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社長日記

2008年06月29日

一週間の日記 6月23日から6月29日まで

TOPIC
◇オンブック・マーケットの仮店舗がスタート。

深呼吸する言葉のアウトプットとして、Tシャツやミニカードなど、いろいろ取り揃えています。今後も、いろんな商品開発をしていきますので、ご愛顧よろしくお願いします。「コトバのキャラクタービジネス」を追求していきます。

◇教育CSR会議サイトのリニュアル。

少しずつですが、リニュアルしながら進めています。学校と社会をつなげるバイパスになりたい。どちらも閉鎖的なので(笑)

◇深呼吸する言葉ネットワークはこちら。

◇YouTube版もご覧ください。携帯で見ることを、おすすめします。



TechCrunch50の案内はこちらです。チャレンジしてみたい方は、橘川まで連絡ください。


6月23日(月)
◇岐阜に泊まり。大垣だ。僕は投稿雑誌をやっていたので日本中の地名に、見覚えがある。大垣から投稿してきた子がいたな、各務原にもいたな、とか。初めて来る土地でも、投稿者のイメージが重なる。朝は散歩。地方に行くと、城跡や神社仏閣が残っている。住宅地を歩くことにしているのだが、花を飾り、質素にきれい。東京のように建築家のエゴを見せつけらるだけの建築物はすくない。路地裏や水路も落ち着く。あと500年たったら東京はどうなるんだろう。

◇大垣の本屋でロッキングオン・ジャパンを立ち読みしたら、山崎くんが、「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。 」のレビューを書いてくれていた。ええね。アマゾンのランキングも、フェードアウトするかな、と思うと、なんか盛り返してくるね。新幹線の中で、新作をかなり作った。旅先で深呼吸。なかなか合ってる。

◇大垣から養老線。電車の中からあちこちに電話、メール。東京にいるときと変わらない。養老駅へ。養老といえば、天地反明なんちゃら。しかし。休館日であった。ガビガビ。駅でザルソバ食べる。

◇夕刻、帰京。近鉄線の名古屋で買った、伊勢ウドンをスタッフに配る。

6月24日(火)

◇亀田くんと打ち合わせ。亀ちゃんの学校訪問ドキュメントがオンブックから出る。凄くよい本である。

◇日経BPの斎野くんが来たので、学大の「件」(くだん)に連れていった。飲んべえにはたまらん店だろう。斎野も子どもは中学生だそうだ、斎野は、80年のニフティサーブで、「掲示板」というのがあって、そこに「僕は橘川幸夫と申します。僕のこと知ってる人がいたら連絡ください」と書いたら、読者です、と連絡が来たのが斎野。80年代だよ(笑)。そこからパソコン通信に連れ込んで、遊んだ。斎野は「日経クリック」の創刊編集長になり、今は執行役員。相変わらず、橘川とは仕事なしで付き合ってる。仕事を一緒にやって仲良くなる奴もいれば、仕事を一緒にしないから仲良くなる奴もいる。

6月25日(水)
◇NECの松永さん来社。金子くん交えて打ち合わせ。

◇久しぶりに林雄二郎さんに電話。「森を見る会」を7月から復活させる。

6月26日(木)
◇午前中、ロッキングオン会議。渋谷がブログをはじめたのだが、面白い。昔の編集室日記を思い出す。

◇オンブック会議は、市川が静岡に上田毅八郎さんとの打ち合わせで出かけているので今日は中止。

◇教育CSR会議はサイトがリニュアルした。これからやることが山のようにある。

◇会計士の西山くんが来社。デメ研の決算について。

6月27日(金)
◇Mixiで、レビューを書いてくれたのでマイミク申請のメールしたんだけど、彼は職場の店長さんに僕の本を勧められたんだそうだ。とても嬉しい。僕のところに、感動しました、というメールをくれる人より、その店長さんの存在の方がはるかに嬉しいと思う(笑)。

◇白夜書房の榎本統太くんから「キングキラー・クロニクル」3巻を送ってもらう。ハリーポッターの次の流れだそうだ。統太は「失われた時を求めて」のコミック版を手がけるなど、独自のラインアップを手がけている。

6月28日(土)
◇学芸大学周辺には日本ソバ屋がいろいろあるが、今日は、武蔵野へ行く。高くて量が少なくて、じいちゃんが作ってるけど、おいしい。主食にはならないな。

◇DSだけど、世界樹をギブして、聖剣伝説やったらすぐに終わった。ハードの方は大変そうなのでやらない。ファミコンからすでに25年か。楽しむというより、やっとかないと次に進めない、という感覚だな。

◇iPhoneだけど、長年、通信業界の仲間からの直接的な話を聞いているから、不安。日本テレコムの責任放棄、ボーダフォンの植民地政策、それを引き受けたバンクの現状を考えると、とてもiPhoneをやれる環境にはないのではないか。

6月29日(日)
◇PCI(パシコン)のベトナム高官に対する賄賂の問題がマスコミを賑わせている。鈴木宗男事件以来、ODAをめぐる騒ぎの中心はPCIだ。PCIには10年くらい前に行ったことがある。ODAは、かつては道路やダムなどのゼネコン型の援助だったので分かりやすかったのだが、アジア各国の要望がゼネコン型ではなくて、通信インフラの整備だったり、デジタル教育だったり、新しい流れになっているのでいろいろ情報が欲しいということだった。「先進国より後進国の方が最初から何もないし、国内にライバル競争もないから、例えば病院の電子カルテなんて国家政策でやれば最先端のものが出来ますよ」みたいな話をした。PCIの本社は、なぜか京王線の聖跡桜ヶ丘にあるんだな。立派なオフィスビルで、いかにもやり手のビジネスマン風の幹部たちと意見交換した。

 戦後のODAは、武器なき防衛戦略として一定の効果があったのだろう。本社の人たちはともかく、アジア、アフリカの一線で活動している人たちは、それこそ「貧しい人たちを何とかしたい」という思いで活動している若い人たちが少なくないと聞いていた。バリ島のリゾート化は、インドネシアの経済復興のために立案されたもので、低層の宿泊施設や道路、下水道の完備などは日本のODA予算が使われたとのことだ。

 今回のPCIの疑獄は、ベトナムの高官に賄賂を渡したとのことだが、おそらくその金は高官から幹部、兵士へと流れていたものだと思う。もちろん上にいくほどピンハネ率は高いにしても、そうした裏給与というのは、アジアの伝統でもある。それが良いとか悪いとかはではなくて、日本は、世界に対して、きれい事だけで押し通して、相手が飲まなければ、それも良し、とするのだろうか。佐藤優さんのこともそうだけど、役人のタクシー問題、食品の偽装問題など、なんだかあまりに潔癖主義になりすぎていて、怖い。タテマエの法律さえ守っていれば良いというでは、どんどん閉塞していくよ。「いいじゃん、ズルしたい人はズルすれば」ぐらいの感じで良いのではないか。だいたい、一番ズルしてるマスコミが「正義の立場」で悪をこらしめる姿が不愉快だ。

 正義と悪の境界線には、グレーの地帯があって、それをどこまで許容出来るかが器量というものだ。正義か悪かの強制的な判断を迫る裁判というのは、どうもなじめない。裁判員制度というのが始まるようだが、「良心的徴兵拒否」というのがあったけど「良心的裁判員拒否」というのはないのか。逮捕されても裁きたくないな。

2008年06月24日

一週間の日記 6月16日から6月22日まで

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教育CSR会議サイトのプレ・リニュアルです。
今後、いろいろと発展させていきますので、よろしくお願いします。
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6月16日(月)
ちよだプラットフォームスクウェアへ行き、藤倉潤一郎社長と打ち合わせ。藤倉くんは学生時代から「クラブハウス」というメディア開発やイベント運営のグループを作っていて、いろいろつながりがあった。千代田の施設をやる時も、企画のディスカッションに参加させてもらったりした。今では、SOHO施設の成功事例として有名になった。ランチをごちそうになったからではないが「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。 」をプレゼント。こういう本があると、気安くプレゼント出来てよい。

◇そのあと、近くの日販に行き、柴田くん、凡と打ち合わせ。「沖縄大好き検定」の報道発表が18日にあるので、凡が沖縄へ行く。これが「リリース」だけど、(協力)にデメ研が(笑)

6月17日(火)
◇虎ノ門で、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)の石村源生くんと待ち合わせ。彼はリアルテキスト塾の2期生だが、その頃は九段の科学技術館の展示とかをやっていたが、今は北大で科学コミュニケーター養成の仕事をやっている。源さんを連れて文科省へ。若手職員の勉強会の講師を頼んだ。「サイエンスカフェ」というのは、とても面白い試みだ。

◇終了後、文科省の中にある展示ルームを見学して喫茶店へ。源さんと、ゆっくり今後の活動について意見交換。

◇虎ノ門には橘川最古の舎弟、古沢正夫がいる。何しろ虎ノ門の三菱銀行の裏にあるビルで生まれた奴。僕が大学生、古沢が中学生の時に知り合う。古沢は麹町中学でバリケード封鎖やったりした。四谷の僕の家で麻雀やって、そのまま中学に行く。全国中学生全共闘のリーダー格。保坂展人くんも麹町だったが古沢の方が目立っていた。古沢は虎ノ門の古沢ビルで旅行代理店をやっている。隣の居酒屋ととやで食事。古沢は焼酎、僕はウーロン茶。麹町中学校が建て直し移転で、最後の同窓会あるらしい。弟に知らせないと。

6月18日(水)
◇今日は出勤前に、新刊、深呼吸神髄のプロモ映像を作る。一時間半かかったな。一時間の予定だったが。四本に送信して、音楽を頼む。昼頃、完成。

◇NECの松永さん来社。いろいろと打ち合わせ。その後、元カノックス、現在は共同テレビで番組を制作している佐藤くんも来社し、みんなで寿司屋へ。

◇夕刻、小柳くんと汐留のソフトバンクへ行く。教育CSRについて、意見交換。ソフトバンクは打ち合わせは1時間と決まっているようだ。説明不足のまま終了。何度も来る必要がありそうだ。

◇汐留からゆりかもめでお台場へ。父親が検査入院なので、一人になった母親の世話で今日は僕が当番。明日は弟、明後日は娘の友ちゃんが当番。久しぶりで母親と食事したりテレビ見たりして過ごす。今日は、お台場に泊まり。

6月19日(木)
◇早起きしてお台場を散歩する。誰もいない。平日の朝のお台場は良いねぇ。朝飯をおふくろと食べる。83歳。親父はお台場のボス。数日前も近くで放火があって、ゴミ箱燃えたくらいだが、すぐに親父のところに連絡が入ってかけつける。親父とお台場あるいてると,なぜかみんな挨拶する。地域住民でオレのことを知らない奴はモグリだ、と豪語。何やってんのか。今日は午前中はROの会議だが、かみさんに頼んでさぼり。

◇そのまま事務所に行き、午後1でコンテンツワークスの荻野社長が来社して打ち合わせ。そのあと、オンブックの会議。教育CSR会議は明日に変更してもらった。

◇夕方、新橋に向かい、デュプロ東和の事務所へ行き、新しいメディアのディスカッション。教育支援協会の吉田さんの仕切り。とても面白いインフラだ。

◇有楽町の「とかちの」へ。北海道から後藤くんが来ているので、7月11日からの「とかちローカルサミット」と打ち合わせ。なんか、いろんなことをやらされそうだ。しかし、この店の肉も野菜もウマイ。

6月20日(金)
◇教育CSR会議で妹尾・周平・金子くんらが集まって打ち合わせ。

◇ラングの大江くんが来社。打ち合わせなんだけど、テノリオンを持ってくる。欲しい。使えるかどうかは疑問だが。

◇元シンク社長の石川くんが来社。今はストロイエという会社やってる。昔、ampmのサイトを立ち上げる時に手伝ってもらって以来の弟分。それで、橘川の10年来のネタである「ナカカブ」というのを話したら、ほんとに作ってしまった。昔、会社を作る時に、株式会社なになに(前カブ)かナニナニ株式会社(後カブ)にするじゃない。いろいろ考えてて、たまたま司法書士に「ナカカブというのはないの」と聞いたら、あるって言うんだよ。冗談で言ったのに(笑)法律では、会社名の中に株式会社があれば良いっていうんだな。石川くんの新会社は「ログ株式会社アース」。GPSのトレースデータをビジュアル化することをテーマにしている。GPSもってハイキングをすると、グーグルマップに自分の歩いた道がトレースされるわけだ。ヨーロッパでは始まってるらしいが、GPSをもって大地に絵を描く、とか。ナスカ絵みたいなものだな。いろいろ遊べそう。ログ株式会社アースと書かれた名刺は、なかなかインパクトある。僕も顧問だから、顧問料なしだけど名刺を作ってくれるという。嬉しいね。しかし、銀行ATMが大変だ。カ)か(カしかないからな。ログ(カ)アースなんて出来ない。迷惑な社名だ(笑)

6月21日(土)
深呼吸神髄の校正終わり。遺言のような本だな。

6月22日(日)
◇今日は岐阜の垂井へ行く。所秀雄生誕90周年。昨年亡くなったのだが。朝の品川駅は、とてもCPの良いビッフェがあるが、今日はPAULのモーニング。テラスでフランス風にクロワッサンと珈琲。なかなか穴場だよ、ここは。

◇垂井は静かな田舎町。喫茶店に入って、何か食べようと思ったら日曜日はランチがないらしい。どうしようかと思ったら「じゃあ、モーニングにしてあげるよ」と店の人。さすが愛知エリアのモーニング、コーヒーにおにぎり2個(梅干しと貝のつくだに)スパゲティサラダ、タマゴ、バナナ半分がついて、350円。おおめにしてくれたとは言っていたが。

◇会は、垂井の祭囃子で始まる。所さんが、やり残した最後の仕事は、飼料米だ。セガレさんが引き継いでいるが、これは大きな日本的課題だ。日本だけではなく、中国にとっても、インドにとっても大事なテーマである。

◇百姓作家の山下惣一さんの講演。さすが面白い。所さんのシンポジウム、朝日新聞に大きく出たらしいね。身内の小さな集まりかと思ったら、盛況。ただいま休憩時間。所さんが一番気に入ってた写真が、いろいろ使われている。日芸の坊主が撮った写真。かわいい女の子なんだけど、頭まるめているので、坊主というアダ名。数年前、みんなで垂井の所さんの自宅に行って時に撮影したやつだ。

2008年06月16日

一週間の日記 6月8日から6月15日まで

6月8日(日)
◇いよいよ明日「RO69」のリニュアルだ。渋谷がブログをはじめるというので、どうなることやら。

◇橘川の個人的営業案内をまとめてみる。個人の仕事も、しないとなぁ。

6月9日(月)
◇NEC松永さん来社。いろいろと打ち合わせ。

◇日本橋の野澤さんの新しい事務所へ行く。日本橋も、どんどんビルが立っているけど、風情は変わらない。

◇オンブックの中村さんと銀座の室井さんの事務所へ。室井さんは消費者金融(サラ金)の元祖みたいな人だけど、金融業はとっくに縮小していて、もうすぐ完全に手仕舞いするようだ。現在、サラ金への過払い訴訟が拡大していて、どこも大変なことになっているみたいだ。彼の金貸し人生の総決算のような本を出したいとの相談。リアルな経験に裏打ちされた発言は、心に響く。「金貸しは、返さなければぶっ殺すぞ、と言っても、殺しはしない。金銭のトラブルで殺人事件が起きると9割は、貸した方が殺される」と。

6月10日(火)
◇なんだか眠くて眠くて。DSの「世界樹」は、裏バージョンが行き詰まる。これ以上は面倒だからギブアップ。

6月11日(水)
◇深呼吸する言葉の活動が活発。
「深呼吸する写真」
「深呼吸劇場」なども開始。

6月12日(木)
◇ロッキングオンへ。リニュアルの反応も上々。渋谷も上機嫌。ブログが面白い。

◇オンブック会議。

◇教育CSR会議の会議。

6月13日(金)
◇東北で地震。自然災害はなくならないだろう。自然災害がなくなる時は、地球から自然がなくなる時だから。

◇子ども調査研究所で、高山所長と村上知彦くんと合流。3人で会うのは久しぶりだ。高山さんは、僕と村上くんにとって、10代から面倒見てもらっている保護者なんだから、たまには会いに来いよ、と村上くんに言ったら、ちょうど手塚賞の審査委員として上京するので、会うことになった。高山さんが、近所にある「チェコ料理・カフェアノ」に行きたいというので、「オルタナ」の森摂くんに電話して席をとってもらう。このレストランは、オルタナ編集長の森くんがオーナーで編集部もここにある。森くんは、実は、ロッキングオンの会のメンバーだった。彼が日経新聞社の記者だった時、高山さんに取材したことがあったそうだ。
◇おしゃべりしながらの食事は楽しい。

◇元岡山のタウン誌やってた宮田くんから電話が入って、ハチ公前で待ち合わせ。いろいろと打ち合わせ。

◇新宿で亀田くんと合流。亀ちゃんが相変わらず地方を回っているので、久しぶりの打ち合わせ。

◇新宿で、スタージオハードの高橋くんと打ち合わせ。しかし、西新宿に建設中のコクーンビルというのは、なんか変だな。モード学園のセンスというのは、いかがなものか。あのセンスに若い子が集まるというのも、よく分からん。

◇カミさんと寿司屋へ。寿司屋って、客が混んでる時と、客がまったくいない時では、値段が違うような気がする。

6月14日(土)
◇なんだか、眠くて眠くて、一日、寝てる。ちょっと、ここのところ走りすぎた。

6月15日(日)
◇渋谷に行って、新しい地下鉄に乗ってみる。新宿三丁目の伊勢丹から南口の高島屋まで地下回廊でつながるということだったので、どんな地下モールが出来るのかと思ったら、単なる通路だった。少しは通路にも芸を持たせればよいのに。副都心線というのは大手町を通らないからなのか。池袋も渋谷も通過して中心にある新宿が一人勝ちだということだが、表参道も有利になるのか。新宿は僕の産まれ育った故郷だけど、ますます人工的になってきた。コマ劇場は、戦前は確か女子校かなにかで、戦後、歌舞伎座を誘致するために歌舞伎町とまで名前を変えたが逃げられて、それでコマ劇場になったという話を聞いたことがある。再開発のしすぎは人を疲れさせる。2年後に東急線と乗り入れになると、代官山や中目黒に人が集まるような気がする。

◇学芸大学に帰って、友ちゃんと「みどりえ」で食事。いつも昼間のランチしか食べたことなかったけど、夜もなかなか充実。

2008年06月08日

一週間の日記 6月2日から6月7日まで



◇深呼吸する言葉・きつかわゆきお

◇ドラマ本プロモ

☆mixiで「深呼吸コミ」スタートしてます。橘川とマイミクしていない人は申請してください。

☆YouTubeの携帯版で、橘川のプロモが見れます。ぜひ、以下のURLを自分の携帯に転送してアクセスしてみてください。カッコエエ!
http://m.youtube.com/details?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3Dd7ezjcWqlEQ&v=d7ezjcWqlEQ&locale=ja_JP&warned=1&v2=1

■「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。 」の「栞」(しおり)があります。ただいま、新宿紀伊国屋書店など各地の書店で配布中。欲しい人は、橘川まで、80円切手をはりつけた返信用封筒(自分の住所・名前を宛先に書いておいて。サイズは定型用封筒で一番大きい奴で。長3かな)を同封の上、下記へお申し込みください。

〒152−0004
東京都目黒区鷹番2−8−16−102
デジタルメディア研究所 
「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。 」しおりん係


6月2日(月)
◇会社の帰りに、小柳くんが来訪。学芸大学はカレー屋さんが豊富。ココイチからスリランカカレー、スープカレーの店もいくつか出来た。カレーを食べながら、ODECOの今後について議論。

6月3日(火)
◇コンテンツワークの田邊さんが取材に来る。オンデマンド・パブリッシングはまだまだ可能性がある。

◇元少年マガジンの編集長だった内田勝さんのお通夜へ。戦後のメディアの大きな流れの一つを作った人である。でも、業界的には有名人でも、世の中的には知られていないだろうな。江古田の葬儀場で並んでいると、子ども調査研究所の高山所長がいて、一緒にご焼香。高山さんと内田さんは、ほんとに仲良しの友だちで、こういう友人関係は、もう僕らの世代から下ではありえないのではないか。

◇さすがにマンガ家がたくさん来ていたが、内田さんの古希のお祝いを神楽坂でやった時のことを思い出した。あの時も、水木しげるさんから松本零士さんまで、たくさん来ていた。戦後のメディア作業のフレームを作った故・小谷正一さんの著作で内田勝さんのことを取り上げていたことも思い出した。小谷正一、内田勝という、大きな先達がいたことを僕は忘れないし、僕は自分の活動内容で、彼らの墓前に報告していくつもりだ。

◇帰りに高山さんとお茶しようと江古田駅の周辺を探したが、潰れてしまった店が多くて、みつからない。高山さんは、江古田の日大芸術学部で講師をやっていたので、この辺の土地勘はあるのだが。ミスタードーナツしかあいてなくて、ドーナツとコーヒーでおしゃべり。どうしても内田さんの思い出と分析になってしまう。村上知彦くんと会えなかったので、今度、3人で会おうよ、と高山さんに言う。1970年前後、子ども調査研究所に出入りしていたのは、学生だった僕、村上くん、ジブリの鈴木敏夫さんらであり、そのすこし後には、週刊ダイヤモンドの辻広雅文くんや、パーソンズを作った岩崎隆弥くんなど、多士済々の若者たちが集まっていたのだ。高山さんは、もともと編集者で、横浜の学校の先生だった阿部進さんを発掘して「現代っ子」というネーミングと共に世に出した人。
彼の若い人たちの可能性を見抜く力と、引き寄せてくる力が凄いと思う。いつか「子ども調査研究所に集まった人たち」という本を出したいと高山さんに言ってるが、華やかなことは嫌いな人である。こないだ、作家の乙一くんが、高山さんの自宅に遊びに来たと言っていた。

◇帰ってからも、振り払えないものがある。人は死ぬ時に人生が走馬燈のように巡る、というのは嘘だと思った。走馬燈のように浮かんでくるのは、本人の心の中ではなく、残された者たちの心の中である。

6月4日(水)
◇内田勝さんの本葬儀。これまでのお別れは、お通夜か葬儀のどちらかに行くものだったが、なんだか落ち着かなくて葬儀にも行くことにした。ソニーデジタルの福田淳さんが、目を真っ赤にしている。福田さんにとっては大事な「親父」であり、日常行動を共にした「同志」であったから、とても大きな喪失感に襲われているだろう。

◇スタジオハードの高橋くんがいて雑談。お焼香の列を見ると、真崎・守がいる。あらら、と声かける。真崎さんは、内田編集長の時に少年マガジンで連載していて、僕はその少年マガジンの読者という関係だから、真崎さんからすれば「なんでここにいるの?」という感じで驚いていた。僕と内田さんの関係を説明すると納得。

◇内田さんの見送りをして、真崎さんと僕と、真崎さんの古い友人であるマンガ家のみやわき心太郎さんの3人で、江古田の喫茶店へ。真崎さんが「橘川は最近、何してるの?」というので、深呼吸する言葉の説明をし、「深呼吸カード」をお二人にプレゼント。喜んでもらえた。真崎さんと、また一緒に本を作りたいと言うが、笑ってるだけ。よく考えると、「深呼吸する言葉」は、僕が20歳の頃に、真崎・守から聞かされた言葉がキーポイントかも知れない。「反抗期というけど、反抗するのは時期だからするのではなく、反抗する理由があったからするのだ」(真崎・守)みたいな。真崎・守の深呼吸を勝手に作ってしまおうかな(笑)

◇西武池袋線にみやわきさんと一緒に乗る。いろいろおしゃべり。これから小学館に原稿を持っていくのだというので、原稿を見せてもらった。懐かしい、マンガの元原稿だ。そうかいまだに写植でネームはってるんだな。

◇池袋でみやわきさんと別れて携帯をチェックすると、元博報堂の林光さんから電話が入っている。連絡すると会わせたい人がいるから、石神井公園に来てくれと。再び西武池袋線に乗って石神井公園へ。光くんは、林雄二郎さんの長男。博報堂時代はいろいろ一緒に仕事をしたが、昨年、定年退社。もともとは雄二郎さんに紹介してもらった人だ。

◇林くんに福原哲郎を紹介してもらう。宇宙ダンスという新しい試みを追求している。パフォーマンスとしても面白そうだし、学校教育にも活用できる。いろいろ検討してみよう。福原さんは、笠井叡さんの弟子で、いわゆる暗黒舞踏家である。笠井さんの舞踏は、昔、何度か見たことがある。

6月5日(木)
◇定例会議の日。朝、ロッキングオンに行って、渋谷陽一に「昨日、内田さんの葬式で真崎・守に会ったよ」と言うと「おまえの昔の恋人じゃないか、昔の女と会った気分はどうだ」と(笑)。こういう感じの会話が出来るのは古い友人だからこそ。

◇午後からオンブックの会議。『東日流[内・外]三郡誌 −ついに出現、幻の寛政原本!−』が発売になる。すでに発売前から100人以上の問い合わせがあって、邪馬台国論争の新しい幕開けになりそうだ。

◇教育CSR会議の編集会議、もうすぐ、サイトがリニュアル・オープンする。御期待ください。

6月6日(金)
◇渋谷のハチ公前で、セルシスの加藤くんと会って、トランスコスモスの前のタリーズへ。滑川たちが待っていて、打ち合わせ。今年はシリコンバレーに行くことになるかも知れない。

◇クリオスの出雲路くんと、滑川・加藤くんを交えて、打ち合わせ。

◇カミさんと「豚しゃぶ」食べる。 環境問題の話になって、トヨタがプリウスの天井にソーラー発電機を乗せる実験をしているという極秘情報を(笑)話した。そこから、僕が30年前のロッキングオンに書いた、太陽発電批判の原稿を思い出して、説明した。ソーラーパネルを広げれば、そこの下の大地には光が届かなくなるわけで、植物やバクテリアにとっては迷惑だ、というような原理主義的原稿(笑)

 こないだの深呼吸する言葉はこうだ。「水力発電。水は魚の道。風力発電。風は鳥の道。その時に最高の技術だと思っているものだって、人間の考える技術は、やがて人間がうなだれるものになる」。ちょっと文章が違うか、まぁ、いいや、こんな感じ。釧路に行った時、海岸に風力発電機が並んでいて、風景的には美しいのだが、地元の人が「海鳥が突っ込んでいくんだよ」とポソっと言った。原爆だって、最初は科学者の知的高揚とその国の国民の望む気持ちで作られたのだろう。技術はダメだといってるのではなくて、そのことを知った上で、技術を追求すべきだし、環境問題を語るべきだと思う。

 環境問題のポイントは技術とか海外から流れてきた怪しいコンセプトやキーワードではない。毎日の自分の生活や仕事で生産しているモノが、本当に自分が必要としているものか。自分が買いたいものやサービスを作り出しているか、ということだ。自分が必要としない商品を大量に作り出して、膨大なエネルギーを浪費して、その給料で、環境問題を語るな、と言いたい。まずは、ひとりひとりが、自分の生活と仕事を見直して、本当に必要なものを必要なだけ生産することだと思う。自分が読みたくもない雑誌を編集している編集者が多すぎる。

 ある知り合いが外資系の企業をやめた。毎年、何千億という日本の資産を海外の本社に吸い上げられていくのを見ているのが辛くなって辞めたという。まぁ、吸い上げられた金も、もともとは海外から吸い込んできた金なのかも知れないが、誰もが、もう一度、ひとりひとりが、自分自身の生活と仕事を見つめなおさない限り、あらゆる矛盾は本質的に解決しない。誰かが演説して、それに感動したり、賛同したりしてたって意味ねぇんだよ

6月7日(土)
◇恵比寿のガオに寄って、照井と情報交換。照井が昔作っていた、サウンドスクーターがどうなっているのか知りたかった。橘川のYouTubeを携帯で見せる。

◇官僚のタクシー問題がマスコミの話題になってる。相変わらず、本質のことは何一つ語られていない。普通の9時−5時の勤務体制のサラリーマンからすれば、なんで官僚はタクシーなんかに乗るんだ、と思うだろう。飲み屋の帰りに、社用のタクシーで帰るんだろう、という感じなんだろう。そういう風に思う人は「自分だったら、そうやりたい」と思ってるからだろう。

 これらの最大の原因は、日本の政治家の幼児性にある。日本の政治家は、子どもじみた暴君であることが多い。はじめは普通でも、権力の美酒が、そういう人格に変えてしまう。政治家が海外視察という名の旅行に行くとなると、官僚がすべてを取り仕切り、付ききりの添乗員としてホテルの手配から土産物まで買いに行かなくてはならない。虎ノ門の飲み屋のおばさんは「欧米の政治家が国外旅行をする時に、官僚がついていく、と行っても、自分でやるから、と断るのが普通」と言ってた。普通の大人が政治をやっているのである。

 日本の場合は「権力者」になると、とんでもないわがままになる。まるで、貧乏人が突然、成金になったら、めちゃくちゃな浪費をするように、持ち慣れていない権力を持つと、普通の人間関係を壊してしまうような権力者になる。日本人は、「自己権力」というものを育ててこなかった人が多すぎるのだろう。

 だから、日本の政治は官僚がやっている。官僚が展望を考え、計画を立案し、法案を用意し、政治家答弁のQ&Aを作成する。国会の会期中、官僚たちは24時間体制で政治家のサポートをしなければならない。だから通勤はタクシーになるのだ。タクシー居酒屋の問題は、その流れから出てきた、タクシー運転手のビジネスモデルなわけだが、もっともタクシー接待を受けたのは財務省(MOF)なわけで、彼らは政治家の奴隷状態である。

 僕が「なんだかなあ」と思うのは、こういう状況を誰よりも一番良く知っているはずの新聞記者が、こうした背景を語らずに、官僚叩きをやってる姿だ。こんなことばかりやってると、誰も官僚になりたいと思わなくなって、日本は滅びる。

2008年06月05日

さようなら内田勝さん

◇直感で面白いと思った時にその渦中に飛び込まなかったものは、やがて何が面白いのかを感知する力を失う。20歳になる直前、僕は「ロック」と「マンガ」という二つの新しいカルチャーの潮流を面白いと直感した。そして「マンガコミュニケーション」というマンガ批評新聞の創刊に立ち会い、真崎・守というマンガ家と出会う。当時の真崎さんは、熱狂的なファンに支えられたヒーローであった。「ヤングコミック」で連載していた「はみだし野郎の子守歌」シリーズは、僕の友だちも何人も読んで泣いた。真崎さんの住まい兼仕事場のあった「ひばりヶ丘」の駅前には、夏休みになると全国から若い人たちがアテもなく訪ねてきて、うろついていた。家出して押しかけてくる子も少なくなかった。「COM」で峠あかねというペンネームでマンガ批評をしていた時代から、一変して創作する側にまわり、「2流マンガ雑誌」でファンを獲得し、ついに「少年マガジン」に連載を開始し、別冊少年マガジンで連載していた「ジロが行く」で講談社マンガ賞を受賞した。(このあたりの記述は、まだ検索して確認していない記憶だけのものなので、何か間違いがあるかも知れない。今は検索して精査する余裕がないので、後日、確認する)。当時の「週刊少年マガジン」は内田勝編集長のもと、新人マンガ家が続々と登場し、大伴昌司さんのグラビア記事や横尾忠則さんを表紙に起用するなど、やりたい放題の雑誌であった。そこに真崎・守の「キバの紋章」という連載が始まった。女の子との付き合い方が分からなくなった少年が、暗闇の中に入る、という場面があって、真崎さんは、全ページスミベツの原稿を内田さんに渡した。「闇しばり」というタイトルだった。流石の内田さんも、困ってしまい、3頁半に妥協したようだ。しかし、スミベタ3頁半というのは画期的なことだろう。少年の心象風景を描くにはこれしかない、と真崎さんは言った。ちなみに、それから数年して「ガロ」に真崎さんが描いた時、今度は「雪」のシーンで、真っ白な心象風景を表現するために、白頁を要求した。長井勝一さんも困ってしまい「ノンブルだけはいれてダメですか」と聞いたら「雪の上に数字はない」と真崎さん。マンガを描く側と編集する側が、とてもクリエイティブな関係に満たされていた時代なのだ。

◇少年マガジンで「闇しばり」の話を読んだ僕は、真崎さんに電話して、これから1週間闇の中に入ります、と言って自分でやってみた。これも直感のなせる技だったのだが、このことが僕の人生そのものに大きな大事なことを教えてくれた。とにもかくにも、メディアを通して、さまざまな関係が生まれ、人の人生がダイナミックに動いていた時代なのだ、70年前半は。

◇内田勝さんと始めて会ったのは、そうした70年前半の喧噪も収まり、新たな時代の流れが始まりつつあった78年ぐらいである。子ども調査研究所の高山英男さんから、「今度、友だちが若者向けの雑誌を作るから、意見を言ってくれないか」と言われた。高山さんは、僕が10代の時に、読書人の投稿頁に掲載された僕の投稿記事を見て電話してくれた、僕の文章の最初の読者である。青山の子ども調査研究所は、僕が勝手に「故郷」と名付けていて、いつでも帰ることの出来る空間である。

◇内田さんは「少年マガジン」編集長を辞めた後、「月刊現代」の編集長になって、会った時は「新雑誌開発室」だったかの名刺だった。部下の土屋さんと一緒に現れて、まだ20代の僕には、とても威圧感があった。当時の僕は「ロッキングオン」をやりつつ、「ポンプ」という投稿雑誌の編集長をやっていた。内田さんといえば、出版業界ではマガジンハウスの木滑良介さんと双璧をなす巨人であった。それがきっかけで、内田さんとの関係が生まれ、いろいろな場所に連れて行ってもらっては、ごちそうになりながら、おしゃべりをした。銀座のバーや、九段の沖縄料理、飯田橋の小料理屋など、それまで行ったことはない「大人の世界」(笑)へ案内してくれた。

◇内田さんが僕の話で驚いたのは、「ロッキングオンは4人ではじめたのだけど、僕以外の3人は、読者と結婚しましたよ」と言った時だ。「信じられない」という顔をした。内田さんが生きてきた古い出版業界にとって、編集者と読者は「此岸と彼岸」の関係であって、編集者が読者と個人的な関係になるなんてあり得なかったのだろう。少なくとも職業的倫理としては、そうだったのだろう。「そういうところがロッキングオンの新しい所だね」と内田さんは言った。

◇内田さんは、おしゃべりなので、少年マガジンの時代のエピソードをたくさん聞かせてくれた。それはどれも、少年マガジンの創刊の頃から熱中してマンガ少年にとっては、目が輝きすぎて破裂しそうなエピソードばかりだった。特に、ジョージ秋山さんとの出会いは、感動の極みであった。僕は業界の噂として「アシュラ」や「ゼニゲバ」の顔のモデルは内田さんだよ、とか、噂される鬼の編集長としてとてつもなく怖いイメージを持っていたのだが、ジョージ秋山さんのことを語る時は、「困った奴だ」と言いながら、本当に嬉しそうに語るのだった。

◇当時、出版業界のことを古くから知っている先輩に「最近、内田さんとよくおしゃべりするんですよ」と言うと「えっ?」という顔をされた。業界では、内田さんの評判は「自分にとってメリットのある人とは徹底的に話すけど、自分にとってメリットのない人は、いくら話しかけても上の空で聞いていない」というものだった。先輩は「おまえは内田さんに認められたんだよ」と言われて、なんだか少し舞い上がった。

◇やがて、新雑誌企画室は「ホットドッグプレス」(HDP)として創刊することになった。その創刊時に、僕は「文化通信」という講談社系の業界新聞の一面で内田さんと対談することになった。銀座の三笠会館の個室で対談をした。生まれてはじめてこういう場所で対談することになって、なんだか大人の世界であった。HDPの創刊が1979年だから、僕は29歳。それまでマンガとロックの世界しか知らなかったサブカル人間だから、それも仕方ない。内田さんが亡くなって、あの記事を読んでみたくなって、文化通信に問い合わせてみたが、そういう記事はないという。もしかしたら、あの号は、HDPの創刊に合わせて書店向けに作られた特別号なのかも知れない。そんな気もしてきた。だとしたら入手は困難だな。どなたか持っている人いたらコピーで良いのでいただけませんか。

◇HDPはよく「ポパイの真似」だ、と言われたが、内田さんは、「ポパイ」を一切読んだことがなかった。スタッフにも読むな、と言っていたはずだ。版型とかデザインに似ていたが、内田さんがやっていた時の内容は、相当違うものだった。大阪のチャンネルゼロと組んで、いしいひさいちが手書き頁を作ったり、「徴兵制問題」を特集したりしていた。僕も何度かコラムを書かせてもらったり、ぴあの矢内宏くんのインタビューをまとめたりしたこともある。

◇その後、HDPから離れて、講談社の役員になった頃はあまり知らない。「デイズジャパン」の騒動で、編集長だった土屋さんが退社して、しばらくしてから責任を取る形だったのだろう、内田さんは講談社を離れた。それからしばらくして、土屋さんが創業にかかわっていた三五館が四谷の新道通りに編集部を設けて、そこで内田さんと飲んだりした。

◇そこから、徳間書店での蹉跌やソニーに移ってのアニマックスの大成功など、噂では聞いていたが交流は途絶えていた。それでも、2001年に僕が「21世紀企画書」(晶文社)を出した時の出版パーティを大阪でやった時は、わざわざ大阪まで来てくれた。交流が活発化したのは、2004年頃である。「アニマックス事業を一緒に立ち上げた福田淳さんが、今度、ケータイビジネスをやるから、アドバイスしてくれないか」と電話があった。築地の料亭に呼ばれて、ケータイとインターネットの本質について語った。そこから、福田さんとの関係が生まれ、福田さんは「ソニーデジタルエンターティメントサービス」という会社を立ち上げて社長になった。魂は内田勝である。

◇ここ数年は、よく学芸大学のデメ研にも来てくれたし、田町のアニマックスに行くと、「ちょっと出よう」と行って、浜離宮を散歩しながら、いろんなおしゃべりをした。今年の2月には「ケータイ文学賞」の審査会が品川のソニー本社であったのだが、休憩時間に「ちょっと橘川くん、いいかい。少し話そう」と、ロビーの椅子に座って、雑談をした。どうという話ではないが、何か伝えたいという気持ちだけが静かに伝わってきた。

◇70年代の後半、内田さんは、こんなことを言っていた。「僕は少年マンガ雑誌をやってきて、少年たちが100円玉を握りしめて、雑誌の発売の日に本屋に駆け出してくる、というのを見てきて、これはいつか終わるだろう、と思った。それを終わらせるのは何なのかずっと分からなかったのだが、最近、分かった。スペースインベーダーだ。テレビゲームというのが、少年マンガ雑誌を終わらせる。100円玉持ってゲームセンターに駆け込む少年たちを見て、確信した」と。内田さんが、マンガの進化を、印刷メディアから、衛星放送やケータイの世界の中に見ようとしたことは、当時からの必然であったと思う。

◇通夜の日、帰りに高山英男さんと、江古田のミスタードーナツでおしゃべりした。高山さんと内田さんは、本当に仲がよくて、二人で延々と電話で世間話をしているのを何度も見ていて、「よく男同士でこれだけ長電話出来るな」とあきれたこともあった。60年代の高山さんの事務所には寺山修司さんも関係していて、寺山さんの奥さんである九條今日子さんは、内田さんの飲み友だち。でもなぜか、お酒の飲めない高山さんも交えて三人で飲むことが多かった。

◇福田さんが、内田さんの遺書のようなコピーを作ってくれた。それは、読書家、内田さんが生涯で読んだ本の中から「この1冊に出会えた幸せ」と名付けたベスト10だ。一番に上げられたのがメーテルリンクの「昆虫三部作」。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。メルビルの「白鯨」(ブラッドベリの「緑の影、白い鯨」)。ガルシア・マルケスの「族長の秋」「百年の孤独」。山本周五郎の虚空遍歴。司馬遼太郎の「竜馬が行く」。内田百里痢岼に捨鷦屐廖L缶邉弸遒痢屮疋哀薀泪哀蕁廖E臈捗〇覆痢岼徹悩笋凌誘瑤い量據廖B偲調鄲綮劼痢嵶業觚翕群痢廖嵌つの小鍋」。これらの本は、遺体と一緒に納棺された。

◇高山さんに、そのコピーを見せると、「内田くんらしいな。彼は、漫画よりも文学が好きだったんだろうね」とぽつりと言った。僕は、長年のナゾが解けたような気がした。内田さんは、僕とおしゃべりする時、マンガ家のエピソードは嬉しそうに話してくれたが、作品については、あまり言わなかったような気がする。少年マンガを作りながら、内田さんの興味があったのは、マンガに情熱を燃やす「人間」の方にあったのではないか。それは、僕自身がロック雑誌をやりながら、ミュージシャンの噂話やテクニックに精通するようなロック馬鹿にはならなくて、むしろロックに向かう人の情動の方に関心があったのと似ていたのかも知れない。マンガという出来上がった作品よりも、それを創り出す途方もないエネルギーをもった、粗暴で単純で下品で成金になると舞い上がり自信を失うとどうしようもなくなる、そんな最も人間らしいマンガ家そのものが、内田さんの興味の対象だったのだろう。

◇内田さんのような、大きな人間に出会えて、同じ時間と空間を共有出来たことを幸福に思う。この幸福を確かめながら、僕は、明日も生きて行く。さようなら内田さん。ありがとうございました。合掌。

2008年06月04日

深呼吸する会議 in とかち

今年の7月12日に、帯広で「深呼吸する会議」を行います。この前後の日で、日本中から地域活性のキーマンたちが帯広に集まり「ローカルサミット」を実施します。その流れに合流しようというものです。「深呼吸する言葉」に関心のある方、「地域活性化」に関心のある方、その他、新しい動きに関心のある方で、都合がつく方は、ぜひ、この機会に帯広にお集まりください。10年前に帯広で「地域プロバイダー会議」を仕掛けました。そこで集まった人たちが、その後のインターネットの発展のためにさまざまな活動を連携しながらしてきました。今度の集まりも、新しい時代の流れを育む人間関係が形成されれば、と思います。



深呼吸する会議 in とかち

◇第一回「深呼吸する会議」を行います。4月後半にスタートして、まだ1ヶ月余りですが、さまざまなノウハウと方向性を確認出来ました。今後の展開について、参加者の皆さんと議論したいと思います。

◇参加希望者は、橘川までメールをください。メールのタイトルは「深呼吸する会議」でお願いします。

日時=2008年7月12日(土)13時からの予定
場所=ヘレンケラータワー(北海道・帯広)
現地集合。宿泊、飛行機などは各自で手配。

◇7月8日から10日まで、北海道・洞爺湖でグローバルサミットが行われます。それに合わせてというか対抗して(笑)11日から帯広でローカルサミットを行います。ローカルサミットは、地元帯広の「元気ネット/場所文化フォーラム/ものづくり生命文明機構」が主催します。帯広商工会議所青年部20周年事業でもあります。全国から100名以上の地域活性化キーマンが集まります。ここに集まる人たちを深呼吸にまきこみたい(笑)

◇この流れの中で、「深呼吸する会議」を設計します。「深呼吸する言葉は自分を活性化し、自分が活性化すれば関係性が活性化し、関係性が活性化すれば地域も活性化する」というのが僕のイメージ・ロジックです。

◇7月12日のお昼ぐらいに待ち合わせ場所を設定しますので、そこに集合の上、「ヘレンケラータワー」へ向かいます。詳細は、これからです。素晴らしい環境の中に素敵な搭が建ってます。

▼情報頁は以下です。(詳細など決まったことは、以下に掲載していきます)

▼ヘレンケラータワー

▼これは冬のフィールドカフェです。夏は雪景色の代わりに一面の小麦畑。



とかちローカルサミット(後藤健市くんによる運営案)

●趣 旨
今年の7月に北海道・洞爺湖でグローバルサミットが開催される。これは日本にとって、さらには北海道にとって、地域の価値と、その価値を活かす具体的な行動を国内だけではなく、アジア、そして世界に発信する大きなチャンスである。そこで、国内外のメディアが注目するこの機会を捉え、21世紀に最も重要なキーワードである"持続可能:サステイナブル"を軸とする新たな地域(自然)と人間の関係(行動原理、ライフスタイル)の構築を目指し、ローカルサミット「とかちカンファレンス」を行う。メインテーマはグローバルサミットと同じ「環境」であり、そこに「地域」と「サスティナブル」を加える。このメインテーマのもと、自然と人間、グローバルとローカル、中央と地方の間に生じている"対立意識"を超えた新たな概念を形成・共有し、ローカルだからこその魅力と新たな関係性構築に向けたローカルでの諸活動の重要性と、グローバル時代のローカルからの変革の視点の戦略性を確認し、それを国内はもとより、アジア等に向け発信しつつ、地域再生と持続可能な社会構築の真の方向性を示す。

●7月11日(金)14:00〜18:00 元気大賞受賞組織の実践行動発表
         19:00〜21:00 前夜祭 
●7月12日(土)10:00〜12:00 各セッション等 
         12:00〜17:00 十勝視察
 17:00〜19:30 フィールドカフェレセプション
→レセプション後は市内へ移動し、各自で北の屋台等を楽しむ
●7月13日(日) 9:00〜12:00 ローカルサミットシンポジウム 

2008年06月02日

一週間の日記 5月26日から6月1日まで

5月26日(月)
◇神田外語の渡邊さんが、デザイナーの落合さんを連れてくる。フレンドリーの後藤くんと同席。これからの「深呼吸する言葉」のプランについて説明する。

◇銀座の栄光に行って、野澤さんと打ち合わせ。塗り絵本をいただく。

5月27日(火)
◇信国乾一郎と、リクルートエージェントの村井社長が来社。「森を見る会」の打ち合わせ。でも話題は「深呼吸する言葉」へ。村井さんは、「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ」を自宅のトイレに置いている、と。トイレに置いたという話は良く聞く。

5月28日(水)
◇「深呼吸する言葉」の「文章・書き方・読本」の原稿を仕上げる。文章を書く人のための心得だ。オンブックで発行。

5月29日(木)
◇今日は一日、会議の日。ロッキングオン、オンブック、教育CSR会議。

5月30日(金)
◇湯河原温泉「阿しか里」へ。田口ランディが主宰する勉強会に参加。アクティブな人が15人ほど集まって、会議。楽しい。勉強になる。

5月31日(土)
◇朝から、温泉に入ってゆったりする。温泉旅館の朝飯もおいしい。

◇IACグループの皆川くんと、おしゃべり。古い友人で、久しぶりの再会。

◇そのあと、ランディの自宅へ行く。ランディのアルバムを見せてもらう。お父さんは海の男だ。たくさん写真があるが、どれひとつとして目が笑っていない。昔の男は、そうだったのだろうか。ランディの亡くなった兄の写真も見せてもらった。

◇帰りに、もう少しお風呂に入りたくなって、近所の温泉に車で送ってもらう。家を出た時に携帯メールをチェックしていたら、ソニーデジタルの福田さんから「内田勝さんが亡くなった」というメールが入っている。愕然として、そのまま温泉に向かったが、のんびり出来る状態ではなく、すぐに出てしまった。タクシーで駅まで行けと言われていたが、歩き出し、海の方に向かった。たまらない気持ちだ。内田さんとは30年くらいの付き合いで、いろいろ教えてくれた。先日の僕の出版パーティに参加すると連絡ありながら、来なかったので大丈夫かな、と思った。今年になって、元テレビマンユニオンの村木良彦さん、元講談社の内田勝さんと、メディアの世界の2人の先達を亡くした。2人とも30年近い付き合いだ。与えられたもの以上のものを返すことなく、いなくなってしまう。なぜか、2人のことを思うと、その先に故・小谷正一さんの顔が浮かぶ。僕は、彼らから教えられたものを、次の世代に渡しているだろうか。

6月1日(日)
◇日販の柴田くんが来社。いくつか新企画を検討して、フランス料理を食べに行く。