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社長日記

2007年08月26日

1週間の日記 8月20日から8月25日

8月20日(月)
◇小崎祐美の案内で根室で蟹を買って東京に送る。安い。その後、別海町の教育委員の人や、小崎の両親に会って、中標津空港へ。中標津は「グレードの高い田舎」と言われてるらしい。おしゃれな家がたくさんある。産業はないが自衛隊があるからだろう。

◇東京は暑すぎる。荷物を抱えて事務所へ。メールが山のように溜まっている。

教育CSR会議を本格的に開始する。北海道の旅の間に、いろんなことが整理出来た。

8月21日(火)
◇目黒にあるクレアンの東京事務所に、京都の北田くんに連れられて、園田綾子社長を訪問。この会社は、CSRリポートの制作で評価の高い会社だ。大企業が殺到しているらしいが、40社しか受けないというポリシーのようだ。園田社長は、CSRに対してまっとうな見識を持っている人。勉強になった。今後も、いろいろ協力してもらうことになりそうだ。おみやげにクレアンが主導している「マイ箸クラブ」の箸をもらう。

◇写真についての論考をまとめることにした。サークルサイトを使って、動きを始める。

8月22日(水)
◇午前中、東大生3人+早稲田生2人が来社。教育CSRに関連して一緒に活動することになった。学生の人で、教育CSRについて関心のある人は「こちら」に登録してください。

◇日販の松島凡ちゃんが合流し、みんなでランチ。

◇インサイトコンサルディングの槇本さん、来社。人材研修のエキスパート。教育CSR会議にとっては、貴重なパートナーである。槇本さんの話によると、もうすぐ携帯電話の販売会社に対する保証金(キックバック)が廃止になる。そうなると、駅前の賑やかな携帯電話販売ショップが撤退する。東京はともかく、地方
都市などで、これがなくなると一気に寂しい風景になるし、フリーターたちも失業する、とのこと。

◇夕方から、ベネッセの会議。橘川が80年代初期に編集した「大学生ですよ」(ライオン社)という単行本を見せる。裏面で20代後半の橘川の写真が載っている。それは確か、夕刊フジに掲載されたもので、まだウォークマンがない頃に、バッグにラジカセを入れてヘッドホンをつけて電車通勤しているサラリーマンがいる、という記事の時の写真である。当時、僕は駒沢の自宅から飯田橋のポンプ編集部まで音楽を聴きながら通勤していた。

◇会議終了後、フレンドリーの後藤くんは仕事で帰ったが、残ったみんなで、近所のポルトガル料理の店へ行く。

8月23日(木)
◇午前中はロッキングオンの会議。午後からオンブックとオデコの会議。

◇教育CSR会議の雑誌創刊号が出来る。さて、すべては雑誌から始まるのだ。

8月24日(金)
◇教育CSR会議の金子くんと打ち合わせ。教育CSRで問題なのは、現在の企業のパワーだと、単発のイベントでしか実施出来ないということだ。全国3万近い小中学校に対してサポートするのは、単一の企業では無理だ。何らかしらのコンソーシアムが必要だと思う。

◇渋谷のガイアックスへ。上田社長は8年ぶりくらいの再会。ネットサポートのノウハウのある会社だが、学校には金がない、という状況をどうクリアーしていくかが課題だ。

◇銀座で野澤さんと、「環境教育」についての意見交換。こちらも定例会議をやらなければならなくなるだろう。

8月25日(土)
◇午前中、滑川海彦と市川昌浩が来て、デメ研リポートの打ち合わせ。滑川がリンデンラボの本社を訪問してきたので、そのあたりを中心にリポートを編集する。

◇東急エージェンシーの小柳くんと、太田くんが合流。みんなでイタメシへ。太田くんは、初めて会うのだが、以前に僕から電話をもらったことがあると言う。彼が、学生の時にポンプに投稿したら、僕から電話があって「君が投稿してくれた原稿を無くしてしまったので書き直してくれないか」(笑)というものであったらしい。ほのぼのとした時代だった。

◇メインのパソコンが壊れる。原稿のメモがいろいろ入っているので、それだけは取り出したいが、無理なら仕方ない。こういう時は昔から市川が助けてくれる。

◇20世紀が終わった時に「次の時代は20世紀とは違う仕方で仕事をしなくては」と思った知人が何人かいる。しかし、その方向性は180度違う方向に分かれた。20世紀を反省し乗り越えて行くスタイルと、より20世紀の方法論を尖端的にしたものと。土日は雑用したり、洗濯したりして、僕なりの21世紀ライフスタイルを考えるひとときだ。

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▲人間と自然

2007年08月20日

1週間の日記 8月13日から8月19日

8月13日(月)
◇香川から井上憲吾くんのカミさんである旧姓・芦田裕美子さんが来社。久しぶりの再会である。おみやげに持ってきてくれた高松の「菓子工房 ルーヴ」のクッキーが抜群。70年代から頑張っている人たちが、いろんな世界にいるんだなぁ、と。

◇神奈川の二宮に行く。星槎学園の宮沢会長の所に、谷岡まち子さんを連れて行く。まち子さんは、谷岡ヤスジさんの未亡人で、スペクトラムマンの女優でもある。ソニーデジタルエンターティメントの福田さんと高松くんと同行。昼間からビールとバーベキューで歓待を受ける。いやぁ、面白いことになってきた。「谷岡ヤスジの作品はギャグ漫画ではない。人間マンガだ!」と、宮沢会長は絶好調。

8月14日(火)
◇汐留の電通に行き、田中くんらと打ち合わせ。

8月15日(水)
◇タウンタウンの田尾さんが来社。いろいろ打ち合わせ。

8月16日(木)
◇毎日、暑すぎる。今週は会議をさぼって、休みとする。

8月17日(金)
◇羽田から帯広へ。半ズボンで来たので寒い。後藤健市くんが空港まで出迎えてくれて、車で千年の森へ。教育支援協会の吉田さんが、廃校を使った自然体験プログラムを実施中。東京の子どもたちは、最初はおっかなびっくりだったらしいが、見事、馬に乗って隊列歩行をしている。

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▲ネイチャーキッズ

◇吉田さん、教育支援協会・北海道の安江さんと、後藤くんの案内で、ヘレンケラータワーへ。来るたびに凄い建物だと思う。石山修武さんの作品だから、建築学生が見学に来ることも多いらしい。

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▲近所の農家からは「宗教団体の建物ではないか」と言われているらしい(笑)

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▲建物の2階で後藤くんと吉田さん。

◇みんなで帯広で宴会。何軒も店を回る。屋台村を卒業して自前の店舗を持つようになった人たちも現れてきた。これもまた当初からの屋台村のコンセプトだったのだろう。

8月18日(土)
◇帯広から釧路へ。ゆるい電車の旅。携帯電話のじゃらんでホテルも楽々に取れるので、綿密な計画を立てて行かなくても、なんとかなるもんだ。釧路湿原をノロッコ号に乗って、散策。札幌は北海道という感じがしないが、帯広や釧路は、北海道らしい。大地も広いがそれ以上に空が大きい。

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▲北海道の空と大地

8月19日(日)
◇釧路から厚岸で下車。牡蠣を食べたかったのだが、どうもシーズンではないらしい。駅前の定食屋に入って「牡蠣丼」というのを頼む。焼牡蠣とかがのっかってるのかと思ったが、牡蠣フライのカツ丼であった。それなりにおいしい。

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▲かもめ飛ぶ厚岸

◇夕方、根室へ。藤原祐美(旧姓・小崎)が改札で出迎えてくれる。彼女は81年に最初の橘川事務所に突然現れて、働かせてくれと押しかけてきた子。10年ぐらい東京で仕事をして、故郷の別海町に旦那の藤原くんと一緒に帰った。そういえば、1990年に僕の「一応族の反乱」(日経新聞社)という本の出版パーティをやって、発起人80人、参加者800人という、僕の歴史の中でも最大のイベントをやった時、司会は彼女とニッポン放送の永田さんだった。

◇旦那の藤原くんに根室を案内してもらい、銭湯でゆったりして、あとはでかい蟹のごちそうだ。根室の海はすばらしい。

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▲根室・浜松海岸の風力発電。エコ的には良いのだろうが、風の路は鳥の路であって、大きな鳥が風車に激突することも少なくないらしい。人間の考えることは、よかれと思ってやっても、自然にとっては迷惑な話なのかもしれない。

2007年08月12日

1週間の日記 8月6日から8月12日

8月6日(月)
◇フィランソロピー協会で林雄二郎さんと待ち合わせ。日経ITプロに掲載された、久米信行くんの、林さんの講演会レビューをコピーして持って行く。林さんの文章の読み方というのは、いつも凄いと思うのだが、すらすらと流して読んでいくのではなくて、タイプライターで文字を打ち出すように一行一行、真剣に読んでいく。読み終わってから笑顔で「橘川くんの仲間は、ささいなことでも、受け止めてくれて嬉しい」というようなことを言われた。

◇そのあと昼飯をしようということになり、新丸ビルで鰻をごちそうになる。日本酒を1合半ほど二人で飲む。林の交友録をいろいろ聞かせてもらった。梅棹忠夫さんとの交流は大きなものだったようだ。「ある時、梅棹さんが、このままでは人類は滅びる、と言ったんだよ。そりゃあ大変だ、と思って、いつぐらいまで持ちますか、と聞いたら、何万年だか何十万年だとか言うんだ。驚いたね、私は経済企画庁の役人だったから、未来というと10年ぐらい先のことだったかにね」。梅棹さんの発想から、「人間には、時間の物差しが多様にあるんだ、マルチ物差しが必要なんだ」と気がついたと言う。「浮世系、浮世離れ系」というのは、梅棹さんの考えが林さんに大きな影響を与えたのだろう。

◇林さんは「情報化社会」という言葉の産みの親だが、梅棹さんは、「情報産業」という言葉を作った。お話したことはないが、10数年前に、林さんが受勲した記念のパーティがあって、僕も隅っこにいた。車椅子の梅棹さんがわざわざ京都から来ていて、失明の姿は痛痛しいものがあったが、林さんとの友情は強いものがあったのだろう。

◇その他、初めて聞いたことがたくさん聞かせてもらった。林さんの長男の光くんが、博報堂を定年退職した。博報堂は、その人の誕生日が定年の日になるらしい。博報堂らしい。

◇久しぶりの昼間からの日本酒で、暑い大手町をゆらゆらと揺れて歩く。気持ちが良い。

◇事務所に帰って、オンブックの市川と打ち合わせ。SNSを使って、小説や原稿を書き進められるシステムを作ろうと思う。市川に、林さんと梅棹さんの話をしたら「そういえば、25年くらい前に、橘川事務所に林さんが来てレクチャーしてもらった時に、今西錦司さんと意気投合した、とか言ってたな」と。梅棹さんは、今西さんの弟子だ。なんか、明るく時代的なインテリたち、というのがいなくなったな。暗くてオタクなインテリばかりで、そういうのは付き合いたくねぇな。

8月7日(火)
◇京都の北田くん、ODECOの金子くんと新宿駅で待ち合わせ、サナルへ。サナルは、浜松を拠点にした予備校。サナルが開発している電子黒板・See-beを見せてもらったのだが、これが、ものすごい可能性を秘めたものだ。教育というジャンルは、ほんと、ワクワクすることが多い。

◇神田へ行き、神田外語学校の渡邊さんと打ち合わせ。彼女は、リアルテキスト塾生。オデコ、教育CSR会議などの説明をして、協力を求める。ちょっとした動きを始める予定。

8月8日(水)
◇カミさんと会議。ちょっと、やることが増えすぎて、整理。ブログに書けない企画もいくつかあるし、相変わらず、儲からないけどエネルギーが必要なことも、いろいろやってるしな。

8月9日(木)
◇ロッキングオンへ。ロックインが終わったばかりというのに、渋谷は相変わらずパワフル。今週はサマソニなので、フジロックと同じで渋谷は、しょこたんぶろぐ並に、フェス会場から携帯でテキストを送ってくる。会議が終わって、渋谷に「忙しいところ申し訳ないが、新刊の推薦文頼むよ」と、エンターブレインの橘川・村松恒平対談のゲラを渡して、頼む。いやな顔ひとつせずに「おお、いいぜ」と引き受けてくれる。帰りのエレベーターで山崎洋一郎くんに「みんな忙しいね」と言うと「うちは、社長が一番忙しいから、誰もさぼるわけにはいかないんですよ」と。

◇午後から、オンブック、オデコ、それに今週からは教育CSR会議の会議。

◇教育再興連盟は吉山事務局長が来社。すでに、さまざまな実績のあるNPO法人。いろいろと提携していこうということになった。

8月10日(金)
◇青山・骨董通りのスタバで、電通の田中くんと打ち合わせ。そこに、日経BP社の藤田くん、ガオの照井、滑川らが合流して、糸井重里事務所へ。糸井さんは、ほぼ同世代なので、常に似たような時代の空気を吸って育ってきた。インターネットへ辿りいたことも、インターネットの次を模索していることも、同じだと思う。

◇お互い、不思議な自己紹介。大木槌にはかなわなかった糸井さん。闇返しの橘川。このミーティングが、何を生むか生まないか、それも時代の塩梅でしょう。

◇雰囲気は、滑川海彦のブログを参照。そうそう、滑川がデメ研の研究員になって、ブログを開始した。こないだアメリカに取材に行って、グーグルやリンデンラボも訪問してきたので、リポートはオンブックでまとめる予定。

◇終了後、滑川・照井と居酒屋へ。このメンツは、25年前の恵比寿の橘川事務所。

8月11日(土)
◇午前中、ガイアックスの蔵田さんとミダックの改正(かいしょう)くんが来る。蔵田さんは、こないだのイーベイビーでのODECO説明会に参加してくれた子。ダンスをやっているというだけあって、エネルギーありそう。

◇久米信行くんも途中参加。久米くんとは、林さんとの会合を打ち合わせ。林塾をやろうと思う。私塾のネットワークをやろうと思っているのだ。「私塾の時代」参照。

8月12日(日
◇村松恒平の芸術運動【DRAGON ART】で個展をやるので作品を出してくれというので、作っている。

◇通販で買った安い本箱が届いたので組み立てる。えらく力のいる作業だ。いろいろ、安い商品が増えたけど、高齢化社会になると、それを使いこなすのにも、腕力や指の力なんかが必要になると、使えない商品になってしまうな。

◇「ゼルダの伝説 夢幻の砂時計」終了。しかし、このゲーム、漢字を平仮名に変換してくれたりして、かなり子ども向けに作ってあるのだろうが、漢字の分からない子どもたちが、スイスイと出来るゲームではない。ネットの攻略サイトがなければ、ぜってぇ、無理。画面にメモが書けるというのは、画期的。ゲームだけではなくて、新しい動きになるな。

◇リアルテキスト塾の塾生、募集中です。現在、2人(笑)。あと5名ほどいないと始められない。塾OBの人は、知り合いにも声かけてください。

◇糸井さんとの会話にも出てきたけど、僕は「一週間の日記」というのが、リズムとしては、なじむ。読む方もそうだろう。メディアには「新聞」「週刊誌」「月刊誌」という、リズムがある。僕のブログのリズムは週刊誌。

◇来週末は、北海道。帯広から根室までブラつく予定。近くにいる人いたら、合流しよう(笑)

2007年08月06日

ROCK IN JAPAN FES 2007(特別日記)

8月5日(日)

ROCK IN JAPAN FES 2007へ行ってきました。常磐線で水戸まで行き、そこから茨城交通のバスで「ひたち海浜公園」へ。常磐線で柏より先へ行くのは初めてだ。

GRASS STAGE オープニングで渋谷陽一が挨拶。そいでマキシマム ザ ホルモン。いきなり重厚感ある音でテンションあがる。渋谷が「マキシマムは4日間フェスに来てくれたんですよぉ」と言っていたが、それは3日間の間違いだろう。

ロックというビジネス&表現シーンが素晴らしいのは、やってる連中がみんなロックが好きだということだ。マキシマムもミュージシャンであると同時に誰かの熱烈なファンなんだ。MCでクロマニヨンズをハイローズと間違えていたが、好きなんだろう。

コミュニケーションの何たるかを、心でも頭でも分かっていない連中が大きな顔をしてWeb2.0だとかCGMだとか語るインターネットの世界とはまるで違う。

最初のマキシマムで暑い中で音に合わせていたらクタクタ。こりゃあ、もたない。しかし、僕はもう現役ファンではないので、ブルーハーツがハイローズではなくクロマニヨンズになったこともよく知らず、YO-KINGというバンドをきいたてたら「なんだよ真心みたいだな」と思って、よくステージをみたら倉持陽一くんではないか。

水分をたっぷり補給しつつ、PUFFYへ。さすがに存在感がある。しかし、今日、見たかったTHE ピーズと時間が重なっているので、途中で抜けて休憩して遠くからPUFFYと大観衆の風景を見ていると、背中を叩く奴がいる。このカオスの中で奇跡的に渋谷陽一と会う。

「おまえ、みたか、これ、これ全部、オレ一人でやったんだよ」とPUFFYの観客を指さして、誇らしげというよりも、疲れ果てた顔をして言う。確かに、ヘルメット被ってステージ設営の現場監督から、ミュージシャンのブッキングから、おそらくは屋台のセレクトまで、全部、渋谷がやったんだろう。マキシマムの挨拶の時に「4日間」と間違えたのは、自分のことだろう。「渋谷陽一祭」と言われるのも無理はない。

僕が渋谷と別れてから4半世紀、あいつは孤独にハイテンションのまま走り続けてきたのだろう。スタッフはいても、僕らのように対等に意見を言えるわけではない。その年月は、いくらか感動しても良いものだと思う。

渋谷は「雨降るかもしれんぞ」と言い残して、すぐに楽屋へ消えた。僕は、SOUND OF FORESTの会場へ。ハルくんがマイクテストしている。彼も20年の歳月をロックの現場で過ごしている。スタート時間が迫ってきて、前の方の観客は「早くはじめて」という気配をハルくんに送る。しかし「もうちょっと待てば、PUFFYの客がこっち来るかもしれないじゃん。来ねぇか、来ねぇな、絶対」とか言ってる。

そして、いきなり「死にたい奴は死ね」がはじまる。「死にたい奴は死ね。死にたい時に死ね」という曲は、登場した当時は「尾崎豊の死について歌った曲だ」と聞いたことがある。尾崎豊のことなど誰も知らない会場の観客に対して、ハルのすさまじい言葉のエネルギーは健在だった。

僕がハルのことを知ったのは、90年のはじめ。家でMTVを見てたらハルの歌声が聞こえてきて、「なんだこいつ!」と思わず声をあげてしまった。すげえすげえと騒いでいたら、中学生だった娘がシングルアルバムを渡してくれた。それが「マスカキザル」だった。以来、僕としては珍しく、ライブハウスに通った。

ハルくんがシャツを脱ぐ。しかし、ヒロトもそうだけど、良いおっさんなのに、アバラが出てるような痩せた肉体。オープニングでいきなりひきこまれて、久しぶりにライブで踊りまくる。アビさんも、相変わらず嬉しそうにギータをひく。キースリチャードみたいになってきた。タイコはウガンダの時代しか知らないが、いろいろ変遷してるようだ。

あとはバラードを一曲やってもらえればと思ったが、「底なし」を聞けたから満足。「日が暮れても彼女と歩いてた」も素晴らしいと思うが、僕は、ハルの「恋は水色」が一番、心に残っている。

このあと、サニーディの曽我部恵一くんも見たかったが、体動かしすぎで、やばいので、木陰で昼寝。
来年は、もうすこし準備してから来よう。

帰りの電車で浮かんできたフレーズ。
「彼は勝ち組ではない。負けなかっただけだ」

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▲充実したトイレ群

2007年08月04日

1週間の日記 7月29日から8月4日

7月29日(日)
◇ベンチャーには休日がない。恵比寿のガオに行き、照井くんと打ち合わせ。照井たちの開発している技術は、いつも僕の欲しいものばかりだ。なんとか、ラインとラインが合流出来ると良いのだが。お互い、あちこちの磁力に引き寄せられて蛇行したラインなので(笑)。照井とはじめて会った80年の頃も、暑い日のような気がする。

◇自民党の歴史的敗北。〈東京〉だけが〈豊かなアメリカ化〉して地方が植民地化していることにノーを出したというのに、安倍さんは、トンチンカンな未来を描いている。「美しい国」というのは、近代以後の「日本」という国家ではなくて、それ以前の「おらが国」のことなんだ。それは「越後の国」だったり「備前の国」だったりする。小泉・安倍さんのやったことは、そうした「美しい国」意識を捨てさせて、グローバルな金融国家だけを目指した近代主義でしかない。明治維新以後の近代軍国主義に戻るのではなく、それ以前の本来の日本の姿に戻ったところからスタートしなければならないのだろう。

7月30日(月)
◇体調悪し。やらなければいけない企画書作りがたまっているのだが、早朝、突然、小説のまとめ作業に入る。小説を書きはじめた時に「100冊小説を書く」と宣言した。何のことか分からなかっただろうが、僕も分からないまま言った(笑)。しかし、それは、最初から分かっていたのだ。死ぬまでに100冊の小説を書く。そのためにオンブックを立ち上げたのだ。

◇丸の内に行って写真を撮る。良い感じである。事務所から電話が入る。うっかりして、京都の「空」の北田くんと待ち合わせしていたのを忘れてた。すまんすまん。

◇夕方から、池袋の島根歯科へ。定期クリーニング。そのあと、オンブックの中村さんも来て、島根さんと3人で、うどん屋へ。

7月31日(火)
◇昨日すっぽかした北田くんに連絡をとって、恵比寿の空東京事務所へ。相変わらず鋭い商売人だ。僕の方のテーマをいくつか投げると、すぐに北田くんの回答が出る。「電子黒板というのが面白いよ」と言うと「ああ、それうちでソフト作ってるんですわ。今度、紹介しますわぁ」といった感じ。空の社是は「義理は欠いても金欠くな」だそうです(笑)

◇夕方から京橋へ。文科省の皆さんと、寺脇研さん、教育支援協会吉田さんらと会食。
 インテリたちの会話は勉強になる。
「日本の祭りというのは、岸和田のダンジリとか諏訪の御柱のように、時の権力者が大衆の不満をガス抜きするために行ったんですね」
「そうなんだけど、明治の自由民権運動が盛んになったのは、日本各地で祭が盛んだった所なんですよ」
「祭りの寄り合いが別のテーマになった、ということですね」
 なるほど。現代においては「選挙」が祭りのようなものか。大衆の不満を解消するための装置としてあったが、ある時、違う機能を果たしてしまうということか。
 そういえば先週、元ゴザンスの恭子ちゃんが来た時に、「京都の時代祭りが忘れられないから、京都に住民票移して京都人になろうかと思う」みたいなことを言ってた。地域の「祭り」は、大きなテーマになるな。
 寺脇さんは、今朝の「朝ズバ」に出演のため4時起きだったらしくて、半分以上寝ていた(笑)。

8月1日(水)
◇阿久悠さんが亡くなる。70年代の人だった。シラケの70年代とか言われたけど、70年代は日本社会にとって、ものすごく大事な時代だったと思う。阿久悠さんの作詞した曲がテレビで何度も流れるけど、僕にとっては、上村一夫さんのマンガの原作者のイメージが大きい。宣弘社時代の同僚だった二人は、フリーになってから再会して一緒に仕事をした。女の心と体の耽美性を描かせたら、この二人のコンビ以上のものはなかっただろう。阿久悠さんの歌詞が映像性を持っているのは、マンガの原作者体験が大きいと思う。上村さんはとっくに亡くなって、二人が天国で2度目の再会を果たして喜んでいるだろう。

◇汐留の電通へ。電通の受付は、いつも混雑している。博報堂の10倍近い混雑さ。

8月2日(木)
◇ロックインがはじまるので、ロッキングオンの会議はなし。ロックインは、スタッフだけで2500人使うらしい。すげえ規模だ。ロッキングオンが始まった頃、フィルムコンサートと言って、レコード会社から借りてきたプロモーションフィルムを目黒の公民館とかで上映したことを思い出した。

◇オンブックの会議とオデコの会議は定例通り。

◇元鹿島建設の鈴木さんが来る。フリービットの石田くんがDTIを50億円で買った、という話題で盛り上がる。この流れ自体が、一つの物語だな。鈴木さんは、植物と携帯をからめた企画を進めている。

◇ナムコ・バンダイの川島くんたちが来社。教育について、いくつかテーマはあるが「遠山式」について可能性を探る。今年からナムコバンダイは青物横丁の松下電器が入ってた三角ビルに入居。滝の流れるずいぶんバブリィーなビルだが、あれは鹿島建設が作った。松下電器時代にはよく通ったのだが、今度はナムコバンダイかい。

◇そのあと、教育再興連盟の学生たち3人が来たので、川島くんたちと一緒に居酒屋へ。早稲田くん1人と東大くん2人。みっちりレクチャーしてあげる。若い連中と話していると、やりたいプランがどんどん出てくるから不思議。こないだの武蔵美での講義以来、また流れが少し変わってきたようだ。リアルテキスト塾の7期生の応募がないので始められないが、希望者いたら連絡してください。

8月3日(金)
◇怪しいK君が来社。なんだかんだと打ち合わせ。今日から「ROCK IN」だ。初日、49000人。暑そうだ。

8月4日(土)
◇「ROCK IN」に行くつもりだったが、暑すぎるのと、仕事がたまってしまっていて諦めた。ホフディランとエレカシ見たかった。明日は、行ってみよう。しかし、ピーズのハルくんを見たいのだが、クレージーケンさんがバッティングしている。PUFFYもみたいが、ステージの間は遠そうだ。

◇古沢正夫が来る。古沢は、僕が19歳の大学生の時に青山学院大学のサークル部室を歩いていたら壁にビラを貼っている男がいて、見ると「麹町中学全共闘」と書いてある。思わず声かけて「君は中学生なのか」と聞いたら「そうです」と応えて、それが僕と古沢の関係の最初の会話である。僕の家が四谷にあったので、中学生だった古沢はよく僕の部屋に泊まって、そこから麹町中学へ向かった。古沢と保坂展人くんは、内申書裁判を起こしたが、保坂の親が元々が左翼系の活動家だったので全面支援していたが、古沢は虎ノ門の家具職人の息子なので、いろいろ大変だった。親に相談されたこともある。ということで橘川の最古の舎弟である(笑)。今は、旅行代理店を経営している。日本財団とは町内会の仲間なので、なんでも相談のりますよ、と言われる(笑)。古沢のビルは船舶振興会の裏手にある。

◇保坂くんは現在、衆議院議員で、政策秘書は、元ロッキングオンの営業をやっていた大久保青志である。古沢が「直(大久保のニックネーム)に電話してみよう」と電話すると、ちょうど小田実の葬儀の最中で、これから追悼デモだということだ。そうか今週は、小田実も死んだんだな。カールゴッチも死んだし。そうやって時代の床が抜けていく。登場してくるものより消えていくものの方にパワーを感じるというのは、よくないね。

◇生み出すことを始めようと思う。