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社長日記

2007年01月30日

「編集」という仕事をして

 昨日は、まだまだ才能を使い切らずに逝去したゼネラルプレスの星野健二郎君のお別れ会に行き、その後、博報堂の生活総研のセミナーが恵比寿ガーデンであったので、行った。当日、生活総研の前所長の林光さんから電話をいただき、新しい所長の嶋本達嗣くんの講演があるから、来ないか、と誘われた。光くんとは、父上の林雄二郎さんらと一緒に研究会をやることになったし、嶋本くんは、もの凄く古くからの友人である。僕の愛すべき弟分だが、とても生意気な奴である(笑)

 セミナーは、多世帯社会という、世帯の構造変化を通して日本社会及び市場がどのように変化するかを見透した、分かりやすく刺激的なものであった。嶋本くんのアジテータぶりも、危なっかしいが好感の持てるものであった。もう10年以上、会っていなかったが、お互い変わらないことを確認出来てよかった。当日、会場に久米信行くんがいて、お茶をして車で送ってもらった。

 星野くんとは20年も会っていない。ちょっと前に、信頼出来る友人から「もの凄くレベルの高いWebの制作会社がありますよ」と言われてアクセスしたら、星野くんの会社だった。環境白書を作成し、企業のCSR活動に高い関心を持っていた星野くんとは、ぜひ、情報交換をしたいものだと思いながら、それも叶わぬことになった。合掌。

 広い意味での「編集」という仕事を生涯のものとするならば、多くの素晴らしい人と出会うことの至福と、別れることの寂寞感を引き受けなければならない。そして、人は「本」を残すのであろう。

 

2007年01月23日

「発掘!あるある大事典II」問題

「発掘!あるある大事典II」で、納豆でダイエットのヤラセが発覚した。納豆を20年毎日食べていても太っている人がいるので、そんなものあるかと思いつつも、納豆を食べる30分前にかき回しておくようにした私。だいたい、日本人というのは、大昔から「迷信」が好きなんだ。そして「迷信」をふりまくことも。
 表現にかかわるものとして「やらせ」と「演出」の違いは、大変微妙な問題である。その違いは表現者の「自覚」の問題だと思う。嘘をついていることを自覚しているかいないのか。不二家のインチキは、無自覚の最たるものだろう。自分が何をしているのか分からずに、単なる売上げ成績や視聴率の向上だけを目的にした仕事が多すぎる。どんな仕事であろうと、そのことが自分にとって、社会にとって、何の利益があるのかないのか、そのことを自覚的であり続けることが大切だと思う。
 オンブックで現在編集中の長谷川功一さんの『ニュース映像とは何だろうか』という本は、テレビの現場で活躍してきた著者が、「やらせ」と「演出」との差異を問いかけた書である。ご期待ください。
 それと、実は、オンブックはいきなりアクセスが高まり、毎日10人単位で発行についての問い合わせが殺到している。これは、先日、NHKのモーニングショーで「インターネットで無料で本を作れるサービスがはじまった」という番組を放送したからだと思う。しかし、この内容は、オンブックのものではなく、ドロップシッピングの会社の紹介なのだが、NHKなので会社名を出すことが出来ないので、視聴者は検索エンジンを使って「無料」「出版」と入力したのでしょう。そうすると、オンブックがトップに出てくる(笑)ドロップシッピングの会社様には申し訳ないのですが、おかげで宣伝していただきました。あらためて、テレビの力とSEOの重要性を知りました。

2007年01月15日

オンブックの考え方(2007年度新年の挨拶)

 オンブックは2006年度に運営発行体制を固めました。オンデマンド出版から一般書籍まで「小規模コンテンツ流通ソリューション」のプロトタイプが出来たと思います。現在、さまざまな領域の方、著者の方との出版コラボレーションを進めています。既存の出版業界の中に、不思議な出版空間が拡大していくでしょう。

 オンブックはオンデマンド出版をベースにしたものです。日本では2000年ぐらいからオンデマンド出版がさまざまな形で追求されてきました。しかし、いずれも当事者の予想通りの展開にはなりませんでした。理由は、以下のことだと思います。

1.これまでのオンデマンド出版の事業主体は、印刷業・取次業・IT関連業などでした。いずれも、本業は「印刷すること」であり「販売すること」であり「システムを開発すること」です。「出版」を主体に、本の中身を中心に考えてはいなかった、ということです。いずれも、出版社はサポートの立場で、出版社が主体になってオンデマンド出版を実行したケースは少ないと思います。

2.私たちは、出版を発行する側の世界で30年以上経験を積んだものたちのプロジェクトです。オンデマンド印刷というのは、あくまでも手段であって、出版は本の中身が最大重要課題だと思っています。

3.アメリカのドロップシッピング型の出版サポート・サービスも、私たちがイメージする事業構造の範囲には入ってきますが、それがメインにはなりません。そんなことやっても、つまらない(笑)。著者にリスペクトできない、楽しくない仕事は出版事業とは呼びません……という、既存の出版業界が記憶喪失にかかっている出版事業の本質を、本来の姿に戻すことが出来るのがオンデマンド出版なのです。オンブックはコンテンツ・ビジネスを追求します。

4.同時に、もっと大きな流れ。近代−戦後の「大量生産・大量宣伝・大量消費・大量破棄」の生産構造を超える、新しい生産システムとしてのオンデマンド産業を築くという視点を持つことが重要だと思っています。「必要なものを必要としている人だけに生産し販売する」というオンデマンドの考え方は、出版に限らず、あらゆる領域に拡がっていくと思います。そのための生産システム、流通システム、マネージメントシステム、広報システムなどを、次世代のビジネスに関心を持たれるあらゆる方々と協同して追求していきたいと思います。

 オンブックの方向性に興味を持たれた方は、ご連絡ください。(橘川幸夫

2007年01月14日

浜松ゆかりの芸術家顕彰記念小泉吉宏講演会

 浜松で古い友人の小泉吉宏が講演会をやったので聞きに行った。客席の最前列に座っていたので、檀上の小泉くんと目が合ってしまい「なんかやりにくいですね」と照れていた。
 浜松は小泉くんの故郷。『ブッタとシッタカブッタ』は実に170万部が発行されているし、読売新聞でも連載を持っているので、知らない人は少ないだろう。彼の浜松時代から第一企画でCMを作っていた時代の話が盛り上がって、ホントはもっと話したいことがあったんだろうけど、楽しく終了した。特に、彼が作ったCMは、ちゃんと見たことがなかったので、ちょっと感動した。
 僕が彼と知り合ったのは、80年代の前半で、彼がCM作りの真っ最中の頃だ。彼の作ったCMがラジオのCM賞を受賞した、というのは、当時彼から聞いたことがあったけど、どんなCMかは知らなかった。確か、大晦日に流れたものだという。
 サイトを検索したら出てきたので、紹介する。服部セイコーのものだ。



「はじめまして」。この一秒ほどの短い言葉に、
 一生のときめきを感じることがある。

「ありがとう」。この一秒ほどの短い言葉に、
 人のやさしさを知ることがある。

「がんばって」。この一秒ほどの短い言葉で、
 勇気が甦ってくることがある。

「おめでとう」。この一秒ほどの短い言葉で、
 幸せにあふれることがある。

「ごめんなさい」。この一秒ほどの短い言葉に、
 人の弱さを見ることがある。

「さようなら」。この一秒ほどの短い言葉が、
 一生の別れになるときがある。

一秒に喜び、一秒に泣く。

一生懸命、一秒。セイコー。


 凄いねぇ。谷川俊太郎の金融広告詩より、はるかに言葉が生きている。
 彼が広告の仕事を辞めて、マンガ家の仕事に入り出す前は、よく会ってたし、変な仕事を頼んでたりした。ブレイクしてからも、彼は、スタンスをまるで変えずに、連絡くれたりした。僕も、気軽に無理なお願いをしたりする。たぶん、ずっと同じスタンスだろう。

 講演が終わってから、小泉夫妻と月刊プシコの倉沢編集長と4人で中華料理を食べた。相変わらず僕は途方もない話をして煙に巻き、小泉くんは喜んで笑う。友人関係というのはいくつかの形態があるけど、おいしい関係というのは、長い時間をかけて熟成されるウイスキーのようなものだな。10年、20年かけて熟成した友人関係との時間というのは、味わい深い。
 小泉くんから「綺羅」の「夏恋花」をもらった。これまた凄くおいしい時間を感じさせてくれて、日々ドタバタと動き回っている僕には、もったいない。

2007年01月08日

友だちの本

 昨年末、日比谷の帝国劇場の地下の小さなカフェで、LFの永田さんたちが主宰した小さな忘年会があった。行ってみると、石田陽子がいた。石田さんは25年前に僕が「イコール」(発行=313センター、販売=平凡社)という雑誌の編集長をやっていた時のスタッフだ。編集長と言っても3人ほどの小さな所帯だったから、まるで家族のように過ごした。当時の石田さんは、まだ二十歳そこそこだったと思うが、なぜか、やたらと古いことを知っていたり、僕の所に来る前は猪瀬直樹さんの事務所にいたりして、やたらと人脈も濃い。独特の親父殺しの技で、小室直樹さんのところに取材に行かせたら、気に入られてしまい連載記事になってしまったりした。その後、僕の秘書みたいなことをやってもらったりしたこともあるが、UPUに入って「エスカイア日本版」で活躍した。80年代のUPUは編集人材の宝庫で、田口ランディと知り合ったのも彼女がUPUを退社した頃だし、冬樹社を辞めた荻原・高岡さんもUPUに入ってきたし、リトルモアの中西くんもいた。UPUというのは、ユニーバス・プレス・ユニオンという会社で、関西の大学新聞会のOBたちが作った、リクルートのような会社である。僕とは70年代からの付き合いで、ほとんど内部の人間のように出入りしていた。
 石田さんが最近作った本をもらった。「十七歳の硫黄島」(秋草鶴次 文春新書)だ。相変わらず渋い、良い著者と出会っているようだ。

 小泉吉宏くんからは 「ブタのふところ」(メディアファクトリー)を送ってもらった。小泉くんとも80年代に、彼がまだ第一企画で広告作っていた頃に知り合った。とにかく、マンガの知識と記憶は半端ではなく、さわやかなルックスのままの性格は、有名になった今でも変わらない。もうだいぶ前になるが、松下電器のプロバイダーであるHi−Hoを手伝っていた頃、小泉くんに育て系のキャラを作ってもらったことがあった。それは「脳内生物 トリホー」というもので、今考えて見ても、凄いコンセプトだ。脳内に棲みついた生物がいて、そいつにメシを食わせてウンコすると、そのウンコがドーパミンのように脳に快楽を与える(笑)。ところで、小泉くんは、出身地である浜松の名誉市民になっているが、今週、講演会がある。

 林雄司くんからは「やぎの目ゴールデンベスト」(アスキー)を送ってもらったが、一緒に送ってもらったトランプは宝物にしよう。林くんとも、彼がジーサーチにいた時からの付き合いだから、ずいぶんと経つね。僕の知り合う人は、有名になっても、全然、変化しない人ばかりで嬉しい。

 ラワンクルくんから「すらすら読めてくるくる書けるタイ文字練習プリント」(小学館)を送ってもらった。ラワンクルくんは、タイ人だが、70年代に高校生の時に日本に来て、その時、「ポンプ」に投稿してきて知り合った。タイと日本をつなぐ役割を、しっかりとこなしている。

2007年01月05日

「ピリオ」について

橘川は「ピリオ」というメルマガを発行しています。2000年からスタートしましたので、もう7年ということになります。通常のメルマガとは違って、購読申込みをすると、こちらでデータベース化されている原稿の最初のものから、毎日1本ずつ配信されます。

さきほど、新しい原稿をまとめて入れたのですが、2337本目です。ということは、これから購読申込みをした人が、さきほど書いた原稿に辿り着くのには、6年以上かかるということになります(笑)。更に書き続けているので、僕が死ぬまでに読み切れないはずです。この原稿は、10000本(毎日送信して約30年間)を目標にしているので、僕が死んだ後も、このシステムが動いている限りは、30年間毎日僕からメールが届くということになります。

内容は、ここに書かれたことをリミックスして「深呼吸宣言」にまとめているので、そちらを見てもらえればイメージつかめると思います。

▼こんな感じです。



2001/06/04
インターネットとは、巨大な人類の「鏡」である。そこでは新しいことは生れない。すべての人類の、それぞれの現実の中で営まれたこと、見つけたこと、賢きこと愚かなこと、そうした歴史総体が映し出されている。

1989/06/18
植木屋って、緑の床屋だ。


「ピリオ」のシステムを開発したのは、フレンドリーラボの後藤くんです。
「読み切りピリオ」というシステムも実験しています。
こちらは、「作品」は毎日配信するシステムです。
ものすごく可能性があるシステムだと思っています。関心ある方は、お試しください。

2007年01月04日

編集の力

 昨日の夢は、北海道に行くコミュニティ飛行機に乗り遅れるというものだった。なんだ、これは(笑)

 さて、僕は「学校」をとりまく内外の状況が現代日本の最大の危機だと思っているが、いろいろな現象を見ていて、気がついたことがある。それは、「先生が尊敬されていない」ということである。本来は先生は尊敬されていたものであり、尊敬に価する人を「先生」と呼んだのである。もっとも立場を権力として、むりやり「尊敬」を生徒に強いるような先生もいたが、それはそれで人間教育の一環だろう。夏目漱石の時代を見れば分かる。

 尊敬される先生、というは現代では難しい。でも、そういう関係を築こうとしていかない限り、教育の混乱はますます加速するだろう。

 そんなことを思いながら、ふと気がついた。出版界も同じようなことが起きている。出版の世界では著者が「先生」と呼ばれるが、それは表面的なことで、出版の現場では編集者が先生で作家は生徒だった。一人前の作家になるというのは、そこから卒業して一本立ちするということであった。坂本一亀のような戦後文学の礎を作った編集者が、強烈に作家見習いを指導したのだ。

 僕らの時代で言えば、書籍の時代よりも雑誌の時代だったので、講談社の内田勝さんと、平凡出版(現・マガジンハウス)の木滑良久さんが、尊敬する2大編集者であった。この二人も、外部の人間に対してはともかく、編集の現場では、とても怖い存在であったという。

 編集者が尊敬されなくなり、怖がられなくなったのは、いつぐらいのことだろうか。80年代ぐらいからだろうか。ちょうど、山崎浩一、いとうせいこう、中森明夫ら、もともと「編集者」であった才人たちが世の中に登場しはじめた頃からだと思う。編集者が編集を放棄し、自らが発言者としてセルフプロデュースをはじめたのだ。それは、中森が当時「これからはシステムの時代になる」と言っていたように、アナログな編集教育をする編集という仕事が無力になっていったからだと思う。システムの時代は脱編集の時代でもあったのだ。

 そして、現在のように、携帯でノートのような原稿を書いて、それがそのまま出版されたりする。インターネットのブログがそのまま本になったりする。それはそれで望ましい現象であり、「参加型メディア一筋」の橘川にとっては、待ちこがれていた世界なのだが、本来がひねくれものだから「こういう時代だからこそ、編集の力が、もういちど必要だ」と思ってしまう。

 出版界を見ても、やたらと生意気な著者が多くなり(笑)編集者を本を出すための道具かサービスマンかと思っているような人が少なくない。最初から「先生」なのだ。そういう人たちは、わざわざ出版社の編集者なんか必要ないから、自分で出版社を立ち上げればよいのだ。確かに「尊敬するに価する」編集者が少なくなったのも事実だが、もっと出版社というのは数多く立ち上がってよいはずだ。

 近代の編集文化が伝統として残っているのは、マンガの世界である。マンガは、週刊の発行という人智を超えたスピードで発行されるので、編集者のサポートがなければ、マンガを書き続けられないので、編集者の力が必要とされている。まぁ、逆に、編集者の力が発揮されすぎている場合もあるが。だから、賢いマンガ家は、週刊誌ではなく月刊誌を作品発表の場として確保する。マンガが日本固有のカルチャーとして世界で評価されるようになったのは、名も知らぬマンガ編集者たちの力が存在していたことであろうことを、忘れてはならない。

 僕らは、オンプックという、ハードルを極端に低くして書籍発行が可能なソリューションを用意した。同時に、これを「ドロップ・シッピング」のような100円ショップのようなものにしないためには、「本にすべきものだけを本にする」というハードルが必要だと思っている。それは、おそらく「新しい教育システム」になるのだろうと、まだ漠然とだが思っている。僕が数年前からやっている「リアルテキスト塾」というのは、たぶん、オンブックというシステムが動きはじめる予感によって、動かされたものなんだろう。

 ということで、まず動いてみて、動きながら考えて、考えたことで次の動きがはじまる。
 新しい時代の「エディタースクール」が必要なのだと思う。

2007年01月02日

初夢

 住宅街の坂道を走るバスが停留所に止まり、一人だけ降りると、そこに山手国弘がいた。今年の初夢だ。なんでそんな夢を見たのかは想像がつく。昨日、林雄二郎さんから電話をもらい「静脈産業」について話したからだ。現代ヨガの瞑想家だった山手さんとは、80年代、ほんとによくいろんなことを話した。85年くらいだったか、山手さんと僕とでニッポン放送の編成局にレクチャーにいったことがある。稲葉さんが局長だった時代だ。そこで山手さんは、「ラジオ」の役割を語りながら、「ニューメディアには神経系の有線メディアと、電波系のホルモン系ニューメディアがある」と言った。このことは、僕が、「ロッキングオン」から「ポンプ」に至る参加型メディアをやりながら、メディアにとって一番必要なことだと感じていたことだった。

 僕は70年代に「これから逆流の時代が始まる」と書いた。それはメディアが上部から一方通行的に発信するのではなく、これまで受け取るだけの下部から逆流していくだろうという意味だ。そして、逆流の中身は、単なるこれまでの情報のコンプレックスによるものではなく、「個人の体験と実感」でなければならないと。

「ホルモン系ニューメディア」と「静脈産業」。大好きな老人たちからもらったキーワードを、具体化していくことが、僕の役割だ。僕は僕の役割を一度だって見失ったことがない。

 山手さんは、すでに亡くなっているが、彼は多くの言葉を残し、僕の中で息づいている。例えば彼は、こう言っていた。「人と人とは共鳴するが、チャクラ共鳴の場合は力となるが、カルマ共鳴の場合はお互いをつぶしあう」というようなことを言っていた。僕はカルマを抱えて僕に近づいてくる人間が来ると逃げだす(笑)

 林雄二郎さんから「共生」について聞いたことがある。「今の世の中、やたらと共生という言葉を使うけど、これはただ共に生きるということではない。仏教用語で共生というのは『ぐうしょう』と呼ぶ。共生(ぐうしょう)というのは、単に共に生きるということではなくて、共にいることによってお互いが活性化する関係のことを言うのだ」と。

 人は死んでも、言葉は死ぬことがない。僕が出版にこだわるのは、この一点だ。インターネットは空間を超えていくが、書籍は時間を超えていくのである。大切なのは情報ではなく言葉なのだと思う。

2007年01月01日

2007年1月元旦

 お正月、のんびりしていたら、林雄二郎さんから携帯に電話があった。林さんは、「情報化社会」という言葉を作った人で、僕は若い時にその本を読んで感激し、すぐに手紙を書いたら返事をくれて、「一杯飲もうか」と誘われ、そのまま30年近くお付き合いさせてもらっている。僕の最初の単行本である「企画書」(宝島社)に推薦文を書いていただき、オンブック以外では最近刊の「暇つぶしの時代」(平凡社)でも巻頭の言葉をいただいた。

 林さんの考え方や生き方は、僕の手本であり、さまざまなことを学んだ。昨年秋に、卆寿(卆という字が90なので、90歳)のパーティが霞ヶ関ビルの会場で行われ、行ったらなんと講演を2時間近く行った。パワフルである。話も、とてつもなく面白くて、僕も聞いたことのない話が、いくつか出てた。その中で「これからは静脈産業が必要だ」と強調していたので、僕は、もうすこし詳しく説明して欲しいと挙手した。その時は、うまく質問と答えが噛み合わなかったが。

 それで、年賀状に以下のような手紙をつけて送ったら、電話がかかってきたのだ。



林雄二郎様

あけましておめでとうございます。
いつも暖かい眼で見ていただいてくださり、ありがとうございます。

 林さんの考えてきた軌跡を振り返えってみました。ようやく「静脈産業」というものの輪郭が分かってきました。それは、生産構造のリサイクルシステムであると同時に「フィランソロピー」そのものが社会の静脈になるということなのですね。既存のNPOなどの大半は、単なる慈善団体に化していると思いますが、フィランソロピーそのものを、あたかも戦後社会の企業人が斬新な発想と、ねばり強い意志でビジネス化を追求したように、新しいスタイルを模索しなければならないのだと思います。

 なんだか、すっきりしました。僕の方は「オンブック」という出版事業の高度選択社会化を目指しながら、文科省と「オンデマンド型教育コンテンツ・プラットホーム」(略称・オデコ)を開始しました。案内書を同封します。ぜひ、このシステムを社会的に定着させたいと思っています。林さんのご指導をよろしくお願いします。

 林さんには教えてもらいたいことがたくさんありますし、林さんに聞いていただきたいアイデアもまだまだありますので、また遊びにいかせてください。今年もよろしくお願いします。

○「情報化社会」のゲラは1月中にはまとまりますので、出来上がり次第、ご連絡さしあげます。

  2007年1月1日
                          橘川幸夫
                          


 林さんは、「その通りなんだ、税金の仕組みを含めて、社会に静脈を作り出さないと、人類は滅びますよ。人間の体はよく出来たもので、動脈だけでは生きていけない」と、電話口であらためて力説してくださった。

 社会の仕組みは豊かさを求めて、社会の動脈を作ることが活性化の唯一の方法だと信じられていた。それが大量生産・大量破棄の怪物システムに成長した。僕らが、やるべきことが、林さんの著作を読みながら、はっきりと分かった。

 オンブックでは、林雄二郎の1969年の著作「情報化社会」「高度選択社会」(いずれも講談社現代新書)をオンブックで復活させます。これらの本は、大昔の本だが、現代が直面としている問題を間違いなく指摘し、解決策を示唆しています。こうした消えてしまった名著を再登場させることもオンブックの役割だと思っています。これも一つの「静脈産業」だろう。

 なお、講談社の担当の方に復刊の了解を得るために連絡したら「出版に携わる人間として、自分たちが作った本が、再び読者の元に届けられるのは幸福なことです」というような、とても暖かい言葉をいただいた。権利や私利の言葉しか聞こえてこないビジネスの現場で、もういちど、僕らは「出版」の意味を考えていきたいと思っています。

 今年もよろしくお願い致します。