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社長日記

2009年03月28日

一週間の日記 3月23日から3月29日まで

3月23日(月)
◇池袋の島根歯科へ。もう10年ぐらい通っているな。最初に行った頃、虫歯を治療して、しばらくしたら別のところに虫歯が発見されたが、島根さんは「これはしばらく様子見ておきましょう」と治療をしなかった。以来、ずっと、見てもらっているが、拡大しそうもないので虫歯菌と共生している。一度だけ、親知らずが腫れだして、これはエイヤーと抜いてもらった。あとは、いつも、歯ぐきを見てもらって健康状態をチェックしてもらっている。一時、何度も気絶したりして最悪だった時は、はぐきが荒れていて心配してくれた。
おかげさまで歯は健康。

◇終了後、うどん屋へ。田尾さんも合流。毎月、池袋に行くので、合流したい人は連絡ください。日程は不規則ですが。

3月24日(火)
◇どうも疲れが残っているためか、目黒の駅の階段のところでめまいがして、ふらつきなんがら新宿まで行き、ネットカフェへ避難。そしたらWBCの日韓戦をやっていたので、見てしまう。イチローは、それまでチャンスに凡打の山を築いてプライドがズタズタだっただろうが、最後のヒーローに。このあたり、イチローの着ぐるみつけた新庄くんかという感じ(笑)

◇イチローが登場すると韓国スタンドからすごいブーイングが上がるが、日本のアナンサーはなんでこうなったのか説明しない。これは前回のWBCの時にイチローが「韓国は30年ぐらい日本には勝てないと思い知るぐらいの勝ち方をしたい」みたいな発言をして、それで一気に反イチロー感情になったのだろう。これは普通の日本人だったら、言わない傲慢さだろう。春道もキューピーも言わない(笑)。そのイチローに土壇場で決められたのだから、韓国では、これでますます反イチロー感情が高まるね。

◇それにしてもイチローというのは不思議なキャラクターだ。野村監督が「あいつマリナーズでも浮いてるんだろう。野球はチームプレーなんだから、それではダメだ」と言っている。日本にいた時もそうだった。極度の個人主義者なんだろう。今回の「野球にリーダーはいらない」という発言は、メンバーすべてが自分と同じようにプロ意識に徹すればリーダーのいらないチームがありうる、ということだろう。凄くよく分かるが、現実的には浮いてしまうだろう。イチローにとっては、バーチャルな「サムライジャパン」というチームが一番心地よいのかも知れない。

◇ということで亀田くんに電話して「サムライデメ研」を作るぞ、と言ったら「ハイハイ」と言われた。

◇大久保でアップフロンティアのiPhoneセミナーに行く予定だったが、終了間際になってしまった。柴田くんと菅原くんと合流して、とりあえずアップフロンティアの社長さんとは挨拶。

3月25日(水)
◇月末で支払いしたり、領収書を整理したり。各種報告書などのチェック。

◇カミさんと居酒屋へ。釜めし食べる。

3月26日(木)
◇ロッキングオンへ。ちょっと早めに出てルノワールでコーヒーと新聞。新聞というのは、読む気になればいろんな情報が読み取れるが、読まされているだけだと、とんでもない情報操作の道具となる。「新聞は日常的なことは正確に報道して信頼を得るが、それは権力が一番大事なところで嘘をつくための策略」と書いたのは誰だったけか。

◇オンブックの会議。僕の「深呼吸する言葉」の英語版のデザインがあがってきた。英語にすると、とてもシャープになる。あらためて、英語の魅力と、そして日本語の魅力も再確認できた。

Coincidences move at blistering speeds
Inevitability stands still in a familiar setting.

偶然は猛スピードで疾走していく。
必然は見慣れた風景の中にたたずんでいる。

3月27日(金)
◇浅草橋のカルディアへ行く。ラングの大江、石田くんらと打ち合わせ。ラングはとても頼りになるエンジニアチームだ。

◇結婚して駒沢に本籍を移すまで、僕の本籍地は台東区柳橋だった。浅草橋の駅の近く。僕は住んだことはないが、親たちの住んでいたところ。昔の東京の中心は、隅田川沿いだったのだろう。浅草橋に来たら、「シモジマ」に寄らないと。下町の東急ハンズである。

◇秋葉原のヨドバシで買い物をして、御徒町まで出る。駅前で舟和の芋ようかんを買う。母方の祖父は、浅草の方によく行っていて、帰ってくる時に芋ようかんをお土産に買ってきてくれた。僕はじいじちゃんのお土産が大好きだった。

3月28日(土)
生活装置研究所をスタートさせることにした。僕なりの来るべき社会のグランドデザインは「参加型社会」というテーマで70年代にまとめた。参加型社会というのは、好き勝手な発言をメディアを通して発することではなく、選挙を通して自分以外の人間に自分の思いを実現してもらうことでもない。ひとりひとりが自分の生活と行動を通して社会を運営していくことだ。その自覚を持てるかどうかだ。未来を感じる人たちの企画を国にぶつけていく。これが橘川幸夫の最後の仕事になるだろう。

3月29日(日)
日曜日

一週間の日記 3月23日から3月29日まで

3月23日(月)
◇池袋の島根歯科へ。もう10年ぐらい通っているな。最初に行った頃、虫歯を治療して、しばらくしたら別のところに虫歯が発見されたが、島根さんは「これはしばらく様子見ておきましょう」と治療をしなかった。以来、ずっと、見てもらっているが、拡大しそうもないので虫歯菌と共生している。一度だけ、親知らずが腫れだして、これはエイヤーと抜いてもらった。あとは、いつも、歯ぐきを見てもらって健康状態をチェックしてもらっている。一時、何度も気絶したりして最悪だった時は、はぐきが荒れていて心配してくれた。おかげさまで歯は健康。

◇終了後、うどん屋へ。田尾さんも合流。毎月、池袋に行くので、合流したい人は連絡ください。日程は不規則ですが。

3月24日(火)
◇どうも疲れが残っているためか、目黒の駅の階段のところでめまいがして、ふらつきなんがら新宿まで行き、ネットカフェへ避難。そしたらWBCの日韓戦をやっていたので、見てしまう。イチローは、それまでチャンスに凡打の山を築いてプライドがズタズタだっただろうが、最後のヒーローに。このあたり、イチローの着ぐるみつけた新庄くんかという感じ(笑)

◇イチローが登場すると韓国スタンドからすごいブーイングが上がるが、日本のアナンサーはなんでこうなったのか説明しない。これは前回のWBCの時にイチローが「韓国が30年ぐらい日本には勝てないと思い知るぐらいの勝ち方をしたい」みたいな発言をして、それで一気に反イチロー感情になったのだろう。これはイチロー特有の気合いの入れ方なんだろうが、普通の日本人だったら言わない傲慢さだろう。春道もキューピーも言わない(笑)。そのイチローに土壇場で決められたのだから、韓国では、これでますます反イチロー感情が高まるね。

◇それにしてもイチローというのは不思議なキャラクターだ。野村監督が「あいつマリナーズでも浮いてるんだろう。野球はチームプレーなんだから、それではダメだ」と言っている。日本にいた時もそうだった。極度の個人主義者なんだろう。今回の「野球にリーダーはいらない」という発言は、メンバーすべてが自分と同じようにプロ意識に徹すればリーダーのいらないチームがありうる、ということだろう。凄くよく分かるが、現実的には浮いてしまうだろう。イチローにとっては、バーチャルな「サムライジャパン」というチームが一番心地よいのかも知れない。

◇ということで亀田くんに電話して「サムライデメ研」を作るぞ、と言ったら「ハイハイ」と言われた。

◇大久保でアップフロンティアのiPhoneセミナーに行く予定だったが、終了間際になってしまった。柴田くんと菅原くんと合流して、とりあえずアップフロンティアの社長さんとは挨拶。

3月25日(水)
◇月末で支払いしたり、領収書を整理したり。各種報告書などのチェック。

◇カミさんと居酒屋へ。釜めし食べる。

3月26日(木)
◇ロッキングオンへ。ちょっと早めに出てルノワールでコーヒーと新聞。新聞というのは、読む気になればいろんな情報が読み取れるが、読まされているだけだと、とんでもない情報操作の道具となる。「新聞は日常的なことは正確に報道して信頼を得るが、それは権力が一番大事なところで嘘をつくための策略」と書いたのは誰だったけか。

◇オンブックの会議。僕の「深呼吸する言葉」の英語版のデザインがあがってきた。英語にすると、とてもシャープになる。あらためて、英語の魅力と、そして日本語の魅力も再確認できた。

Coincidences move at blistering speeds
Inevitability stands still in a familiar setting.

偶然は猛スピードで疾走していく。
必然は見慣れた風景の中にたたずんでいる。

3月27日(金)
◇浅草橋のカルディアへ行く。ラングの大江、石田くんらと打ち合わせ。ラングはとても頼りになるエンジニアチームだ。

◇結婚して駒沢に本籍を移すまで、僕の本籍地は台東区柳橋だった。浅草橋の駅の近く。僕は住んだことはないが、親たちの住んでいたところ。昔の東京の中心は、隅田川沿いだったのだろう。浅草橋に来たら、「シモジマ」に寄らないと。下町の東急ハンズである。

◇秋葉原のヨドバシで買い物をして、御徒町まで出る。駅前で舟和の芋ようかんを買う。母方の祖父は、浅草の方によく行っていて、帰ってくる時に芋ようかんをお土産に買ってきてくれた。僕はじいじちゃんのお土産が大好きだった。

3月28日(土)
生活装置研究所をスタートさせることにした。僕なりの来るべき社会のグランドデザインは「参加型社会」というテーマで70年代にまとめた。参加型社会というのは、好き勝手な発言をメディアを通して発することではなく、選挙を通して自分以外の人間に自分の思いを実現してもらうことでもない。ひとりひとりが自分の生活と行動を通して社会を運営していくことだ。その自覚を持てるかどうかだ。未来を感じる人たちの企画を国にぶつけていく。これが橘川幸夫の最後の仕事になるだろう。

3月29日(日)
日曜日

2009年03月22日

一週間の日記 3月16日から3月22日まで

3月16日(月)
◇久しぶりに横浜のアーツカレッジヨコハマ(旧・神奈川情報文化専門学校)へ行く。デメ研は、もともとこの専門学校のマルチメディア科の立ち上げプロデュースを僕がやったことからスタートした。1994年ぐらいのこと。その流れでデメ研が出来て、もう16年だ。インターネットがはじまった頃で、学校に回線を引かなければならなかったので、故・植松逸雄にプロバイダー会社を紹介してくれるように頼んだら、彼の紹介で営業に来たのが亀田くんだった。しかし、デメ研も16年。弟に「最長不倒距離だね」と言われた。そろそろ考えないとな(笑)。

◇横浜から学校までの道は懐かしい。途中、東急ハンズによって店内を散策。学校では、中村さん、四方さんと打ち合わせ。

◇横浜から渋谷まで帰って、少し時間があったので、渋谷の東急ハンズに寄る。ロフトはどこへ行っても品揃えが同じだが、東急ハンズはすこしずつ違うのが面白い。システムで品揃えしているか、人間が介在しているかの差だな。何にも買わなかったが、ハンズをブラブラするのは楽しいし、時代感覚に触れることが出来る。

◇虎ノ門へ向かい、文科省へ。報告と打ち合わせ。

3月17日(火)
◇恵比寿の公番前で村松恒平と待ち合わせ。チャモロでオムライスを食う。そのあと二人でメタブレーンへ行き、太田さんと談笑。村松の新刊「達磨」がもうすぐ出る。新刊の宣伝をしようと思ったが、村松のサイトにもまだ案内が出てないな。村松くん、相変わらずひょうひょうとして、「ヘタウマを世界に売りたい」と言っていた。彼の絵は独特な味があるので、いつか使いたい。

◇恵比寿前公番に戻り、妹尾美恵さんと待ち合わせ。喫茶店で、いくつか作業打ち合わせ。彼女は、橘川の新規プロジェクトについてのパートナーだ。橘川のひらめきに対応するのは大変だと思う(笑)。

◇銀座で清水さんと待ち合わせて、「砂漠の薔薇」へ。来月、FACTAの阿部重夫さんの「有らざらん2」がオンブックで発行されるので、その出版パーティに合わせて、久し振りにデメ研パーティをやろうかと思ってる。いくつか箱を調べている。昨年の3月は、鶯谷の「東京キネマ倶楽部」だった。

◇帰りに銀座の東急ハンズに寄る。人体型のアイロン台を買う。

3月18日(水)
◇滑川、来社。いろいろ作戦会議。

◇四本淑三が来社。0.8秒の塔山くんも合流。音楽流通状況のレクチャーを四本に受ける。そのあとカミさんも交えて、近所の居酒屋へ。

3月19日(木)
◇早朝、目黒からお台場へ。埼京線が電車事故で、なかなか電車が来ない。お台場の都営団地に住む両親が品川のケアハウスに引っ越しするので手伝い。弟夫婦がいろいろやってくれたので助かる。母親の手をひいてタクシーに乗り込み、品川駅あたりでランチしようと思ったが、ビジネスマンの町になってしまったので、老人相手に入りやすい店がない。あまりウロウロも出来ないので、ニューヨークスタイルのカフェに入る。

◇ケアハウスは、設備も充実、立地も良い。お台場のアパートは、窓の外が海岸という最高の立地だったが、それも思い出だ。東京で生活する限り、引っ越しは宿命だな。僕も、四谷・東中野・駒沢・目黒と移動してきた。

◇引っ越しの掃除中に弟が、僕の「母子手帳」を発見した。年代物の基調なメディア。

橘川幸夫
出生の場所 新宿区信濃町35番地
分娩日時 昭和25年2月4日午前4時31分
(予定日は1月27日)
体重 2830グラム
分娩医師 菊池和江

本籍 東京都台東区浅草柳橋一丁目三十一番地
現住所 東京都新宿区四谷若葉町二丁目十一番地

◇配給物資記事欄というのがあって(笑)
「綿・ガーゼ交付」とか「牛粉交付」とかある。粉ミルクのことだろう。
◇「木炭特別配給申請書」とかあるが、切り取られてないので使わなかったのか。
◇「出産祝賀 菓子購入券」とかもある。こういう時代にこういうサポートがあれば、
税金の使い道も実感できたのではないか。
◇出生の場所は信濃町の慶応病院。まだ病院で生まれるのが珍しかったのではないか。
家と一番近かった病院だったからだろう。
◇母親のメモがあって
「昭和26年5月1日 幸夫、外に出てヨチヨチ歩き出す」
「昭和26年6月20日 ようやく「ハイ」のお返事が出来る様になってきた。まだその他話すことが出来ない」とある。

なかなか不思議な気分である。
菊池先生、ありがとうございました。

◇午後から仕事なのでタクシーで学芸大学に向かう。オンブックの会議。三井不動産S&E総合研究所 編の『地活な人々 こころ豊かに地域活性化』がようやく印刷屋さんに入れられた。8か月くらいかかって作った本。全国それぞれの場で頑張っている人たちを紹介しながら、つながっていこうという本だ。地域活性化をテーマにしてる方は、ぜひご一読を。僕らも、ここから次のつながりを求めていきたい。

◇blobloの会議で、深水くんたちが来たが、橘川はバテて喫茶店でウトウトしてた。終わってから深水くんたちを恵比寿のガオに連れていこうと思ったが、留守だった。

◇DNPがジュンク堂を買収した。いやはや、書店はトップの紀伊国屋をはじめとして、どこも構造不況。勢いのあったジュンク堂も、イケイケのつけが回ったか。ジュンク堂の帳合は大阪つながりの大阪屋だが、影響あるかも。DNPは丸善、TRCと買収した時はRFIのことだと思ったが、ジュンク堂まで傘下にするとは、書店再編の核になるな。デジタルサイネージとか関連ビジネスもあるし。既に、トとニの傘下になった書店も多いので、最終的にはこの三つの核に書店は収斂されるかも。あとは、ビレッジバンガードとか小さな専門書店ということだな。本は売れないけど、書店というスポットはまだまだ可能性に満ちている。

3月20日(金)
◇休日。朝からカレー作って、お風呂に入りながら昼風呂入りながらWBCを観戦。僕のような単なるアンチ巨人は、日本対韓国というのは居所悪いな(笑)

◇明日、セミナーがあるので、レジュメを作る。パワポで25頁ほとになった。

◇PSPのモンハン、もう一人で戦うには限界のところまで来たのかも。村長にもそう言われた(笑)。

3月21日(土)
「みが」のセミナー開始。午前中は、滑川のIT英語塾。午後から橘川のレクチャーがはじまる。10数人の濃いい参加者があり、僕も飛ばしまくる。ほぼ3時間、しゃべり続けでノドが枯れる。僕の考えているところ、思い、展望はだいたい語った。あとは具体的に実施していくだけだ。

◇生活装置研究所の名前をはじめて出した。最初は「社会装置研究所」だったけど、昨日、山手国広さんが夢枕で名前を変えてくれたのだ。

◇終了後、お茶の水で0.8秒の二人と会い、日販の会議室で柴田くんを交えて、打ち合わせ。もうすぐ、「Zoo & LENNON」というアルバムが登場する。期待して待て。サンプル視聴はとりあえずこちらで。

3月22日(日)
◇桜が咲いたらしい。カメラを持って町に出よう。

◇山下卓から新刊「ノーサイドじゃ終わらない」(エンターブレイン)が送られてきた。560頁ある大作だ。最近の物書きはなんだかサラリーマン仕事のように予定調和的に文章を仕上げるが、山下を近くで見ていて、そうではないことを知っている。本来の小説家の生き方をしているのだと思う。山下とごくたまあに会うことがあるが、会わなかった時間で成長していることを感じる。とゆーことで、この大作を読むことにしよう。

2009年03月15日

一週間の日記 3月9日から3月15日まで



◇みんなの学校。橘川のセミナーは3月21日にあります。

◇blobloが公開されました。まだ試験走行ですが、試してみてね。


3月9日(月)
◇熊本城は広い。戦う城という感じだな。

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◇インサイトコンサルティングの槇本さんの講座を行う。会場はスターライトカフェという結婚式とかが似合いそうなパーティホール。槙本さんの、話はとても分かりやすく面白い。ちなみにインサイトの社長は早川さんといって、あの早川義男さんの甥っ子。

◇ホテルに戻って温泉。どうも湯あたりしたかも。

3月10日(火)
◇「からしレンコン」「干しタケノコ」など、地元の物産をお土産に。地方都市に行くと、デパートの生鮮売場とか普通のスーパーに行くことにしている。

◇熊本空港は市街から遠い。熊本から羽田へ。亀田くんは、僕の数倍、日本各地を旅しているが、体力、よく持つな。今回も亀田くんがインターネットプロバイダー協会の事務局長の仕事が忙しいのでピンチヒッターである。

3月11日(水)
◇財布を落とす。公番に行ったが、カードも名刺も入っていないので無理だろう、と言われる。パソコンのデータが消えてしまったような感覚(笑)

◇滑川海彦来社。いろいろ相談。市川にも入ってもらう。

◇菅原くん来社。菅原くんのニックネームは「ワラくん」だ。

◇ログ株式会社アースの石川社長来社。ナカカブの実践者だ。僕も顧問の名刺もらいたい。

◇会計士の西山・武田さんが来社。カミさんも交えて、「日比」へ。

3月12日(木)
◇ロッキングオン会議。もう1年半か。速いな。インターネットをとりまく環境も、ものすごい勢いで変容している。このスピード感はROCKと似あうかも。

◇野澤さんと一緒に読売新聞社へ。教育について、情報交換。

◇丸の内マンハッタン方面を歩いていたら、やたらとごっついマスクをかけている人が大杉。風邪なのか花粉症なのか。防衛本能の強い人が、あの周辺には多いのだろうか。

3月13日(金)
◇博報堂の「広告」が届く。雑誌に名前が載るのは久しぶりだなあ。

◇出張の飛行機の中で考えたプランをカミさんに説明する。今年の4月から、いろんなことが変わる。個人的にも世の中的にもね。

◇iPhoneをいろいろいじくっているが、なんだか、ケータイもPSPもパソコンも、みんなこのプラットホームに合流してきそうな勢いがあるな。とりあえず、僕も新しいコンテンツを開発中だ。

3月14日(土)
◇日販の柴田くんが羽田からデメ研へ。今週は、九州に行ってる仲間が多い。沖縄の城田さんも合流。城田さんは、沖縄でディミュージックエンタティメントをやってる。スタジオを作って、沖縄のインディーズのオーディションをやって、バンドを育てている。僕らがやろうとしていることと共通する点があるので、連携していく。城田さんからは、音楽流通のことなど、いろいろ教えてもらう。

◇周平も来社して、みんなで近くの居酒屋へ。和食とイタリア料理がメニューに並んでいる不思議な店。

3月15日(日)
◇21日に「戦後社会の崩壊と広告ビジネス」の講義を行う。広告関係者の方に限らず、この機会においでください。みんなの学校は、続々と新しい講座をやっていくので、ご注目を。昨日の話では、周平も四谷の廃校活用で学校をやるようなので、連動したい。ミガでの講座は、全国へ出前も可能なので、日本各地でやりたい。リアルテキスト塾も11期生募集開始。


2009年03月05日

一週間の日記 3月2日から3月8日まで




◇みんなの学校。橘川のセミナーは3月21日にあります。


◇blobloが公開されました。まだ試験走行ですが、試してみてね。


3月2日(月)
◇大手町の読売新聞へ。オデコの活動について説明をする。

◇今北産業の役員になるので(笑)印鑑証明を取りに中目黒の区役所へ。中目黒の東急ストアの横に、えらく安い八百屋がある。なんか「業務スーパー」とか「肉のハナマサ」みたいなのではなくて、家族で安い品物を売ってるような店が好きだな。

3月3日(火)
◇大阪から山北さんが上京して、亀田くんらとオデコの会議。

◇金子くん来社。音楽流通について調整。

3月4日(水)
◇麻布十番に行って、高山英男さんと定食屋でランチ。その後、コーヒー。昔、ちょこっと、子ども調査研究所にいた黒川創くんが読売文学賞を受賞した話題や、手塚治虫さんが無名の頃に宝塚でアルバイトしていて、機関紙に書いたイラストがある、とかいつものように高山さんとの話は楽しい。子ども調査研究所は60年代から日本の子どもマーケティングの中心にいた会社で、それぞれの時代の調査データが集積されているので、いつかアーカイブにしたいと思ってる。ここ数年、子どもたちの教育の現場を目撃することが多くなったが、教育の主役はあくまで子どもたち自身であるということを忘れてはならないと思う。携帯電話を作ったのも大人たちだし、それを取り上げようとしているのも大人なのだ。今の子どもたちの本質を、一度、ちゃんと議論したいと思う。それは学校の先生たちも交えてやりたい。高山さんと橘川が中心になって、シンポジウムを企画します。

◇夕方、高橋朗が来社。元マインドシェアの若い二人を連れてくる。一昨日、こんな画面を発見したので、高橋に連絡したら、来ることになった。今日は、お昼に高山さんと会って細胞が活性化していたところなので、3人に最近の活動をしゃべりまくる。そこへ前田真人さんがやってきて、うちのカミさんも加わって、みんなで庄屋で盛り上がる。前田さんは、1981年、僕の処女作「企画書」を読んで連絡してきてくれた。当時、彼は第一期のベンチャークラブの幹事みたいなことをやっていた。自身もベンチャーを立ち上げて、いろいろ面白いことも悲惨なことも体験した。やたらと「バカヤロウ、コノヤロウ」を連発する前田さんに、いつもは「バカじゃないの」を連発する高橋もおとなしめだったが、そのうちなんだか分からない会話になってきた(笑)。結構結構。前田さんとは、「情報新党」の構想メンバーである。

◇数年前、戦後の組織論とこれからの社会構造について単行本にまとめようと思って書いたいた原稿がある。それは日本の企業組織がどのように成長し、腐敗し、発展したかについての論考。その原稿は完成させないで、やめてしまった。当時は小泉改革の時代で、組織論を考えれば考えるほど、小泉さんの悪口に終始しそうになったので、こりゃあ精神上よくない、と思ってやめたのだ。でも、今は、それをまとめなければならないと思っている。戦後組織の次の組織のあり方、ビジネスのあり方を考えるためにも。でも、実際は考えれるより先に、はじめてしまうんだろうが(笑)

◇エネルギーのある人が、時々、僕のことを思い出してくれて、会いに来てくれるというのは幸福な状態だ。

3月5日(木)
◇朝、早めに出て代官山から猿楽町の裏道を通ってロッキングオンへ。この辺、昔は何もなかった住宅地だったが、今は、おしゃれな店が裏道にぽつんぽつんと存在する。猿楽町の乗泉寺は母親が信仰していた寺なので、小学生の頃、よく連れてこられた。

◇ロッキングオン会議。今、出版界の経営者で、インターネットの本質を一番わかっているのは渋谷だろう。

◇午後からオンブックの会議。なんだか、凄い出版企画ばかり動いてるな。たくさんは売れないだろうが。今年の春ぐらいをメドに、いろいろと体制を整理する予定。デメ研は最終的にどうなるんだろうか、決めかねている。

◇西松事件がなければ、90%以上の確率で小沢政権が出来ていた。それをこの時点で潰したということは、いわば政権転覆(クーデター)である。発展途上国で反米政権が出来ると困るアメリカがよくやる手だ。小沢さんは反米ではないにせよ、アメリカの言うことをまるのみにするタイプではない。アメリカの経済破綻で頼れるのは日本だから、言いなりになる政権でないと困るのだろう。事件の勃発が、西松の海外での裏金工作であるということが事件の首謀者を暗示している。アラブゲリラのマネロン対策で、世界中の金融関係のログをアメリカは分析しているからだ。ロッキード事件とまったく同じ構造だ。情報が与えられれば、検察は動かざるを得ない。小沢が好きとか嫌いとかいう問題ではない。普通に考えれば不条理な状況を、マスコミもそれを素直に受け取ってしまう人たちも、いったい、何者なんだろう。情報化社会は、すべての人間が情報的に裸にされてしまう社会である。昨日、酔っ払って立ち小便をしたことが監視カメラで撮影されているかも知れない。誰でも、権力の恣意的な逮捕から免れないのである。こういう社会だからこそ、行使された権力については、みんなが意識的に目撃する必要があるのに。日本の行末を思い、暗澹たる気持ちになる。

3月6日(金)
◇北海道へ。意外と暖かい。ホテルはすすきのジャスマックプラザ。じゃらんで温泉付きで探した。一階にコンビニがある。地方都市に泊まる時は、コンビニと100円ショップの場所を探す。

◇オデコのセミナー。講師は池江さんだ。池江さんは元F4の戦闘機パイロットで、「読書のすすめ」の清水さんに紹介されて、いろいろと講師をお願いしている。

◇終了後、池江さんや参加者の皆さんと、すすきので宴会。北海道は魚がうまい。ここの参加者のみなさんは、もちろん僕のことなど知らないので、普通の会話が出来る。僕の読者の人たちだと、どうしても変な視線を向けられるので(笑)むずがゆいことがある。それはそれで、自己紹介する必要もなく、いきなり本質的な話が出来るので楽しいものではあるが。

浅田一憲くんと連絡とりあったので、どうせならと、この会合に呼ぶ。浅田くんは、リアメテキスト塾の塾生だった元NTTデータの久松くんの紹介で知り合ったが、高校生の頃にロッキングオンの僕の文章を読んでくれてた人だ。

◇終了後、浅田くんの案内で、近くのピストロへ行く。店の雰囲気もマスターの表情も料理もとても良い。浅田くんといろいろ話しこむ。浅田くんは北大で博士号をとってから、今は慶応の方でメディアデザインの博士課程に在籍している。

3月7日(土)
◇札幌での仕事は終わったのだが、次のセミナーが月曜日に熊本なので、土日は地方都市でゆっくりすることにした。札幌は雪だ。雪の中で、ジャスマックプラザの露天風呂に入る。てゆうか、温泉三昧。

◇アカスリをやってもらう。アカスリが本格的に登場したのは80年代後半だろうか。最初に入ったのは後楽園サウナ。アカスリをしてくれたのは、東南アジアの少年だった。その後は、だいたい、どこでも、おばさんになった。
僕「アカって、年齢によって出方は変わってくるんですかね」
おばさん「年齢はあんまり関係ないみたいだね。脂性の人がアカの量も多いみたい」
僕「ぼくはどうですか」
おばさん「少ない方だね」

◇女性は年をとってもサービス業での仕事はありそうだ。今後も拡大する業種だし。男性は管理する仕事ばかり経験してきたので、会社なくなったら仕事は探しにくいだろう。

3月8日(日)
◇札幌から千歳までは遠い。飛行機は早いが飛行場までのアクセスが面倒だな。凡は博多からも飛行機ではなくて新幹線で帰るが、高円寺あたりに住んでいると羽田からとても帰りにくいからだ。しかし、それでも新幹線で博多から東京駅に帰る方が大変だと思うが(笑)

◇千歳から博多へ。すがすがしい空で、いつもは雲しか見えない列島が、くっきりと見える。あれは岩木山だな。岩木のおろしが吹くなら吹けよ、と高校生の頃に山で歌った。日本は狭い、制空権の意味を実感する。機中、さまざまな思いが噴き出してきて止まらなくなった(笑)。愛国心というのは政府に対する愛ではなく、ここにいるすべての人たちに貰い、捧げるものだ。かつて、アメリカの言うことを聞いてれば間違いはない、と言ってのけた外務官僚がいた。日本を支えてるのは自分の会社だ、と豪語したトヨタの社長がいた。財閥富を誇れども社稷を思う心なし、という歌を大学生の頃に歌っていた。高揚の理由の背景は昨今の権力者たちの無理無体があるが、個人的には、北海道へ行く前の日に前田さんと会ったことと、札幌で浅田くんに会ったことがある。二人ともベンチャーで成功して、そのあとサテツを踏んだ。二人とも橘川が20代に書いた文章を読んでいてくれた人である。前田さんは、「この状況の中で橘川の考えてることを知りたいんだ」と言って、会いに来てくれたのである。結論。もう一度そこにたち戻って、やろうと思う。ロッキングオンもポンプもやめて、その時やろうとしたことをやろうと思う。飛行機の中で、名刺の裏にヴィジョンをメモしまくる。

◇福岡空港から電車で熊本に行こうと思ったが、直行バスを発見したので、バスに乗り込む。バスの中でも、携帯電話であちこちにメールする。せわしないな。のんびりパス旅行でもすればよいのだが。しかし携帯電話の利便さは、ますます凄くなって、依存度が高くなっている。やばいかも。グーグルの新しい携帯マップは使いやすいし、GPS使うと、自分がどこにいるか分かる。地方都市でよく迷子になる僕としてはとても助かる。

◇熊本は昨年、黒川くんのところに来て以来、2度目。こないだは熊本駅のそばに泊まって、駅周辺には何もないことが分かり、今回は市内のドミーイン熊本へ。全国展開しているホテルはいろいろあるが、ドミーインは良質な方だと思う。アパよりは(笑)。こちらも屋上に露天風呂がある。温泉三昧。どうも、湯あたりしたかも知れない。だるくなってきた。

2009年03月01日

一週間の日記 2月23日から2月29日まで

2月23日(月)
◇雨の日の霞が関。目黒から内幸町で降りて駅の地図を見ると、経産省がまだ通産省のままになってる。亀ちゃんと合流して、いろんな部署をまわって打ち合わせ。役所に来るといろんな刺激を得る。終了後、亀ちゃんとトンカツ屋でランチ。

◇下北沢で日販の柴田くんと打ち合わせ。そのあと「0.8秒と衝撃」のライブ。はじめて見るライブ。彼らの曲は頭に残りやすいので、客席で一緒に歌う感じ。そうだな、ライブって、聞いたことのないバンドはなかなかのれなくて、一緒に歌えるところが良いのだな。終了後、15人くらいで近くの居酒屋へ。0.8秒の仲間たちも合流して、橘川のアジテーション(笑)。「0.8秒と衝撃」のファーストアルバムを制作中。僕が生まれてはじめてライナーノーツを書いた。乞ご期待。音のサンプルはこちら

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▲0.8秒と衝撃

◇ライブを一緒に行った久米信行くんが帰り道、車で送ってくれた。久米くんも元ロック少年(笑)。車中、いろいろとおしゃべり。

◇帰ってパソコンを開くと、スタンフォードで活動していて、シリコンバレーを拠点に動いている西村由美子さんからメール。彼女に仲介してもらってアメリカ人に依頼していた作業が完成。深呼吸する言葉の翻訳だ。英語は苦手な僕だが、それでも自動翻訳と文学が分かる人間が訳した英語の美しさの違いは分かる。さっそく、フレンドリーのサークルサイトを使って、頁を作ってみる

2月24日(火)
アーツカレッジヨコハマ(旧名・神奈川情報文化専門学校)の四方さんが来社。デメ研の株主の学校。いろいろと今後のことについて相談。

◇霞が関に行く。昨日とは違う官庁だ。霞が関には、やはり優秀でセンスの良い人が集まってる。僕は基本的に人間の中身しか見ないから、ニートだろうと官僚だろうと、面白い奴は面白いし、つまらない奴はつまらない。

◇西村さんと、恵比寿のガオで待ち合わせ。お礼を言う。英語化は西村さんとの雑談から出た話だけど、昨今の社会構造の変動に直面して、こういう考えで進もうと思う。トヨタやパナソニックの巨大企業組織の拡張スタイルが挫折しつつある。この先、第2のトヨタは現れない。単独の企業組織がグローバルに拡大することは、ネタ的にもマーケット的にも、もうありえないのである。では内需で、これまでの生産性を確保出来るか、というとそれも無理。そして、僕らは急激に生活レベルを縮小することも大変だ。方向性は一つ。トヨタや日本商社が築いたグローバルマーケットビジネスのノウハウを、中小組織や個人に継承して、次の動きを開始することだ。音楽の世界では、ダウンロード販売という形で、個人が世界を相手にビジネスすることがはじまっている。日本の小規模な企業や、生産農家や、個人レベルのフーティストが、そのまま世界に向けてビジネスを展開していくべきだ。これは「焼きそばパンの逆襲」以来の僕のテーマである。そして、それを実現するというためにインターネットの普及がはかられたのだ。Shinkokyu suru Kotoba は、そのスタートに位置づけたい。

◇日本の大企業が組織を縮小して、海外の支社を閉鎖して一人だけ駐在員を残して全面撤退している。そうではないだろう。世界でやるべきことが残っているはずだ。大企業の戦後の経験を次世代に継続させるべきである。Shinkokyu suru Kotobaは、とりあえず、iphoneとオンブックで世界向けに発信する予定。

2月25日(水)
◇野沢さんが来社。また大きなプロジェクトを大きなカバンに入れてきた。とても面白いし、僕らの動きと連動出来る。

◇0.8秒のライブに来た鹿児島の深谷くんが来社。野沢さんと3人で、学芸大学の越前でそばを食べる。野沢さんと橘川の壮大な話は深谷くんには刺激ありすぎだったかも(笑)

◇野沢さんと別れた後に、深谷くんと喫茶店「平均律」で中国茶。カバンの企画を相談していて、究極のバッグを考えつく。試作品を依頼。

2月26日(木)
◇市川くんと渋谷で待ち合わせてロッキングオンの会議へ。今週は動きまわったり深夜作業も多かったので、木曜日の朝、渋谷の坂道はきつい。

◇午後からはオンブックの会議。オンブックで出版講座を準備中。

◇新橋のペーパーメディア研究所へ。青山社長、教育支援協会の吉田さん、ブラジルの深水くん、長田くんらと会議。blobloは、もうすぐ正式リリース。

2月27日(金)
◇アポなしの日。やるべきことがたくさんあって、しかも、誰かに任せられないものばかり。しかも、作業しながら、次から次へと新しいイメージがわいてきてしまう。どこかで総量規制しないとやばいかも(笑)

◇3月21日のミガで、橘川幸夫のレクチャーやります。博報堂の「広告」という雑誌でインタビュー受けたのですが、誌面が狭くて、なんのことか分からない点もあるので(笑)「戦後産業構造と広告ビジネスモデルの崩壊」をテーマにした、これからの広告ビジネスのあり方をまとめた話をやります。こういう状況だからやれることがあるはず、とファイトを燃やしている広告関係者に集まってもらいたい。詳細は、もうすぐミガのサイトで公開されます。

2月28日(土)
◇柴田くんが来社。いろいろ打ち合わせ。

◇菅原くん来社。彼は4月からデメ研のメンバーになる。

◇鈴木敏行さんが来社。鈴木さんは鹿島建設に勤めていた1981年に、僕の処女作「企画書」を読んで連絡をくれて、それ以来の友人。現在はアキバテクノクラブを仕切ってる。
3月12日に「アキバ学のススメ」というイベントやる。

◇カミさんと鈴木さんと3人で、近くの韓国家庭料理のサンジュへ。鈴木さん相変わらずいろんな情報を持ってる。

2月29日(日)
◇日曜日は僕にとって放課後みたいな日。何をしてもよいし、何をしなくてもよい。ホフ・ディランを聞く。

◇夕方、会社で仕事しているカミさんと、寿司屋へ。「しいたけのウニごはん」というのが美味しかった。