に入院したことを知った。見舞いに行ってあげてとも書いてなかったが、すぐに、亀田くんと一緒に駒沢病院に行った。いろんな点滴がぶらさがっていて、呼吸のマスクもしていて、足なんか骨だけのように細い。でも信國の重量感あるオーラは同じだった。むしろ顔付は精悍そのもので、サムライのようだった。

◇信國が僕に話したいことがあると言う。信國に近づいて話を聞いていた。彼は、夏にNHKのクローズアップ現代で放送した番組のことを話しはじめた。それは「助けてを言えない30代」という番組で、学生時代はラガーマンだった男性が、仕事に失敗し、誰にも助けてと言えないまま、孤独な餓死をしていったという話だ。「詳しくは、こちら」

◇昨年、秋葉原で27才の加藤智大が無差別殺人を引き起こした。その事件の後、僕らは「森を見る会」を霞ヶ関のリクルートエージェントの一室で行っていた。その時、林雄二郎さんが、参加していた僕や信國ら10名ぐらいに対して、衝撃的な発言をしたのだ。「君らだから言うが、僕は、あの犯人の気持ちが分かるような気がする」と。林さんはその時、91才である。

◇帰りのタクシーで僕は信國と一緒だった。信國が「あの発言、どういう意味なんでしょう」と聞くから「林さんは1968年に情報化社会という言葉を作った時に、ものすごい明るい未来と、正反対の暗すぎる未来をイメージしたんだと思う。その暗い未来に日本は突入したということじゃないか」と答えた。

◇ベッドの中で信國は、こう言った。「橘川さん、あの時の答えが分かった。そのヒントがクローズアップ現代の番組だ。助けてと言えない30代は、子どもの時に、どう教育されたか。一つ『自分のことは自分でしなさい』一つ『他人に迷惑かけてはいけません』この二つの言葉に呪縛されて大人になったんだ。だから、助けてと言わずに餓死して行ったんだ。20代の加藤も同じように助けてと言えなくて自爆しちゃったんだ。この教育システムをなんとかしなければダメだ」と。信國、見事なロジックだ。

◇僕は同意しながら、ほとんど泣きそうになった。「助けて」を言えないのは、おまえじゃないか。こんなに足が細くなってるのに、おしめして、点滴ぶらさげて、呼吸も一人では出来なくなってるのに、どうして、そんなに精悍なツラしてるんだ。もっと、メソメソしたら良いじゃないか、と。

◇信國の手を握って話を聞いていた。信國が時々、手を強く握るので「おっ、握力はあるなあ」と言うと、にやっと笑って更に強く手を握った。生命をふりしぼるように。信國らしいといえば、こんなに信國らしい仕草もない。信國の手の温もりが忘れられない。

◇今日は、お通夜だった。リクルートの懐かしいメンバーや、インターネットの草創期の連中が集まってる。SFC一期生で今はブレインパッドの代表の草野六砲いた。草野が昨年、信國と会った時に「草野、橘川さんと会ってるか」と聞かれて「ごぶさたしてます」と答えると「ダメだろ、橘川さんにもっと甘えなきゃ」と言ったという。ばかやろう、甘えなきゃいけないのは、おまえだろう、信國。ああ、信國の声が聞こえてくる。

◇さよなら、信國。おまえのやり残しは、もう少し、オレが面倒みる。だから、天国ではエイリアスでないおまえを出せるようにしておけよ。そして、また遊ぼう。合掌。

▼Twitterで教えてもらった、10年前の信國の記事。

▼桂木さんが編集した雑誌に書いた信國の文章。

▼草野くんの信國追悼文


12月23日(水)
◇信國の告別式。元リクルートの人たちや、インターネット初期の懐かしい人たちが集まっている。信國の棺に「希望の仕事術」を入れさせてもらう。

◇帰りに、カミさんと、フレンドリーの後藤くん、妹尾さんたちとファミレへ。黒い服の人が多い。リクルートのジャイアンがいた。

12月24日(木)
◇お茶の水の日販で柴田くんと、空の北田くんなどとランチ。

◇オンブックの会議。来年から、「S-des GALLERY」と提携して、アートブックを販売することになった。

12月25日(金)
◇亀田くんと、渋谷で合流。打ち合わせ。

◇白山の平凡社へ、電通の田中宏和くんを連れて、下中直人社長を訪問。もともと直人くんの父上である下中直也さんにポンプを辞めた後、面倒を見てもらっていたことがあり、直人くんを紹介される。同じ世代で意気投合し、長い付き合いになっている。平凡社・東京印書館のみんなとは、家族みたいな関係だ。ポンプを一緒に作った松岡裕典くんが、平凡社に来ていて、久しぶりの再会。

12月26日(土)
◇恵比寿のガオに行き、照井くんと打ち合わせ。照井と話すと新しい刺激をもらえる。

◇日販の柴田くん、凡ちゃんが来て、焼肉食べながら、来年の展望ミーティング。

12月27日(日)
◇正月の準備で、坪庭の竹を切る。カミさんと買い物。

◇信國の死が悲しくて、あちこちに悲しい気持ちでつぶやいていたら、友人が「橘川さんがこんなに悲しんでると、さすがの信國くんも、死んで失敗したと思うでしょう」とメールくれた。葬儀に来れなかった、いろんな人が信國のことでメールくれて、その度に、信國に代わってお礼の返事をしているような感じ。

◇悲しいことも楽しいことも、同じタイムラインの中で起きている。

2009年12月20日

一週間の日記 12月14日から12月20日まで

橘川の新刊「希望の仕事術」(バジリコ)Amazonで予約開始!

◇新しい時代には新しい仕事の考え方と取り組み方があるはずだ。さまざまな業種・業態の中で仕事をしてきた橘川が語る21世紀の仕事観。装丁は寄藤文平さんです

媒体資料が出来ました。関係者の皆さん、あちこちバラまいてください。(画面の下の方に置いてあります)

▼今週の一枚(学校の窓)
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12月14日(月)
◇日本デザイン専門学校の最終講義。学生の時の「先生のひとこと」って、奇妙に記憶に残ったりするものなので、いつか何かの機会に思い出してもらえると嬉しい。終わりは寂しいものだ。

◇麹町で鍼灸治療。鍼灸師から、Twitter制限命令。一日中興奮してて、頭に気が上昇している。親指使いすぎで、腕の筋肉硬直。鍼灸治療に行く日は、学校で授業やってから行くので高揚してる。何しろアジテーションみたいな授業なので。それも今日で終わったので、しばらく落ち着きます。 Twitterはコミュニケーションなので、そりゃあ高揚するわな。何事も過ぎたるは及ばざるが如し。一人になる時間も大切。

◇美人時計だけど、なんか、ほっぺたの膨らんでる子が多いような気がするが。

◇ところで今日は新聞休刊日なの? そんな協定守ってるからパワーが落ちるんだよ。

12月15日(火)
◇やばい、Twitterやってて、今日の約束を忘れてた。あわててタクシーでシブヤ大学へ。なんとか後半の会議に参加出来た。なんかボケてきたか。終了後、ふかみんとロフトの二階で、中国茶。

◇岩谷啓子さんから、もちと漬物が届いた。そろそろ正月の準備だな。

◇僕は若い頃からメディアの主宰側にいたので、人と出会う数は多かった。20代の時に、友だちの数は300人が限度、と勝手に決めた。仲間は数人、仲良しは30人、会いたい奴は100人、その周辺をいれると300人。根拠なし(笑)。Twitterでフォロー出来る数は300人だな。

12月16日(水)
◇友人が入院したので見舞いに行く。ベッドの中で、彼からNHKのクローズアップ現代の番組「助けてを言えない30代」を教えてもらう。「助けてを言えない30代」「質問の出来ない20代」日本の社会はとんでもない構造を作ってしまったのかも知れない。根本から見直して、対応策を作っていかないと。

◇Twitterで地名短縮の話で盛り上がり「地名短縮語辞典」の入力フォームを作ってもらう。

◇携帯Twitterの悩みは、ソニーがアンドロイドに走って長年愛用のジョグダイヤルが使えなくなる。親指シフトみたいなものだ。現状機器をまとめて買っておくかな。携帯って、ハードだけ買えるのか。

12月17日(木)
◇昨日、亀チャンからもらった浅草セキネのしゅうまいをいただく。

◇オンブック会議。来年からソニーデジタルエンターテイメントサービス(ソニーです)の発行する新しい媒体を扱うことになった。とても刺激的な媒体です。

◇オンブックの新刊『創作老子』大泉黒石著、亀田武嗣訳がリリース。90年前のベストセラーを亀田武嗣が現代語訳に。

◇夜になって続々と人が集まる。プレミアム証券の山根社長、周平、タッキー、コバエリ、ゆかりさん、wakuちゃん。「Twitterポンプ」(深呼吸ポンプ)のミーティング。橘川が概要を説明して協力を求める。

◇終了後、カミさんとwakuちゃんはメシへ。残りはカラオケへ。明日のデメ研忘年会の前夜祭。なんと「0.8秒と衝撃」の「POSTMAN JOHN」が入ってるので、まず橘川が一曲。みんなTwitterで情報を流してる。周平が「マリリンモンロー・ノーリターン」を歌ったのは、やられた。その時代なら、たくさん曲を知ってるぞ(笑)。しかし、今日は、タナトス系ロックを歌いたい気分だったので疾走。

◇終了後、事務所に帰って、明日の忘年会の準備。

◇綾部の塩見くんから、彼のお母さんが育てた黒大豆が届く。正月に食べよう。

◇希望の仕事術の束見本が届く。静かに迫力のある装丁だ。
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12月18日(金)
◇ペーパーメディア研究所で、打ち合わせ。来年に向けての企画を進める。

◇16時すぎに高円寺に向かう。今回はメイン会場を「高円寺プラットホーム」で行い、第2会場の「バーミィ」から料理を運ぶことに。

◇デメ研忘年会。18時から続々と、さまざまな世界の人が集まる。

●マネトロン山崎さんの新しい楽器は「ハモンドオルガン」だ。

「田中宏和のうた」の最初の田中宏和氏が参加。

●アイシオールの多田さんも参加。彼女は「土の左官の本」というのを作っている。会場でいろんな人に見てもらう。

●会場では、AR三兄弟のパフォーマンスを実施。

●販売ブース1は、てづくりせっけん「PASTEL CAREE」

●販売ブース2は、ましゅまろ専門店「やわはだ」

●販売ブース3は、オンブック

「0.8秒と衝撃。」の二人も参加してくれた。ファーストアルバム「ZOO&LENNON」。量ではない。質の面で、このアルバムにどれだけの人が反応して、何をするのか見ていたい。

●会場では、深水くんがUSTREAMでライブ中継してくれた。民間会社の忘年会を日本中の無関係な人が何百人も見たんだから凄い。僕と柴田くんが司会で、参加者をゲストにして、どんどん紹介していく方式だ。これも成功だったな。

◇バジリコの長廻社長や、故・小谷正一さんの番頭さんだった大熊さんもいらしてくれた。就職の決まらない大学生も何人か来たりと、さまざまな世代が同じタイムラインに集結。

◇2次会はバーミィだが、入りきれない。深夜になって、FACTAの阿部重夫さんが忘年会のはしごを経て到着。ディープな世間話。

12月19日(土)
◇忘年会の翌日。人を集めてかきまわすのが僕の本来の仕事。そのうちTwitterでフォローしてくれている人だけに声かけて宴会やろうかな。そういうリアルパーティをみんながやると面白いのでは。Twitterのオフ会は、ツイオフ。ツイオフの日々。良いなあ(笑)。ツイオフ+ニコナマの効果は、昨日の忘年会で実証された。

◇リアルTwitterパーティーは地域活性につながりますね。ある程度、お互いのことを知っていた同士が理解を深める場としてのオフ会。テーマ決めてNTPにしてもよいな。ハート復活させるか。

◇昔、ニフティに、居酒屋チェーンやカラオケ屋と提携して、オフ会の会場提供サービスをやったらどうだと提案したことを思い出した。アフリエイトがニフに入る形で。ニフティの鳴川や細川はまだいるのか(笑)

◇Twitterには、例えば、こんな話が見つかる。生活の現場での笑顔だ。 @cafemari: 深夜、仕事をしていたら4歳息子が起きてきた。私の隣で毛布に包まって、じっと待っている。「やることなくて、退屈でしょう。もう寝てきなさいな」と言ったら、「ううん。ぼく、お母さんが大好きで大好きで、忙しいんだよ」

12月20日(日)
◇静かな日曜日。

2009年12月15日

一週間の日記 12月07日から12月13日まで

橘川幸夫の新刊「希望の仕事術」(バジリコ)アマゾンで予約開始。これまでとは一味違います。

デメ研忘年会は18日です。いろいろありますので、おいでください。

▼今週の一枚(有楽町)
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12月07日(月)
◇日本デザイン専門学校の講義も後、一回。今日は、みんなに僕に対して好きに質問させて答えた。

◇長妻さんって青島幸男に似てきた。無責任な部外者のうちは大衆受けの発言ばかりしていたがリアルに触れて愕然。性格が優しすぎて官僚の苦闘も理解してしまうのだろう。理解しない人よりは増しだが、それでは政治家としてやっていけない。年金一本に絞ってあとは官僚に丸投げするか潔く辞めるべきでは。

◇ペメ研へ。来年はいろいろと動きそうだ。

12月08日(火)
◇また朝から電車で事故があったようだ。山手線とか中央線のホームに保護壁作れば事故は減ると思うが、電車の設計が時代によってバラバラで、出口の位置が微妙に違うので保護壁が作れない、と聞いたことがあるが真偽は? 新線は電車も新品だから、それに合わせて作られるのか。

◇タイムラインをみんなで押しながら、歴史が前へ動いて行く。

◇レノンの命日。レノンが殺された時、ロッキングオンではじめて、渋谷、岩谷、松村、橘川が、同じテーマで原稿を書いた。10年やって、一緒に頁を作ったのは、これだけだ。

◇周平と一緒に汐留の電通へ。Twitterで「間に合わない、遅刻しそうだ」とつぶやいたら、電通の田中くんから「お待ちしてます」と。

◇夕方、高円寺で、バリューエージェントの阿部社長、小林さんと合流して、高円寺プラットホームで藤倉くんたちと打ち合わせ。バーミィで会食。不景気だが、こういう時こそ、新しいことを仕掛けたいものだ。

12月09日(水)
◇朝からだるい。風邪ひいたかもしれない。会社に行かず、しょうが湯飲んで寝る。

◇会社はさぼってもTwitterはさぼらない。Twitterは人の深度が分かるな。有名な人でも浅い人はつまらないし、無名でも深度を感じられる人がいる。

12月10日(木)
◇オンブックの会議、作業の進行状況と、来年度からのプロジェクトの確認。

◇昼飯を食い損ねたので、目黒のとんきに行って、とんかつ。この店は夕方早めに来るに限る。

◇新刊のゲラって、何度読んでも、手直ししたくなるところが出てきて、きりがない。原稿とは永遠に完成しないものなのだな。どこかで見切らない限り

12月11日(金)
◇午前4時からTwitter。この時間のタイムラインって哀愁があって良いなあ。時間軸のあるメディアなんだな。

◇風邪、治ったなあ。早い。サラリーマンではないので、風邪ひいてもなんのメリットもないからなあ(笑)。サラリーマン時代は、風邪が長引いた。

◇連合の組織率が35年ぶりかに上昇。いびつに完成させてしまった今の組織に、なんで正規雇用を求めるんだ。また、労使交渉の時代を復活させたいのか、最近の若い左翼は(笑)。万国の非組織労働者、団結しないで、とどまれ。

◇夕食はカミさんと、学芸大学の七甲山の焼肉。最近の焼肉屋は安くて美味い。これでは古い焼肉屋はやってけないな。しかし、六甲山なら分かるが。

12月12日(土)
◇Twitterは寝床の中でうだうだとモバツイするのが似合う。

◇土曜の朝食。煮干しとコブで出しとって、キャベツとか油揚げとか冷蔵庫に残ってるものを適当に入れて味噌汁。卵は子どもの頃、板橋のおばあちゃんが泊まりに行くと朝作ってくれた炒り卵。甘かった思い出があるのでハチミツ多め。近所の総菜屋の自家製あみ。おしんこ。太陽がまぶしいくらいで気持ち良し

◇新橋で柴田くんと打ち合わせ。根室屋でランチ。コストパフォーマンス良い。

◇銀座博品舘。買いたくなりそうなものばかりだが、後で後悔しそうなものばかり。経験による。

◇銀座数寄屋橋宝くじ売り場行列。並んでる人の顔見ると、結構小銭溜め込んでそうな。偏見含。

◇有楽町ビックカメラ。今週木曜日FFの発売。朝の七時からと案内。寒い中並ぶのか、宝くじに並ばない人たちが。木曜日以降のTwitterが楽しみ。

12月13日(日)
◇寒くなければ冬ではない。冬でなければ寒くない。

◇Twitterのメディア史的な意味は表現者の基盤が、理念や立場ではなく生活そのものに依って立つところにある。昔、そういう雑誌を作っていたが。

2009年12月07日

一週間の日記 11月30日から12月6日まで



デメ研忘年会のご案内。みなさん来てくださいな。


▼今週の一枚(有楽町)
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▼今週のふぁぼったー


11月30日(月)
◇学校で講義。旅の高揚のまま。

◇麹町で鍼灸治療。高揚しすぎて頭に血が昇っていると言われる。あと2日もすれば、ぐったり疲れが出るからね、とも。

◇今日は、フィランソロピー協会のイベントが行く予定だったが、疲れてきたので行かないことに。

12月01日(火)
◇フレンドリーの後藤くんと恵比寿で待ち合わせて中華ランチ。だらだらとしたおしゃべりが一番楽しいね。Twitter的だ。

◇恵比寿に来たので、ガオの照井くんところに寄ろうと思ったが、駅ビルの無印良品とか本屋さんとかぶらぶらする。

◇御成門のペーパーメディア研究所で、新規メディアの開発ミーティング。だんだん面白いところに転がってきた。

◇会議の最中に、事務所から電話が入る。ガオの堀川誠(ホリキ)くんが、突然、新宿駅のホームで倒れて急逝したとのこと。会議を早回しして、新宿の東京医科大学に向かう。なんということだ。こないだまで、恵比寿のガオに行けばニコニコしてコーヒーを出してくれたホリキが。安置室には、倒れて顔に傷のあるホリキが眠っている。照井が泣いている。十勝の後藤健市くんから電話が入る。後藤くんは80年代の前半、恵比寿のガオにいて、照井、後藤、ホリキなどでチームを組んでいた仲間だ。クモ膜下出血は、前兆もなくやってくる。沈痛な夜を過ごす。

12月02日(水)
◇国井正人くんが来社。打ち合わせ。

◇池田くん(池ピー)が来る。池田くんは昔、デメ研の事務所の裏のアパートに住んでいた。何のきっかけで知り合ったのか忘れたが、昔はライターやってて、竹場元彦の友人で、DTPにやたらと詳しくて、いろいろ相談してた。そのうち金羊社に呼ばれて、高給で働いていて「三国流DTP術」だったかの家元になった。ある時、すべて辞めてしまい、引っ越していって、介護タクシーの運転手になった。今日は、自由か丘までお客さんを運んできたので、寄ったようだ。池ピー、橘川、カミさんと三人で寿司ランチ。池ピーとカミさんはサッカーが好きなので、おしゃべり。僕は分からない。

◇旅行の疲れが出てきたのと、ホリキのことがあって、なんだかすっかり疲れる。

12月03日(木)
◇オンブック会議。京都の大学との交渉のため、明日は中村さんに京都に行ってもらう。

◇高円寺で「ゆきおちゃんねる」の打ち合わせ。深水、柴田くんなどが集まるが、放送はなし。帰りに、ビレッジバンガードへ行って、お香の箱を買う。

12月04日(金)
◇都内を歩きながら写真を撮る。

12月05日(土)
◇川崎鶴見でホリキのお通夜。古い友人たちが集まってきている。

◇帰りに武蔵小山でカミさんと食事。

12月06日(日)
◇ホリキの葬式。堀川誠くんは44才の若さでなくなった。彼が19才の頃、照井俊光が中心となって設立したゴッドルーム(現在のガオ)に集まった天才少年たちの中でも最年少だった。パソコン文化の夜明けの頃で、照井とホリキはアメリカに行って、UNIXのマシンを買って担いできた。僕は技術のことはあまり分からないが、照井とホリキが作った数々の作品の凄さは分かる。SONYやCANONやPANAの優秀な人たちが、ガオに集まってきていた。一時は、松下電器の門真に缶詰にさせられてワープロの開発を任された。ありえないことだが、社外の人間である照井やホリキの功績に対して、松下電器は社長賞を出してくれたのだ。

◇照井とホリキは僕のことを慕ってくれて、80年代初期、僕が恵比寿で「橘川事務所」をやっていた頃に、恵比寿に事務所を開き、昼も夜も交流を重ねた。ガオに電話すると、いつも最初に出るのがホリキだった。すっかり僕の声を覚えていて、名乗らなくても僕だと理解してくれていた。そのホリキがいない。もう、パソコン通信時代のバックアップファイルを持ち込んで、なんとか読めるようにしてくれ、と頼めるホリキがいない。恵比寿にぽっかりと穴があいてしまった気分だ。

◇さようならホリキ。いつかまた会おう。合掌。

2009年12月01日

一週間の日記 11月23日から11月29日まで

▼今週の一枚(京都・丹波・綾部にて)
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11月23日(月)
◇休日。Twitter。

◇ランディから案内。湯河原で気功のワークショップをやるらしい。

◇星槎学園の宮澤会長から「漢方を健康保険で使えるように署名のお願い」が来た。「11月11日(水)の行政刷新会議事業仕分け作業の結果、一般用薬類似医薬品(OTC類似薬)(漢方・ビタミン・湿布薬)を保険給付からはずすという財務省案にワーキング・グループ15名のうち11名が賛成」

◇寒いのでアマゾンでホットカーペットを購入。70年代に「デパートに住みたい」という女子大生からの投稿が来たけど、今はまさにデパートの中に住んでるみたい。ちなみに80年代は「TDLに住みたい」という子が多かった。

◇0.8秒の11月23日の日記。「踊り狂ってる師匠」とはオレのことか(笑)。賢者の方だと思うが。J.Mからメール。終わってからかっこわるいの承知で客席に行ったが会えなくて残念と。僕は一ファンとして見ているから大丈夫。

11月24日(火)
◇連休って、生活のリズムを崩すな。

◇最初の本が聖書っていうのが象徴的なように、本って、基本的に宗教本なんだな。金儲けでも時代感覚でも、本になると、説教臭くなる。

11月25日(水)
◇橘川のTwitterのふぁぼった

◇タクシーの運ちゃん、青森の工場が閉鎖になって2ヶ月前に東京に来た、と。青森では50歳を過ぎたらまず仕事はない、と。東京のタクシー運転手で仕送り出来るのか。

◇明日からの旅の支度。携帯とカメラとDSの充電コンセントが3つ。充電器を統一規格にしてもらえないものか。

11月26日(木)
◇Twitterは朝が一番エキサイティング。朝が一番みんなの気持ちのタイムラインが揃う。これから生活はじまると、それぞれの人がバラバラの時間軸になっていく。

『KOTOBA −Deep Breath Words−』(Yukio Kitsukawa)が米BookSurge社で販売開始に。日本語の本を翻訳して米国で販売する道を拓きました! オンブックでは米国でのオンデマンド出版のサポートサービスを行う予定。まずは、橘川の深呼吸本から。

◇今月のFACTAの立石さんの記事「ヤマダ電機 忍び寄る第二のダイエー」は漠然とヤマダ電機に思っていたことを説明してくれた。無節操に拡大していったダイエーの末路と同じ。オーナーが権力を持って組織拡大出来るのはある範囲までで、それ以上は暴走する。それに荷担して利益あげるのがファンド。

◇Firefox のアドオンでlive TVを入れたので、世界中の音楽番組見れる。フランスのNRJ Pop Rockがお気に入り。TwitterにMTVで密度濃すぎか。

◇本は社会の成熟度に応じて役割を変える。明治の頃、夏目漱石は近代人としての哲学、思想と日本人としての詩的情念を中核にして、エンターテイメントな物語のオブラートにくるんで小説を書いた。今はオブラートの部分だけがテクニカルに発展しているんだと思う。しかし、それは後退したのではなくて、読者が成熟したからだ。哲学、思想及び情念はインテリたちではなく、読者一人一人が担うべき時代になっている。

◇赤坂で広本公朗と会って、おしゃべり。二人でホテルニューオータニでアクセスの荒川くんのお別れ会へ行く。黒服の群衆の中で、僕だけこの後が旅行なので赤いカッターシャツだった。僕が知ってる荒川くんは、寝袋持参で会社に泊まり込んで仕事していた時代。ラフな服装も許してくれるだろう。あらためて合掌。

◇東京駅で駅弁を買って新幹線へ。大丸は工事中なのか。

◇京都から山陰線で綾部に入り、駅前のビジネスホテルに宿泊。

◇ブラタモリは日本橋。タモリは信用するが今は好きではない。本来の才能で勝負すべきことをケチって、民放の宮田輝になっちゃった、という裏切られ感(笑)。全力でタモリが表現したのは、赤塚さんの葬式だけでは。ブラタモリも脚本通りな感じ。タモリの才能とは、例えば、テレビに出て最初に、テレビは見るものではなく出るもの、と看破したところ。ニコ生こそ、タモリが似合う。

◇今回の旅の目的と内容は「こちら」を。

11月27日(金)
◇早朝、散歩。地方に来たら、朝の散歩で神社を探す。綾部八幡神社を発見。

◇ホテルの朝食後チェックアウト。午前中は余裕あるので、カメラを持って綾部をまわる。

猪かあ。行ってみよう。

◇綾部に大本の本部がある。出口なおさんの出身が綾部だから。驚いたことに大本の入口の前にキリスト教会がある。地元の人に聞いたら、大本はウェルカムなのだそうだ。見事に共存している。

◇大本本部の近くの学校で耐震補強工事をやっている。東京だとすでに鉄筋の校舎が多いので、内部補強するぐらいだが、地方の校舎は古い木造建物が多い。こういうのは地方に旅してみないと実感として分からない。削減され続けている公共工事で、耐震補強工事が地元の業者の救いのようだ。学校は地域の避難施設になっているので耐震強度のレベルが高い。

▼まるで鋼鉄のギブスのようだ。
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◇綾部駅で、塩見直紀くんと、リーフラスの伊藤・桃原さんと合流。塩見くんの車で、丹波茶屋「ゆらり」へ。

▼綾部・半農半X研究所の塩見くんの畑で、塩見くん(右)とリーフラス・伊藤社長(左)
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▼綾部の小学校が廃校になってコミュニティセンターになっている。自慢のパン焼き釜を紹介してくれる塩見くん。ピザも焼ける。
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◇塩見くんが、いろいろと案内してくれて、充実した時が過ぎる。塩見くんは以前にフェリッシモに勤めていて、その頃、僕の著書を読んでいてくれたらしい。今後の協力を確認しつつ、綾部駅からリーフラスの二人と亀岡へ向かう。

◇亀岡の駅には前田比良聖さんが待っていてくれて、大本へ。明智光秀の居城であった亀岡城を出口王仁三郎さんが買い取って、大本本部になっている。大本の宿泊施設に泊めてもらう。

◇和良久の練習を見学。合気道の創始者である植芝盛平も、大本の出身。合気武道という名前は王仁三郎さんの命名によるもの。大本からは合気道の他にも、井上鑑昭の親英体道、奥山忠男の言霊ツルギという武道が発生している。和良久は四番目の大本武道として成長しつつある。

▼大本・和良久の練習風景
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◇練習終了後、前田さんが出口鯉太郎さんと一緒にやってきて、みんなで、近くの居酒屋で談笑。鯉太郎さんとは久しぶりの再会。とても優しい雰囲気で会えて嬉しかった。彼は出口家の人で陶芸家。山の方に登り窯を作ったようなので、今度、訪問させてもらいたい。深夜まで、前田さんの極真時代の話などで盛り上がり、楽しい夜が更けた。

11月28日(土)
◇早朝、大本の神殿を参拝。亀岡城のすがすがしい空気の中を、前田さんの案内で散策。

◇亀岡で、みんなと別れ、京都へ向かう。途中、保津渓にさしかかって、あまりの渓谷の美しさに山陰線を降りてしまう。地図を見ると、「トロッコ電車駅」とあるので、そこまで歩く。紅葉がまぶしいくらいの山の中を歩く。

▼保津渓のトロッコ電車から紅葉。
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◇京都について、携帯電話の電源が切れてしまったので、ネットカフェで充電。

◇大阪の山北末広さんに来てもらい、打ち合わせを行う。今年は、国の体制変更もあり、役所の仕事が遅れたり、ストップしたりで、翻弄されている。事業仕分けで何兆円も予算が停止されているが、確かに、一部のエリートが利権を吸い取ってた部分もあるだろうが、大半はその予算で生活していた人もいるわけで、その部分への視点が仕分け人には欠けているのではないか。それはかつて、「居酒屋タクシー」がマスコミに批判されて、官僚たちがタクシーに乗らなくなったが(というか、始発電車の時間まで仕事をするはめに)そのタクシー運転手の生活のことまではマスコミは指摘しなかった。「事業仕分け」に対抗して「事業仕掛け」を始めたい。

◇帰京。新幹線の中で爆睡。

11月29日(日)
◇Twitter三昧。


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