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社長日記

2007年03月24日

1週間の日記 3月18日から3月24日

3月18日(日)
◇日曜日は洗濯の日。掃除はダメだね。どこかでまとめて全部捨てるタイプだ。急にマカロニグラタンが食べたくなって、チキングラタンを作る。突然食べたくなるものは、だいたい、おいしいな。

3月19日(月)
◇ODECOの実施委員会。次年度の計画も決まって、いよいよ本格的な展開がはじまる。

◇ベネッセとの打ち合わせ。社長のドタバタ退陣劇があったが、4月からベネッセとも定期ミーティングをすることになる。最近、週刊新潮がなんかいろいろとやるなあと思ったら、「FOCAS」の部隊が別働隊で動いているようだ。なるほど。

3月20日(火)
◇橘川幸夫と村松恒平の対談集「微力の力」の発行が決まった。2週間ほどの短期間で、とても密度の濃いい原稿に仕上げてしまった。「メタチャット」というパソコン通信時代に僕が開発したメソッドは、今の方が活用できるかも知れない。

3月21日(水)
◇休日。横浜のスカイタワーにあるサウナへ。お気に入りである。帰りに100均のダイソーへ。ダイソーはキャンドゥよりオリジナル商品開発で頑張ってると思う。横浜はヨドバシの大型店も出来て、渋谷に行くより、楽しめる。

3月22日(木)
◇オンブックの定例会議。毎日のように、全国から出版の相談が舞い込むようになった。内容は千差万別だが、とてもユニークな人のものが目立ってきた。オンデマンドだけではなく、一般書店向けの体制も整備しなければならないとスタッフで確認。

◇人と社会と地球を大事にするビジネス情報誌「オルタナ」の創刊パーティ。オンブックの中村さんと一緒に参加。編集長の森摂くんは、日経新聞社のロス支局長を経て独立。ufpという、世界各地で活躍している日本人フリーライターのネットワークを運営している。神宮前にチェコレストランを経営していて、パーティもそのビルで行われた。このビルの3階がオルタナの編集部で、もともとビルの大家さんが住んでいたらしくて、掘りごたつのある普通の民家の作りで、なごめる。日本の企業のCSR担当者は今でも「社会貢献する自社企業のメリット」を全面に出してくるが、日本の企業に本来の社会貢献の意識を定着させられるかどうか、そこにオルタナの役割があるだろう。登録すると無料で送ってくれます。

◇最近話題のパタゴニア社長のイヴォン・シュイナードの「社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論」(東洋経済新報社)の翻訳も森摂くんです。

◇僕は70年代にロッキングオンをやっていて、この雑誌の最大の財産は読者だと思ったから、読者に呼びかけをして「ROの会」というネットワークを作った。70年代の高校生から大学生のロックファンのネットワークだから、今から思っても相当に強力なもので、その数は3000人になった。僕は写植屋をやっていたので、一人一人の名前と住所を打ち込み名簿として全員に配ったり、ロッキングオンの誌面に掲載した。個人情報もへったくれもない時代である。そこで知り合った人同士の関係は、今でも続いていることが少なくない。森摂くんは、その100番以内の(笑)メンバーだった。あの3000人は、きっと、いろんなところでしぶとく活動しているのに違いない。

3月23日(金)
キーセンスの金子くん来社。キーセンスは僕も役員の会社で、金子くんは、音楽の小規模コンテンツ流通にトライしている。最初のアーティストはゴールデン街の吟遊シンガー辻本裕之さんで、2枚目がリリースされた。1枚目のジャケはびっくりするが(笑)、2枚目はおとなしい。キーセンスは、ライブ活動などをして自分で売る力のあるミュージシャンのCDを制作して、ミュージシャンにCDを卸す、という発想で進めている。次は、シャンソンものを準備中というので楽しみである。将来的には、オンブックの流れと一緒にやれる部分も増えるだろう。

◇お茶の水の日販に柴田くんを訪ねて、そのまま三省堂本店へ。2階に「本屋さんの中の眼鏡屋さん」というのが出来た。MIMIRIと提携したもので、フレームとレンズで5000円だから、安い。ここで眼鏡を買うともらえる「眼鏡日和」というフリーペーパーの取材に協力したので、眼鏡を作ってもらう。今後、全国の本屋さんに、眼鏡屋が展開されることだろう。おすすめである。

◇そのあとデメ研の亀田くんと合流して、霞ヶ関の経済産業省へ。亀ちゃんは相変わらずサンダル姿にヨレヨレジーンズ。僕も同じようなものだが。大臣官房会計課の村上さんの紹介で、若い人らに話をする。というか、ほとんど「勝手ライブ」化となった(笑)。商品はシャウトしてなければダメでしょう、とか、企業のM&Aを進めて単一化した価値観にまとめるのではなく、中小企業に分解して多様な商品を提供出来る体制に誘導しなければ、などと勝手にアジテーション。橘川の「本のPV」についてもアピール。ほんとは、ODECOの活動について、経産省サイドからの支援を頼みに行ったのだが(笑)。まぁ、ここんとこ、70年代意識が復活しているので、仕方ない。

◇夜になって田町のヌースカフェへ。森川眞行くんらと会食。森川くんは、インターネットの初期に「G−Tool」という日本で最初の本格的なフリー素材提供サイトを作った人。昨年は「アック04」という各省庁をまきこんだアワードを成功させた。彼ともロッキングオン時代の関係で、森川くんが大阪の芸術大学の学生だった頃に「サウンド&ビジョン」というミニコミを作って、編集部に送ってきた。それで、僕が感想というか批判というか(笑)手紙を書いて、しばらく文通していたことがある。それから20年以上たって、インターネットがはじまった96年頃、僕は「宣伝会議」という雑誌に「インターネット・キーパーソン100人」という企画を出した。これからインターネットが社会化していく時に、その時に動いてる奴が力を出してくるだろうと思い、チェックしておきたかったからだ。それで「G−Tool」の動きがひっかかって、森川くんにメールしたら「あの時の学生ですよ」ということになり、大阪で再会した(というか、はじめて会った)。まぁ、人間関係なんていうのは、一瞬の出会いなんかではなく、生き方と生き方の合流だから、長い時間がかかって当たり前なのである。それで、森川くんが、今度、「日本Web協会」というのをNPOで立ち上げるので、協力してくれと依頼される。確かに、Webの制作者協会みたいなものはあるが、Web全体の問題を協議する組織はない。まだ、協会の活動全体が把握できないので、協会に協力するかどうかは分からないが、森川くん個人にはいくらでも協力すると伝える。

◇そのあと、ヌースフィアの布施オーナーと打ち合わせ。布施とは同志的な関係である。「本のPV」だけど、アメリカで「CG−CM」という動きが始まったらしい。コンシューマ・ジェネレートCMということだな。まぁ、見ていなさい。日本のインターネット文化というものを、アメリカで構造的にアプローチしているのとは違うものに発展させてあげるから。

◇深夜まで、マンガ喫茶で、マンガを読む。「蒼天航路」を最初から読み直す。少し風邪を引いたかな。夜道を歩きながら「何かをやった奴と付き合うのではなく、何かをやりそうな奴と付き合うのが、人生を長く豊かにする道だろう」というフレーズを携帯電話で自分のパソコンメールに送信する。

3月24日(土)
アイトラスポートの山根くんが来る。山根くんは、もともと原宿のミニ放送局をやってるカフェのアルバイトをしていて、その店が潰れてしまって、DJやってた300人のクリエイターたちのネットワークがもったいないので、なんとか復活出来ないか、といろいろ相談したら「そういうのは橘川へ」ということになり、会いに来た。リクルートのジャイアンこと土田くんの紹介だった。そこで、たまたま大手企業のWebのリニュアルの仕事の相談があって、それを山根たちに任せたら仕上げたので、そのまま、その売上げで会社を立ち上げた。制作会社としては、そこそこの実績を作ったのだが、山根くんには、もういちど「何のために会社を作ったのか考えろ」と伝える。

2007年03月18日

1週間の日記 3月11日から3月17日

3月11日(日)
◇ブリテッシュヒルズに宿泊して帰京。新幹線が出来て便利になったの地元の人たちではなくて東京の人間だろう。東京に今後も人が集まる。東京が便利になるように国家の運営がなされているからだ。次の時代は、東京の自己否定からはじめなければあかんでしょう。

3月12日(月)
◇一日、ODECOの報告書書き。総頁1000頁だから大変だ。

◇夜に経産省会計課の村上さんのところを訪問する予定だったが、村上さん、赤ちゃんが生まれた、ということで急遽、帰宅。延期になりました。おめでとう。

◇気分転換に、ちょこっとブリテッシュヒルズのプロモーション・ビデオを作成。

3月13日(火)
◇報告書書き。

◇恵比寿のガオに行って、照井俊光くんと打ち合わせ。照井くんとは、1981年からの付き合い。彼がまだ日本SEに勤めていた頃。特別な才能と異常な勘を、想像を絶する労働時間にぶちこんでいる男。僕は時々、恵比寿にいって照井と雑談をしてきたが、デジタル社会の本質については、彼の発言からヒントを得たことが多い。

3月14日(水)
◇報告書書き。

3月15日(木)
◇午前中にインフォスタワーに行って、ロッキングオンと打ち合わせ。打ち合わせが定例になったので、毎週、渋谷と顔会わせることになりそうだ。

◇午後からオンブックの会議。毎月第三木曜日は、コンテンツワークの橋本さんも参加。オンデマンド出版の可能性について検討。いくつかアイデアが出るので企画検証。

◇和田中の子どもたちが書いた書評を1冊の本にまとめたものが完成。藤原校長の依頼でオンブックで編集したもので、とても良い感じの本に仕上がった。ただ、この本は市販が出来ないということで、とても残念。もっと多くの学校で、このような卒業記念の本が出来ればと思う。ODECOの動きと連携して、企画を進めたい。

◇夕方から、大阪から山北さんが、ニュースタートの田尾さんが来て、ODECOの報告書についての会議。全国の小学校・中学校から、かなり貴重なデータが集まった。

3月16日(金)
◇電通総研の社長である和田仁さんを訪問。ODECOの動きで知り合った吉田博彦さんと話してたら和田さんの名前が出た。吉田さんと学生時代の友人らしい。電通総研の立ち上げの頃、僕もよく電通総研に出入りしてたので、和田さんとも面識あったので連絡を取る。ODECOの説明をして、企業向けの紹介をお願いする。

◇帰りに神宮前の子ども調査研究所で高山英男さんに会う。子ども調査研究所は、僕の故郷みたいな場所で、学生時代から通っていた。僕が19歳の時に「読書新聞」という書評の新聞の読者欄に投稿したのがきっかけで、高山さんがわざわざ読書新聞に連絡をして、僕の家に電話してきてくれた。電話をくれたのは、当時、高山さんの事務所にいた斎藤次郎さんかも知れない。僕の文章を最初に認めてくれたのが高山さんで、それ以来、僕は子ども調査研究所のメンバーだと思っている。高山さんは、いつもの笑顔で興味深い話をしてくれる。黒川創くんの関係で最近、京都に行って「珍皇寺」の住職さんと仲良くなった話を聞いた。伊藤遊の小説や宝塚の芝居で小野篁に興味を持って、行ったそうだ。高山さんの説明を聞いて小野篁に興味を持つ。それから、子どもたちの最近の生活環境について、いろいろと情報をいただく。日本の地域社会を崩壊させたのは、自動車とテレビだということで意見一致。

◇夜遅く、東急エージェンシーの小柳くんが来社。イタメシ屋へ。僕が文科省関連とのつきあいができたのは、小柳くんの紹介。次年度の計画について、いろいろと議論。最近、お酒が飲めない体なので、ジンジャエールで。

2007年03月11日

1週間の日記 3月5日から3月10日

3月5日(月)
◇ODECO実務会議。いよいよ今月が今期終了で最終報告書の作成締切となる。1000頁を超える報告書作成業務は体力戦だ。なるべく他の仕事は入れないようにしたいが、そうもいかないだろう。役割分担を決めてゴーである。

◇エンターブレインの久保くんが来る。新刊の打ち合わせだ。感性の良い若い編集者が来ると、本題以外のことに熱が入ってしまい(笑)長々とおしゃべり。
◇夜は報告書の原稿を書きまくる。

3月6日(火)
◇教材会社のアスクの小川さんが来社。昔は、講談社アスクでしたよね。教材会社も今後は、力営業だけでは大変になってくるのだろう。

◇八丁堀の教育支援協会の吉田さんを訪問。僕がやりたいことを説明すると、砂漠に水が吸い込まれるように吸い込まれ、新しい反応が返ってくる。この日の結論は「教育経団連」を目指そう、という話に。

◇夕方に池袋の島根歯科へ。島根さんとは以前からの友だちで「歯科ネット」を一緒に作った。毎月、歯のクリーニングをしてもらっている。ついつい忘れがちになるが、島根さんから「そろそろクリーニングしましょう」とメールで催促が来る。同じ仲間のキズナジャパンの高崎くんも一緒で、そのあと池袋で一杯やるのが恒例である。ただ、ここのところ橘川が体調不備で飲めないのでウーロン茶なのが寂しい。高崎くんは神戸でモスバーガーを経営していたが震災で崩壊した時に、全国のモスのフランチャイジーが助けに来てくれたことに感動して「キズナジャパン」という会社を作って東京に来た。その時に相談に来たのが縁である。仕事関係ではない友だちとのわいわい話は息抜きになる。

3月7日(水)
◇日販に行く。「眼鏡日和」という眼鏡屋さんで配るフリペの取材。神保町がテーマだったので、神保町の話をいろいろとする。神保町の古本屋さんは新潟出身の人が多い。それは最初に新潟の人が古本屋を開いて成功したので、その人を頼って新潟の人が続々と集まってだんだんと町並みが出来てきたという話である。SNSというのは本来、そういうことなのではないのだろうか。少なくともパソコン通信の時代のネット・コミュニティはそうだった。町というのは本来そうして出来るものだと思う。航空写真で区画整理して再開発するようなやりかたでは、人の息づかいが聞こえる町並みは作れない。

◇インタビューの終了後、日販の柴田くんと凡ちゃんと食事。

3月8日(木)
◇オンブックの定例会議。杉並区の和田中の子どもたちの書評を集めた本を、藤原校長から頼まれて作っていたが、苦労の末、完成。ただ残念なことに市販が出来ないのだ。学校の子どもたちが共同して本を作るという動きは、全国に拡げて行きたいと思う。

◇夜、銀座で「銀座・ひとと花とミツバチと」(オンブック)の新刊発行パーティ。銀座のビルの屋上でミツバチを飼い、150キロものハチミツを採集し、それを銀座のバーでカクテルに使ったり、ケーキ屋さんがマドレーヌを焼いたり、協会でクリスマスのキャンドルをミツロウで作ったりと、地域全体で利用したプロジェクトの記録である。銀座の老舗の旦那さんたちや、養蜂家の藤原さんや、環境省や中央区の助役さんも参加されて、賑やかな夜となった。僕は結婚式や名刺交換会みたいなものは好きになれないが、出版パーティというのはパーティとして自然な感じがして好きだ。いろんな世界の人との交流も楽しい。オンブックはこんなに本を出しているのだから、もっとさまざまな出版パーティがあっても良いと思う。

3月9日(金)
◇漢検の大久保くんの紹介で、ヒューマンデザインオーソリティの佐藤大悟くんが来る。10年前に企業のインターシップを進めていて、その会社を売却後に、現在は「段取検定」を進めている。プロダクト・マネージメント(PM)は経産省のプッシュもあって、大企業などは懸命に社内研修などをやっているが、「段取検定」としたところが素晴らしい。まだ34歳の若者で、ODECOの話を聞きにきたのだが、アイデアと実行力はただ者ではと感じる。NPO法人ドットジェイピーの代表もやっているのだ。政治家にインターシップを仕掛けているのだ。素晴らしい。

3月10日(土)
◇リアルテキスト塾6期生の卒業旅行は福島県新白河にある「ブリテッシュヒルズ」だ。塾生の渡邉さんの配慮で、経営主体の神田外語の佐野さんが招待してくれた。イギリスの村をそっくり再現したもので、マナーハウス、パブなど、イギリスに行ったことはないけど、なんか凄い(笑)。僕が泊めさせてもらった部屋も18世紀の建築様式。夜は霧に包まれた英国中世のお屋敷で佐野さんの指導で、スヌーカー(ビリヤード)。修学旅行の新しいスタイルとして注目を集めている。ハリーポッターの世界で、しばしリフレッシュして、明日からまた日々の混乱が始まる。

2007年03月04日

1週間の日記 2月26日から3月3日

2月26日(月)
◇田口ランディとメールしてて、ランディの本のプロモーション・ビデオを制作することになった。やるとなると没頭してしまう性癖なので(笑)半日かけて制作。「寄る辺なき時代の希望」。なかなかうまく作れたのではないか。ラストの猫がハンサム。新宿のハーモニカ横丁のところのペットショップにいたのだ。

◇ランディは、彼女が80年代に入った会社がUPUだったので、そのつながりだ。当時のUPUには、こないだ亡くなった星野くんや、元・往来堂で現・楽天の安藤くんなど多士済々。僕が1990年に日経新聞社から出した「一応族の反乱」の出版パーティには、ランディも本名で発起人になってくれている。このパーティは参加者800人というもの凄いもので発起人だけで80人いたんだけど(笑)。この本の編集者が酒井弘樹くんで、その後、アメリカでバーティカルという出版社を興した。ランディを紹介して無事、「コンセント」がアメリカで出版することが出来た。英語の本があると、ヨーロッパにも進出しやすく、ランディの本は、最近ではイタリアやロシアの現地出版社での発行が始まっているようだ。

2月27日(火)
◇ランディからメールがあり、アマゾンで「寄る辺なき時代の希望」のランクが上昇した、と。ランディが自分のファンに告知したんだと思うが、本のプロモーション・ビデオは、効果ありそうだ。しめしめ。

◇大手町のフィランソロピー協会で、林さんと「情報化社会」の本について、打ち合わせ。優しい人だが迫力のある人だとつくづく思う。

◇「本のプロモーション・ビデオ」は「MonBook」にした。他の本も作ってみたくなり、高橋朗くんにメール。「僕らは一生サラリーマンなんだろうか?」を作る。

◇「MonBook」は、デジタルカメラ時代の写真集に最適なのかも知れない。いろいろ企画が浮かび上がって困る。やらなければならない作業が山のようにあるのだから(笑)

3月1日(木)
◇午前中、インフォスタワーのロッキングオンに行く。窓から富士山がくっきりと見える。子どもの頃は、よく小学校の屋上から富士山を見ていた。東京には富士見町とか富士見ヶ丘とか、富士が見える地名がある。今は高層ビルの上階がその地名にふさわしい。渋谷はめたくた忙しいみたいで、食事する時間がないので、インスタントラーメンを社長室で食べてる。

◇午後からオンブックの会議。会議の途中、続々と来客。オンブックへの相談については、木曜日にまとめて事務所に来てもらうことにしているのだ。それぞれ面白い企画を持ってきたので、少しずつ進めて行こう。

◇お台場で、松山真之介さんが自分のメルマガ読者に呼びかけて作った「100人100冊100%」という本の出版パーティに行く。これは、100人(112人)が1万円ずつ持ち寄って、各自2頁で書評を書いたものを1冊の本にしたのだ。こういう発想は70年代からあったが、インターネット時代だからこそ効率よく発行出来たのだろう。会場は、通常の出版パーティとは違って、業界の人はあまりいなくて、普通の人=著者ばかり。素敵である。もっと、いろんなところでこの方式が普及すれば良いと思う。「おしくらブックス」というネーミングを考えたが、周辺で反応悪し。10年前から小学校で「おしくらまんじゅうやろと」というと、誰もやりたがらなくなった、ということを教育支援協会の吉田さんから聞いて衝撃を受けたばかりだったので。会場で塾生のあしゃぬまんに会う。

3月2日(金)
◇日販で柴田課長と昼飯。柴田くんは、取次の人間なんだけど、極めて編集者的なビジネスセンスがある人。読書量も半端ではない。今は書店でメガネを売ろうとしているようだ。「ODECO」と「MonBook」の流れを説明する。

◇夕方、恵比寿の「メタブレーン」に寄って、太田さんとおしゃべり。メタブレーンは、もともと僕が作った出版社だが、太田さんにお任せしちゃいました。太田さんも、UPUつながりだけど、とてつもなく仕事が出来て、とてつもなくお人好し。いつも困った時ばかり相談に行く。

3月3日(土)
◇八丁堀で「ODECO」の仲間である小柳くんと合流して、「京華スクエア」へ。元・小学校だった施設が今は地域コミュニティ・センターとなっている。そこで、教育支援協会が主催して「放課後子どもプラン」の会議があった。文科省と厚労省が進めている「子どもの居場所づくり」という「家庭、地域、学校」が一体となって子どもたちの生活環境を整備しようという計画がある。「放課後子どもプラン」は、その流れの中で、学校の放課後や土曜日にアフタースクールを作ろうという試みである。「ODECO」にとっても、大変、魅力的な動きである。