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社長日記

2008年08月24日

一週間の日記 8月18日から8月24日まで

8月18日(月)
◇早朝、品川でコーヒーを飲んで新幹線で京都に向かう。僕のようにあまり東京から離れない人間でも新幹線にはよく乗るようになった。東京の他の私鉄よりははるかに乗る回数が多い。松下電器の人たちは、毎週往復している人がたくさんいた。新幹線は間違いなく、関東の文化と関西の文化を混濁させた。

◇京都駅の中にあるホテル・グランビアのラウンジで、大阪デメ研の山北さんと、未来検索ブラジルの杉本恭子ちゃんと待ち合わせ。お店が満員で、イノダへ。山北さんは、僕の企画の図面師。僕が思い付きで発想したメモやポンチ絵を、外に出して恥ずかしくないスタイルにまとめてくれる。パワポの本(パワーポイントでつくる「通る」企画書/インデックスコミュニケーションズ)も出してるし、山北さんの作ったパワポのフォームは、あちこちで使われている。きょうこちゃんは、最近、またブラジルに復帰した。二人とも、東京の仕事がメインだが、関西で生活している。京都は、独特の蒸し暑さだ。暑さがまとわりついてくる。

◇ホテルにチェックインして、漢字検定協会に向かい大久保くんと会う。タクシーで市内を移動しつつ、百ます計算の陰山英男先生と、IEインスティテュートの西澤社長らをピックアップして、貴船へ。山の奥深い沢筋に河床がしつらえてあって、次から次へとごちそうが出てくる。陰山さんは初対面だが、テレビで見るように迫力ある饒舌家だが、なんと、高校の時に渋谷陽一のラジオを聞いてて、本当はDJになりたかったそうだ。沢の水が冷たい。

◇そのあと、みんなで祇園へ。楽々の中田さんの案内でお茶屋さんへ。祇園なんて、バブルの頃に地上げ屋さんに連れてきてもらって以来だ(笑)。残念ながら、酒が飲めない。大久保くんも下戸で、酒のないのはかなり寂しい。飲めなくても盛り上げるのは、さすがにプロの芸妓さんだ。京都を堪能。

◇祇園が「一見さんお断り」というのは、排他的なのではなくて、知らない人にはサービスが出来ないからだろう。通行人を相手にするだけの東京の店の感覚ではない。京都に育った人たちの、いわばSNSみたいな空間なのだと思う。「インターネット・モデル・ビジネス」の観点からすると、こうした空間SNSは、もっと考えられてよい。

◇福岡正信さんが、95歳の老衰で、おなくなりになった。戦後思想家として10人の中の一人に入るだろう。とても大事なことを考えて、教えてくれた人だ。思想とは実践行為に結びついて初めて輝き出す。町にいて田舎を思い、田舎にて町を思う若き福岡さんの魂は永遠だ。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

8月19日(火)
◇京都のホテルを出て奈良へ。奈良駅に寮美千子さんが自転車で待っていて、僕も駅前でレンタル自転車を借りる。寮ちゃんは、相変わらず若々しい。もう25年前からの知り合いだが、数年前から奈良で作家生活をしている。中学の時に修学旅行で来て以来だが、あの頃よりも、はるかに洗練された町になっている。寮ちゃんの作詩した「まんとくんの歌」が商店街から聞こえてくる。

◇松島くんと合流して、ランチ。松島くんは、NTTデータの時代にツダーリンが連れてきた。僕の昔のロッキングオンの原稿を渡してテキスト入力(写経)をしてくれた人だ。その後、アットコスメの役員になったが、数ヶ月前に、メールが来て、実家の奈良・安養寺という古寺を継ぐことになった、と。こうして東京で知り合った人が日本各地に展開してくれることは頼もしい。奈良の古い町屋を改造したおしゃれな雑貨屋さんやレストランがたくさんある。行ったのは、「沖縄フレンチ」。沖縄フレンチとは聞いたことがないが、沖縄の素材を使ってフレンチにアレンジした料理。これを奈良で食べるところが凄い。とてもおいしかった。

◇おしゃべりも尽きずに、奈良を後にする。京都への電車の車窓から見えた空の雲がとてもきれいだったので途中下車。一駅分歩こうと思って線路沿いを歩きだしたら、結局、道に迷ってしまい、なんとか二駅先に辿り着いた。地方に行くと、いつも同じようなドジをやらかす。知らない土地を歩くのは大好きなのだ。

◇ホントは、どこか温泉で一泊して帰ろうと思ったが、なかなか一人で泊まれる温泉って少ないんだよな。東京から、温泉に行って帰ってくるというのは、とても無駄な時間なような気がするが、どこか遠方に行って帰り道に温泉に寄るというのは無駄がない感じ。温泉あきらめて、まっすぐ東京に帰る。しかし、旅行で携帯電話が必需品になった。単に連絡とりあうだけではなく、当日に旅館探して予約申し込みから、乗り換え案内まで携帯電話に頼り切り。mixiや深呼吸の書き込みも携帯。

8月20日(水)
◇オンブックの決算処理。もう5年経つんだな。

◇夜、オンブックの創立時に協力してくれた、元野村證券の中村さんが来社。韓国料理を食べる。

8月21日(木)
◇久しぶりに「ロッキングオン」の会議に参加。

◇「オンブック」も夏休み明けの会議。「教育CSR会議」のメンバーで、地域活性の本を作ることになったので、編集会議。

◇会計士の西山くんが来社。カミさんと3人で近くの料理屋「兆八」へ。西山とは、80年代からの付き合い。慶応大学の学生時代に公認会計士の資格をとった男だが、それは、卒業してから故郷の岡山に帰りたくなかったので、懸命に資格を取ったということらしい。カミさんも新潟出身なので、西山の気持ちが分かるらしいが、僕には分からない。二人で、田舎がどんなに面倒でいやらしいものかを話してた。

8月22日(金)
◇朝、滑川海彦が来社。「セカンドライフ」をテーマにしようと意見一致。今更と思うだろうが、ふふふふ、こういう時に、橘川の発想術の本領が発揮される。滑川と、「与志田」で蕎麦を食べて、「平均律」で中国茶。

◇フレンドリーの後藤くんと、永井義人くんが来社。永井くんは、かつてリクルートにいて、「ボトルメール」を開発した。深呼吸のアウトプットとしてボトルメールが使えるんじゃないかと思って、検索してたら、まだやっていて、ブログツールで提供していた。インターネットの初期に話題になった連中が生き延びていて、これから何か一緒に出来るかと思うと嬉しい。

◇ソニーデジタルの福田さん来社。昨年、100%ソニーの子会社として独立した携帯コンテンツの会社だ。カミさんも含めて、3人で「豚しゃぶ」を食べに行く。福田さんは、企業社会では珍しい、自分の好奇心に忠実に動く人で、とてもコマメだ。これからの経営者に必要なのは、コマメさだろうと思う。会社でふんぞり返ってるのは、政治家でも官僚でも経営者でもダメ。生きてる現場の中で感じながら考えないと。

8月23日(土)
◇リアルテキスト塾。今回で10期目だが、毎回、集まってくる人たちのキャラで塾の雰囲気が変わる。9月からは、専門学校での授業がはじまるので、11期生は、しばらく延期だな。

◇塾の終了後、RO69の裏方運営チームと食事。釜飯がおいしい店。なんだか、今週は、毎日、ごちそう食べてたみたいだ。

8月24日(日)
◇一日、寝床。雨が降っていて、なんだか夏があっけなく終わりそうだ。そういえば、昨日、釜飯の帰り道で塚ちゃんが「夏の終わりに急に寒くなると、台風が来ないんですよね」と言ってた。季節も自由にやればよい。僕も自由にやる。

◇このブログが「後ろ向きブログ」として充実しているのをご存知だろうか。ムーバブルタイプのブログは日付を任意で入れると、そのまま登録されるので、橘川の古い原稿を、このブログに集合しようとしている。デジタルになっていない本の記事などがあるので、入力してくれる協力者を求む。

◇1978年、僕が「ポンプ」を創刊した時の気持ちが残っていた。

2008年08月17日

一週間の日記 8月11日から8月17日まで

8月11日(月)
◇僕はほとんど旅行をしない人なんだが、10年ほど前に博報堂の仕事でタイのバンコクに行った時に、ジャンクな店で売ってた香港ポップスのCDを買って、気にいってしまった。時々、アジアン・ポップスを聞いたりしている。

なんつーか、明るいメロディーなんだけど、声がもの悲しい。最近のお気に入りは、テレサ・フー。香港のモームス出身だが、モリタカの初期と、あゆと、椎名林檎が合わさったような(笑)こういうビデオクリップが流れるMTVがあれば良いな、と思う。 香港の通販でCDを注文したが、まだ届かない。

8月12日(火)
◇お茶の水の日販へ。日販の横にあった「滝沢」がなくなって定食屋になっていた。新宿西口のヨドバシの隣の地下にあった滝沢も潰れて、東口の滝沢もこないだなくなった。いずれも、長年愛用していた空間だ。東京の喫茶店がカフェに駆逐されていく。安いコーヒーで長時間ねばられるだけの商売ではやっていけないのだろう。滝沢は全店廃業の模様だ。

◇元滝沢で日販の柴田くんとランチ。沖縄検定の本をいただく。沖縄検定の企画協力にデメ研がクレジットされている。

◇大手町の野村ビルにある漢字検定協会へ。大久保くんと情報交換。彼の企画力と人脈形成力は素晴らしい。コミュニケーションに一番必要なことは「こまめ」さである。

◇オリンピックはあまり話題にならないな(笑)なんだか「東京オリンピック」を思い出す。あの時も、欧米の各国は、今の日本が中国を見ていたように見ていたのだろうか。

◇中国にとって、かつて日本は、辺境の野蛮国であった。長い繁栄の歴史は、日本に技術を教え、文化を教える立場として優位にあったはずだ。しかし近代化の時代において、中国は欧米列強の植民地支配にさらされたが、島国であった日本は逆に農業封建主義から工業近代化へのシフトを上手に乗り切った。かつて属国扱いであった辺境の民が大陸を支配しようとするのと、全く見たこともない欧米人が大陸を支配しようとするのでは、中国人の受けとり方も違ったのだろう。

◇中国人はある意味、合理主義である。自分の利益になることであれば、何でも受け付ける。戦後の中国が共産主義を選択したのも、その選択だけが、欧米の植民地支配から一気に解決出来る道だったからだろう。毛沢東語録が論語になった。米ソ冷戦の中でソビエトと提携することにより、欧米のうるさいハエたちが作っていた租界地を取り戻せたのである。

◇そしてソビエトの崩壊。共産主義を内包しつつ、アメリカ型の資本主義の手法を受け入れることになった。それは中国にとって、共産主義は理念ではなくて、欧米帝国主義と対峙するための便宜的な手法だったからである。さて、これからの中国はどういう方向に進んでいくのだろうか。

◇今、日本は原油高とかで物価の高騰問題が騒がしい。政治家もマスコミも庶民も、みんな大げさに騒ぐ。しかし、ここ15年ぐらいで、あらゆる商品の価格が劇的に安くなった時、誰も、それを大げさには喜ばなかった。テレビが1万円で買え、靴下が4枚1000円で買えても、誰もそのことに感謝することなく、当然の権利のように振る舞った。その激安状況を生み出したのが中国の労働力だったのだ。

◇日本は戦後の荒廃の中「朝鮮特需」(朝鮮戦争による特需)で高度成長の基礎を作り、「ベトナム特需」(ベトナム戦争による特需)で高度成長を加速させた。そして、ここ数年は完全に「中国特需」(中国の高度成長による特需)で潤った。造船業界は現在、未曾有の発注景気にわいている。中国の貿易船の発注ラッシュだからだ。鎖国を捨てた日本の近代は、世界の動乱と繁栄をエサにして太ってきたのだ。

◇中国人が日本に来て、日本の神社仏閣に感動するのだということを聞いた。そこにあるのは、かつて中国の文化が栄えた時代そのもののレプリカだからだ。中国では文化大革命ですべて壊してしまったものが日本に残像として残っていることに、ある種の懐かしさを感じるのだろう。

◇僕はかつて京都の呉服組合から講演を頼まれたことがあったが、その時、教えてもらったのは、日本の文化的衣装であると思っていた和服が、実は「呉」の服であり、呉の時代に官僚の制服のことだということだ。著作権を守らない中国人を攻撃すると、日本人の使ってる漢字のロイヤリティはどうするのだ、と本気で言い返してくるのだそうだ。

◇2010年以降、中国がどういう方向に進むのだろうか。それはまだ中国自身にも分かっていないのだと思う。しかし、これだけは言える。アメリカの方法論は手段であって、それだけでは民族にアイデンティティを与えることは出来ない。アメリカは巨大な株式会社であって、民族的な国家ではない。中国が漢民族を中心として多数の近似的民族国家であるとしたら、その国のアイデンティテイは、自分たちで作り出さなければならない。それはハーバードでは教えてくれない。

◇天皇制も本来は中国の文化的アイデンティティであった。帝の取り合いは中国人の内戦の歴史である。中国人の気持ちはよく分からないが、貧しさから脱皮した時に人が求めるのは心の平安であり、集団的アイデンティティではないかと思う。

◇いずれにしても、20世紀の世界は一方に、他者を蹴落としてでも勝ち抜く資本主義・個人主義的な競争社会の「爽快感」と「限界性」があり、他方では腐敗する官僚主義機構が権力を牛耳った、地域的共生のための共産主義があった。この二つの立場をどうやって止揚していくのが、21世紀の最初の課題であることは、中国にとっても、日本にとっても、欧米にとっても、変わらない。

8月13日(水)
◇新宿に事務所が移った「未来検索ブラジル」に深水くんを訪問。テキストメディア研究所の青山さんらと打ち合わせ。いよいよ「bloblo」のスタート準備がはじまった。いろいろな潜伏した企画が入っている。御期待ください。

◇カミさんと、お好み焼きを食べにいく。東京生まれだが「もんじゃ」はいまだにうまく作れない。僕の子どもの頃の「もんじゃ」って、単なるお好み焼きの薄いもののようだった気がするが。カミさんに「書きかけの評論集をまとめないとダメだ」と何度も言われる。

8月14日(木)
◇お盆やすみで、ロッキングオンの会議は休み。オンブックも休み。妹尾・金子くんらとだけ、新しい単行本の編集会議をする。

◇四本淑三が来社。DSに搭載された「KORG DS-10」をもってくる。子どもたちに、DSを使って音楽教育をやりたい。いろいろ雑談。近くのカレー屋でスパイシーカレーを食べる。

◇「深呼吸する残暑見舞い」の宛名書きをする。これは、橘川のところに深呼吸歌人が宛名なしの葉書を作っておくり、それをシャッフルして、別の人の宛先を書いて送る、というものだ。うまくシステムにすると面白いかも。昔、リクルートの子が「ボトルメール」というのを作っていたな。僕のはコミュニティ内ボトルメールだが。今は、コミュニティ内部の活性化企画しか思い浮かばない。

◇検索してみたら、まだあった(笑)「ボトルメール」

8月15日(金)
◇早朝、デニーズにいったら、なんだか年寄りばかりが増えた気がする。一人の老人、老夫婦が朝飯定食を食べている。ファミレスというと若者のダベリバというイメージだったが、すっかり高齢化社会が現実化しているのか。

◇そういえば、こないだ目黒の喫茶店で老人男性二人が年金について打ち合わせをしていた。一人の男性が「世の中は老人に趣味を持てというが、趣味は金かかるんだよ。どんなに安くても仕事を持ってることが一番だよ」と言ってた。大企業を定年退職した人たちは、仕事を手放すことで自由になれたのだろうか。僕は、およそ趣味も道楽もない。そういうことは意識的に遠ざけてきた。生きることが道楽みたいなものであり、あらゆる個人的な関心事は仕事にしてきたのだから。

◇おそらく、ちょっとした視点の変更で、これから増大する日本の老人たちの「労働力」を使った生産システムを開発すれば、今後、高騰するだろう中国の労働力コストにも勝てるシステムが成立するはずだ。それは多分、現状の派遣ビジネスが破綻したあとでの、「老人たちのベンチヤービジネスの時代」をどう生成していくか、ということではないか。

◇異常な暑さ。大地がアスファルトであることが暑さを加速させている。少しずつ頑張って舗装してきた道路を壊して、大地と再会する時代が訪れるだろう。

8月16日(土)
◇オリンピックは、モンハンやりながら、ながらで見てる。気になるのは、メダルを取った日本人は大半が「アテネ2連覇」で、勝利の喜びのコメントが「みんなの協力で取れたことを感謝しています」というようなもの。違うだろう。おまえの力で取ったんだよ、それを誇りにしなければダメだ。たぶん、スポーツの世界も美術や音楽や、その他の世界と同じで、小さくて強固な業界が出来ていて、その中での徒弟制度が権力を握っているのだろう。絵の場合も大先生に師事しないと、展覧会には入賞できないように。そんなことをいつまでもやってると、新しい人材は登場しないから、次のロンドンでの惨敗は目に見えている。少数の逸材の集中教育を行うことによって、無数の天才たちの可能性をつぶしているのだと思う。なによりも業界を閉鎖的にすることによって利益を得ている人間がいるのだと思うと、いやな気がする。すべてがそうだとは思わないが、今回のメダリストが、やがて利権を握る側に回る構造なのだろう。勝った奴は、回りのことなんか気にしないで、もっと素直に喜べばよいじゃないか。

◇まったく、政治家とかスポーツ選手の2代目、3代目が多すぎて、この血の桎梏(しっこく)が、勝っても負けても魂の底からの感動に結びつかない日本の閉塞感の現状だろう。

◇バイトの萌ちゃんと焼肉食べに行く。若い子はガツガツ食べるので気持ちよい。最近、僕が「2010年は1970年だ」と言ってるので、その意味を聞かれた。1970年は戦後の崩壊の中から豊かな社会への道筋が一つ完成したところで、それまでの反省と次の時代の方法論が問われた時代であった。2010年は、もっと大きなスパンで明治開国からの日本近代の方法論が、一つの完成を経て、次の時代の方法論にシフトするターニングポイントである。本当は2000年でシフトするはずだったが、旧体制の頑迷さと、多くの人の未練から、スルーしてしまったが、この10年は、旧価値観による社会構造が内的に崩壊し、「このままではどうしようもない」という確認を誰もが何度もしたはずである。

◇2010年以後は、社会の意味そのものが変わるのである。これまで僕が書いてきたことだが、分かりやすく言うとこうなる。長い間、社会とは現実そのものであった。新聞は社会の木鐸であった。しかし、戦後社会の高度システム化社会がはじまり、テレビが登場すると、社会とはテレビ受像機に写されたものの中に成立するようになった。現実が社会であった時代は、そこで働く男たちが社会のことを一番知っていたが、テレビが家庭に普及されるにつれ、世の中で流行っていることはテレビが教えてくれるようになった。亭主はカミさんと子どもに、今、世の中では何が流行っていて、どこのレストランがおいしいのかを教えてもらう羽目になった。そして、この10年で少しずつ顕在化してきたことだが、2010年以後は、完全に、インターネットの中身が社会そのものになる。次の僕たちの生きる社会は、インターネットの中に現れてくると言ってよい。

◇「セカンドライフ」は、2010年以後のビジョンを、比喩として出現させてみせただけに過ぎない。セカンドライフは技術者の玩具ではない。むしろ社会哲学や社会進化論としてとらえるべきであって、まだ具体的なものにならざるアナザーワールドである。デメ研研究員の滑川海彦が巻末解説した「セカンドライフ 仮想コミュニティがビジネスを創りかえる 」は、テレビ型市民社会から、ネット型市民社会へ移行した人々がどういう行動パターンを取るのかについて、貴重なリポートとなっている。

2008年08月10日

一週間の日記 8月3日から8月10日まで

8月3日(日)
◇茨城県ひたちなか市で「ロッキン」夏フェス。朝の5時に起きて荷物をまとめて出発。相当暑そうだ。東急ハンズで買った暑さ対策用の帽子に期待する。早朝のガラガラのバスの中で、すでにロッキンのTシャツを着ている子が二人。みんな勝田へ向かう。上野駅でおにぎり食べる。最近は残業廃止で早朝出勤が増えて、朝の早いうちから大きな駅では食事の出来る店が増えたということだ。早朝だというのに、いろんな食べ物屋がある。

◇勝田駅からバスで会場へ。バス代は往復750円。いかにも町内でかき集めたような素人のバイトさんが切符を売っている。3日間で15万人集めるということだから、大半がバスを使うとして、10万人としたって、売上げ7500万円。茨城交通さんはウハウハだろう。全国で夏フェスやってるけど、地域活性化の最大の貢献はロックということか(笑)。

◇受付で入場手続きをすると、なんとデザイナーの関さんが受付やってる。この辺がロッキングオンの凄いところだな、有能なデザイナーだろうと、みんなで一つの仕事をやっている。編集長が取次に部数交渉に行くのは、これだけ規模が大きくなっても変わらない。でかくなると分業が効率良いと思われるが、一体感が失われるんだ。 ロッキングオンは4人ではじめた。4人で原稿も編集も校正も販売も制作も広告営業も全部やった。そのスタイルでしか本を作ったことがないので、ずっとそのままのスタイルできているのだろう。普通の出版社は、特集担当とかグラビア担当とか、営業とか、イベントとか、みんなバラバラ。その上、外注の編集プロダクションだより。だから、雑誌に一体感がない。ROは、雑誌の編集部そのものがバンドなんだ。新雑誌を作るということは、バンド・デビューということだと意識してやればよい。雑誌だけではなくて、すべてのベンチャーはロック・バンドだと思ってやると、もっとかっこいい音楽的なビジネスが生まれると思う。やたらと演歌のような組織がはびこってるからな(笑)

◇朝一番で来たのは、最初に出る「9mm parabellum bullet」を聞きたかったから。昔、岩谷宏が「ライブでのりまくるのは来た人の義務だ」というようなことを書いていたことがあった。踊って、歌って、叫ぶ。しかし、凄い暑さで、保たない(笑)。9ミリ以後は、おとなしく、会場をウロつきながら、ダラダラと過ごす。これはこれで気持ち良い。みんな、上手なバンドばかりだが、9ミリのようなピュアな言葉を投げつけるバンドはなかったな。僕は昔からメロディやリズムではなくて言葉に弱かった。

8月4日(月)
◇「構想日本」が「事業仕分け」というコンセプトで行政の無駄遣いを追求するセッションをやると澤田美佐子さんから聞いたので、行ってみる。場所は日本財団。自民党の河野太郎さんが仕切っていて、評価者の人たちが文科省のメンバーに対して切り込んでいく。僕が見たのは「自然体験活動」についての議論。「修学旅行とどう違うのだ」「理科の授業時間を削ってまで行く必要があるのか」などという意見が出て、ほとんど文科省に対する吊し上げ。しかし、この政策は、もともと安倍政権下の教育再生会議から出てきたプランなので、それを自民党が追求してみても、どうなんだろうか。施策の存在そのものの是非を問うなら、大半の施策は曖昧なものだろう。議論すべきは施策の存在否定ではなくて、「どのように効果的に実行するか」の現場の方法論の方だと思うのだが。施策なんて、俎上に上げれば、どんなものだって、チャチはつけられる。藤原校長が評価者の側にいたが、あまりしゃべらなかったのは、現場のことを充分に知っているからだと思う。こういうイベントやれば、マスコミはこのように紹介する。

◇澤田さんとランチを食べることになって、最近、僕がお気に入りの虎ノ門の料理屋に行く。なにしろ、店に入ってから、それぞれお釜でご飯を炊いてくれるのだから、えらい時間がかかって、普通の客は怒って二度と来ない。来るのは、のんびりと食事したい永田町の老人たちだが、昼でも夜でも、いままで、この店で他の客に会ったことがない(笑)。料理はとてもおいしくて澤田さんも満足。

8月5日(火)
◇株式会社ペーパーメディア研究所が新しく出来て、社長の青山さんが来社。橘川も顧問ということで、一緒に新しいメディアを立ち上げる計画。僕は最初にロッキングオンの立ち上げをやって以来、メディアの創刊以上に大変だけど、楽しいことを知らない。いろいろな実験を、ひとつのメディアに合流させるのだ。

◇講談社の入江さんがカメラマンを連れて来社。ソニーデジタルの福田さんと入江さんが「これでいいのだ14歳」というバカボンパパのプロジェクトを進めているところで、僕もバカボンパパの一人ということで。取材は終わってるので写真だけ撮りに来た。8月2日に赤塚不二夫さんが亡くなって、すぐに福田さんがメールで教えてくれた。僕は単なるファンで面識はないが、創作家であると同時にマンガシーンの育成化、教育者だったのだということを忘れない。また彼の底抜けの善良さを良いことに、土足で踏みつけていった連中がたくさんいたことも、忘れない。

◇入江さんは、内田勝さんの講談社における最後の弟子だ。内田さんの死といい、赤塚さんの死といい、「1970年初期」という時代が崩れ、消えていく。2010年、僕は「二度目の1970年」と位置づけて、進んでいる。彼らの生きた時代を、何度も反芻しながら。ご冥福をお祈りいたします。

◇銀座の栄光で、株式会社ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランドの野澤汎雄さんと打ち合わせ。近くのスペイン料理に行くと、創造開発研究所の高橋誠さんが現れる。何十年ぶりだろう。いきなり「橘川さん、太ったねぇ」と言われる(笑)。80年代以前の僕を知ってる人にはみんなに言われる。相変わらずすっきりしてる高橋さんは、商品のネーミングの大家で、確か、「ゆうパック」とか「かもめーる」なんかも作った。80年代にマーケティングが一つの文化として活発化していた時代に知り合った。90年前後の5年間ほど、僕は朝日新聞社の「知恵蔵」という本の「若者用語」の担当をしていのだが、後半は創造開発研究所との共同作業だった。高橋さんの部下で仁木真理さんという女性マーケッターがいて、仕事の出来る人だった。若くして病死してしまったのだが。

◇高橋さんは、今でもビジネス書もたくさん出しているしマーケティングの現場にいるが、栄光が作った日本教育大学院大学に深くかかわっていて、野澤さん経由で橘川の名前が高橋さんに伝わった。スペイン料理を食べながら、二人はワインがおいしそう。僕はウーロン茶。わいわいと、昔話や、最近の話が次から次へと出てくる。マーケッターというのは、人一倍守備範囲が広くて、おしゃべりな人がなるのだ。

8月6日(水)
◇事務作業。企画書作成作業。

◇事務所にいると、宮脇和が遊びに来たので、お茶。グループおりじは活動を停止してしまったが、なんとももったいない。宮脇の復活を願っているのだが。

◇押井守さんの「スカイクロア」を観る。アニメは実写よりも哀しい。

8月7日(木)
◇ロッキングオンの会議だったが、パスして、虎ノ門の文科省へ。外は暑すぎる。

◇オンブックの会議、教育CSR会議。

8月8日(金)
◇未来検索ブラジルの深水英一郎くんが来社。うなぎを食おうということで、学大のおすすめうなぎ屋に行ったら閉まってる。もうひとつ、別のおすすめ店に行ったらそこも閉まってる。この時期に閉まってるということは、うなぎに何かあったのか。

◇深水くんと、新しいメディアについて打ち合わせ。タイトルは「bloblo」だ。プロトタイプが出来たら、あらためて報告します。

◇深水くんのやってる「モリタポ」のことを、ずっと「モリタボ」だと思いこんでいて、会話の中で「モリタボ」と言ったら「モリタポなんです。ポイントのポ。いつ間違いだと言おうかと思ってたんです」と。間違いはすぐに指摘してくんないと、恥が広がる(笑)。林雄二くんの話題になって、深水くんが「彼の選択は正しかったと思いますね。ニフティでサラリーマンちゃんと続けて、自分のやりたいこともちゃんとやっている」と言った。こういう感覚が深水くんの面白いところだ。林くんが、ジーサーチの社員だった頃、ジーサーチで発行していたメールマガジンの編集をデメ研がやっていて、担当は林くんだった。その頃、東京トイレガイドなどを作ってネットでは話題になりつつあった頃だ。僕が2000年に「21世紀企画書」という本を出した時に、大阪で出版パーティをやって、それに合わせて、林・深水のトークライブをやった。二人ともシャイなので、盛り上がらなかったが(笑)。インターネットもまだ黎明期のうちだったのだろう。2010年、インターネットは、もう「新しいもの」ではなくなり、旧体制の構造に対して本質的な牙をむく。時代が変貌する時の、仲間との陰謀は、底抜けに楽しい。

8月9日(土)
◇リアルテキスト塾。ちょっと、ここのところハイテンションなので、アジテーションみたいな講座になってしまったかも。


2008年08月03日

一週間の日記 7月28日から8月2日まで

7月28日(月)
◇日本財団で寺内さんと打ち合わせ。いろいろ相談を受けつつ、僕の方で進めている新しい社会システムの構造を説明。このテーマは、僕の中ではプライオリティ最上位。ここ数ヶ月の動きの大半は、この動きに向けて進められている。寺内さんにも伝わったようだ。日本財団の社員食堂でランチをごちそうになる。

7月29日(火)
◇新しい本をまとめているのだが、どうも、うまくいかない。太田さんにも「メメシイ」と言われるし。どういう音楽をイメージしてるのか、と言われて「ピーズの日が暮れても彼女と歩いてた」と言っても分からないと思い、サザンかな、と言ったら白い目で見られた。

『僕は君のものではなく、君は僕のものではない。二人の間にあるものが二人だけのものだ。』

7月30日(水)
◇新橋のYSプロジェクツショールームで会議。「株式会社ペーパーメディア研究所」が設立されたことが報告された。「ペメ研」である。デメ研とペメ研での共同構想が進められている。終了後、教育支援協会の吉田さんと、新橋の喫茶店で談話。吉田さんは、1日から北海道で自然体験活動に入る。1日のシンポジウムは以下の豪華メンバーで開催される。
パネラー:銭谷眞美 氏〔文部科学省事務次官〕
門川大作 氏〔京都市長・前京都市教育長〕
寺脇 研 氏〔京都造形芸術大学教授〕
宮本英樹 氏〔NPOねおす専務理事〕
コーディネーター:吉田博彦氏 教育支援協会代表理事
■詳細

◇新橋から六本木へ。明治屋でスパークリングワインとジュースを買って、広尾の澤田美佐子さんの家へ。ぴあの須藤さんも来て、3人で食事会。澤田さんは、リクルート事件の時に広報室にいて、内部連絡に奔走。90年前後、橘川の「メディアが何をしたか」を読んで僕に会いたくなり、ポンプの読者だった小澤(ブッキー)くんが学大に連れて来た。澤田さんは、普通のOLだったが、一番アクティブだった時代のリクルート内部を走り抜けていた人で、彼女の紹介で、藤原、倉田、道下、坂本さんらと知り合い、信國や荒井くんら若い連中たちとも交流することになった。須藤さんは、「ぴあ」の矢内くんの秘書を長い間やっている人で、僕と会うのは20年ぶり。それも、昔、ローリングストーンズの日本公演があった時に、自宅までチケットを届けに来てくれたのが最後。矢内くんと連絡をとる時に須藤さんに連絡するくらいで、ちゃんと話をしたことはない。澤田さんが須藤さんと仲良しだということを知り、みんなで会おう、ということになった。

◇話ははずみ、とゆーより、僕がしゃべり続けていたが、そこへ僕の携帯に日販の松島凡が酔っぱらって電話してきた。九州の緒方さんが上京していて、二人で飲んでるようだ。緒方さんは、70年代のタウン誌の草分け時代に知り合ったが、「タウン情報ふくおか」を率いて一時代を築いた人だ。凡と澤田さんは知り合いだから、僕の携帯を澤田さんに渡す。そのあと、緒方さんが出たので僕に戻して、今度は、須藤さんに渡す。緒方さんは、チケットぴあ九州の社長もやっていたから、須藤さんとも良く知ってるはず。緒方さん、突然、僕の電話に須藤さんが出たのでびっくりしていたようだ。須藤さんと緒方さんが電話している間に、今度は、澤田さんの携帯にDNaの南場さんから電話が入り、と、なんだが、凄い人間関係の坩堝となっていた。

◇タクシーで帰宅。友だちとの会話は楽しい。利害関係はないけど、いろいろ企みの流れになってくるからね。

7月31日(木)
◇明日から、ロックインなので、ロッキングオンの会議はなし。みんな現地へ行ってしまった。

◇オンブックの会議。亀ちゃんの『イマドキの学校 −亀ちゃんのニッポン学校訪問記−』の見本があがってくる。これは、とても良い本だ。ODECOで全国の小中学校を回った成果。スキンヘッドの怪しい風体の亀ちゃんによる、山下清&寅さんのような旅行記だ。オンブックにもうすこし余裕があれば、一般市販本にしたいのだが、ぐっと我慢して、オンデマンドで。みなさん、ぜひ、読んでください。

◇教育CSR会議。地域活性化をテーマにした本の編集会議も兼ねる。「映画による地域活性化」というテーマを追いかけているので、情報あったらください。

8月1日(金)
◇山北さんが上京してきて、橘川・山北・亀田で、会議。このチームで、秋から、とても忙しい動きがはじまる。

◇ハチ公前で野澤さんと待ち合わせ。NHKの河邑さんのところで打ち合わせ。河邑さんは有名な辣腕プロデューサーだ。野澤さんのグループ現代と河邑さんのコンビで、かつて世界のシュタイナー学校のドキュメント番組を作った。

◇終了後、野澤さんがお茶しようというので、橘川のとっておきの渋谷スポットに連れていく。ロフトの裏にあるTIPNESSのカフェだ。ドリンクも食事も安いし、すいてる。TIPNESSはサントリーが80年代にスタートした新規事業だ。サントリーの人はそれまで酒の問屋や店舗のオーナーとしかビジネスしてこなかったので、直接、エンドユーザーと付き合ったことがなかった。TIPNESSをはじめたことは、単なる健康施設ビジネスとして成功しただけではなく、サントリー社員にとって、とても大きなノウハウを蓄積したのだと思う。メイン対象が女性ということも意味があっただろう。マーケティングの手法として、メーカーは調査ばっかりやるんじゃなくて、こうしたユーザーの中に飛び込んで肌で感じるものが大切だ、と、昔、マーケティングの仕事をしていた時に力説したことがあったけど、どこにも伝わらなかった。

◇恵比寿に行って、朝倉新くんと久米くんと合流。中華料理の「利華」へ。メシ食う人は、ネットで店を探してばかりいるから、こういう普通においしい店の存在を見逃す。

◇朝倉くんは、茅ヶ崎で精神科クリニックをやっている。彼は、30年前、僕が編集長やっていた「ポンプ」という投稿雑誌に当時、高校生として投稿していた人。良い文章を書く子だったので、僕とは直接、手紙のやりとりをしていた。彼だけに限らず、雑誌誌面以外でも、たくさんの言葉のやりとりをしていた。このへんは、今も、いろんな若い人とメールでやりとりしている状況と変わらない。コミュニケーションに必要なのは何よりも「こまめさ」(笑)。今は精神科の医者なので、深呼吸することによる、ある種の精神治療の可能性などを話した。鬱病患者だけによる深呼吸和歌集をやろう、と。

◇しかし、「30年ぶりの初めての再会」。人と付き合うというのは、すべての人と付き合い続けることは出来ないけど、再会の楽しさがあるから良いな。そうそう、30年前、僕が朝倉くんに出した手紙は、コピーされたものが送られてきたと言ってた。そういえば、当時、僕は誰かに手紙を書く時、本体は自分で持っていて、相手にはコピーしたものを送っていた。おお、ネットのメールと同じことをしていたのか。本を書くことも、友だちに手紙を書くことも、僕にとっては同質の行為だと思っていた。僕は今、そういう古い手紙の中から「深呼吸する言葉」を探し出すことを始めている。これもまた「古い自分との再会」の楽しさだ。朝倉くんも、やがて歌人に合流すると思うが、彼には「ポンプ」に投稿した原稿を読み直して、深呼吸としてフレーズを引き抜け、と伝えた。

◇久米くんに車で学大まで送ってもらう。会社ではカミさんがずっと仕事している。今日も徹夜になりそうな雰囲気であった。

8月2日(土)
◇横浜のメルパルクで小南奈美子さんの出版記念パーティがある。『Namiさんのネーミング子育て』という、とても、読みやすくて、タメになる本。ナミさんは、若くしてアメリカで医者になり、MITなどで活躍していたが、帰国後、肉体だけではなく「心」の健康に取組んだ。パーティの挨拶では、「もういちど、体をテーマにしようと思う」と言っていた。乾杯の発声をやらされたが、こういうの苦手。

◇会場に、中華料理「新記」の北浦さんも来ていた。昔、恵比寿でやっていて、今は、三宿と中延でやっているが、今度、虎ノ門にも出店したらしい。この店は安くておいしい。

◇パーティ終了後、空の北田くんと喫茶。いろいろ企む。北田くんが博多に新事務所を開設して、木村英輝さんに屏風を描いてもらったようだ。見てみたい。