rssフィード


Movable Type 3.2-ja-2

社長日記

2006年10月22日

予告「現代ママさん気分の基礎調査」

 四谷のイーベイビーで「現代ママさん気分の基礎調査」のディスカションをした。インターネット上で「気分調査法」による調査を行い、570人のママさんからの回答を得た。無敵の高橋朗くんが、回答データをまとめて分析してくれたので、それを中心にして、イーベイビーの大久保忠男さん、高橋くん、オンブックの市川と橘川の4人で議論した。
 大久保さんは80年代はアメリカのニュービジネスなどを観察する仕事をしていた。僕と会ったのはちょうど90年ぐらいだが、僕の「企画書」を読んでいてくれた。90年になって「赤ちゃんファミリー市場研究所」というのを作った。単に、ほ乳瓶とかベビーカーとかいうベビー市場ではなく、赤ちゃんが生まれることにより、選ぶ車も変わるし、マンション購入の動機も変わる。「赤ちゃんがやってくることによって顕在化する市場」をテーマにした研究所である。これは画期的な発想だったと思う。オーガニックコットンという言葉も、当時、僕は誰からよりも先に大久保さんから、その効用と意味を聞いた。それが発展して「イーベイビー」になった。当時から、地域のお母さんのコミュニティなどを丁寧にネットワーク化していていた。イーベイビーで現在やっている「成長日めくり」は、赤ちゃんの誕生日の日付をいれると、そこから毎日、赤ちゃんの成長に合わせて適切なアドバイスがお母さんに届くというものである。
 議論は大変、刺激的で面白かった。「ああ、そうなんだ! そういうことだったんだ」ということがたくさんあった。僕はマーケティング関係の調査や報告会には、かなり参加してきたが、何よりも勉強になり発見がある。さまざまな業界や領域の現実データを分析するわけだから、つまらないわけがない。領域固有のこともあれば、時代として共通に感じることもある。物書きとしての僕の書くものが、単に個人的な体験やメディアを通して得た知識以外のものがあるとしたら、それはたぶん僕がマーケティングの世界に深く関わってきたからだと思う。
「気分調査」というのは、僕が1983年に開発したものである。「定性調査を定量的に処理したい」という発想で、質問項目に対して、気分度と1フレーズを記入してもらうという簡単なものである。実際、自動車メーカーから食品メーカー、教育会社まで、さまざまな会社や広告代理店と組んで仕事をさせてもらった。
 僕は70年代に参加型メディア(CGM)のシステムワークに没頭していたが、その次に考えたことは「今後、全ての商品がメディア化する。ならば、すべての商品は参加型の発想で作られる」ということだった。自動車も冷蔵庫も、参加型で作られるならば、そのフィードバック・システムが必要である、と考えながら作ったのが「気分調査法」である。社会全体にどうやって一人一人の思いを循環させるか、と思っていた。
「現代ママさん気分の基礎調査」は、オンブックで発行される。「団塊気分の基礎調査 1000万人市場を読み解くために」の続編となる。「気分調査」はシリーズにしていきたい。また「現代ママさん気分の基礎調査」は継続的に調査を続けるので、興味ある企業の方、調査関係の方は連絡してください。

2006年10月19日

「ニートという生き方」出版パーティのご案内

 本が出ると出版パーティが開かれます。本というのは著者に取っては子どもの誕生のようなものです。オンブックで本を出された方はぜひ「出版パーティ」を開いて欲しいと思います。普通は、著者の友人たちが発起人となります。友だち関係者に声をかけて誕生を祝います。

 田尾宏文さんの「ニートという生き方」の出版パーティが開かれます。アマゾンでもかなり健闘している本です。場所は、本書の執筆舞台となった「ニュースタート事務局」です。現在、60人のニートが寮生活をしていて、出版パーティの会場の設営、料理などの作業をやってくれます。彼らとの交流も、楽しみです。

 こういう趣向ですので、単なる友人知己だけではなく、多様な方々の参加を希望しています。参加されたい方は、お気軽に橘川までご連絡ください。

─────────────────────────────────────────
【event】 --『ニートという生き方〜自己実現の病に冒された社会のなかで〜』出版記念会のご案内-
─────────────────────────────────────────
秋涼の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、本年9月30日に、田尾宏文さんがオンブック社より『ニートという生き方〜自己実現の病に冒された社会のなかで〜』を上梓致しました。引きこもりや不登校の人たちの再出発を支援しているNPO法人ュースタート事務局の若い人たちとの議論のなかからつくり上げた労作で、ニートの現場から生まれた画期的な一冊だと存じます。田尾さんの業界デビューと本書の誕生を祝いまして、著作のフィールドとなりましたニュースタート事務局にて、下記の通り出版を記念した小宴を開きたいと存じます。皆様のご友人の方もお誘い合わせのうえ、ご参加いただけると幸いです。

とき  2006年10月27日(金曜日)
ところ NPO法人ニュースタート事務局
    会費  5,000円
受付  喫茶『縁側』 午後5時30分〜6時30分
開宴  総合福祉コンビニ『行徳センター』 午後6時30分より

2006年 秋
発起人:碇俊彦 遠藤伸子 大場満郎 橘川幸夫 高林寛昭 西山裕 二神能基 三上良子
賛同人:石島洋一 小栗正彦

※会場準備の関係から、下記にご記入頂きましてお早めにお返事を頂けると助かります。
お名前:
ご出席、ご欠席:
お連れ様のお名前:
メッセージ:

参加お申し込みは橘川までメールください。



※ご来場前に著作を吟味されたい方は、下記URLで全文を閲覧できます。


出版パーティは無事、楽しく終了しました。
ニート諸君の作ってくれた料理はおいしかった。パンまで焼いてくれました。
また、ニートと田尾さんとのトークライブも、楽しいものでした。
ニートの寮生70名に「オンブックで本を出そう!」と呼びかけてきました。

  

2006年10月17日

「読書のすすめ」

 近所の小さな本屋が廃業した。年寄りの夫婦がやっていて、品揃えは昔ながらの雑誌と単行本。客もあまり入っていないので、どうやって商売やってるのかと思って、以前に取次の詳しい人に聞いてみたことがある。町の小さな書店は、だいたい家は自分の所有なので家賃はかからない。取次が品揃えして配本して、売れなければ返品すればよいだけだから、何もしなければリスクはないし、年寄りの小遣い稼ぎとしては充分だということだ。委託配本のシステムと再販制に守られて生きてきたのだろう。こうした書店が、何の営業努力もしなかったことに対して、僕は攻撃するつもりはない。戦後の日本は、こうした単純ビジネスで底辺の力を蓄えてきたのだ。
 今年の夏だけで全国で100店の書店が廃業したという。老夫婦の跡継ぎが書店経営を拒否することが多いのだろう。都市部であれば、儲からない書店をやるより、高い家賃でテナントに貸した方が確実に儲かる。かくして、戦後の役割を終えた書店は消滅する。年間1000店あまりが廃業するという。しかし、書店の売場総面積は拡大している。大型書店が都市やロードサイドに膨張していく。
 なんだかなぁ、と思っていた。本屋というのは大きくて何でもあればよいのか。僕が学生の時に好きだった本屋というのは、そうではなかった。書棚を見ると知らない本ばかりで、その中から、直感で本を選んだものだ。つまらない本を引き当ててしまうこともあるが、かけがえのない本を選んだ時の喜びといったらない。書店とは本を売っている店ではない。本と出会う場所である。
 今日、篠崎に行った。午前中、駒込の平井雷太くんの事務所で打ち合わせをした後に、秋葉原に行って、岩本町から都営地下鉄にのって、えんやら東京の外れの町だ。何もない普通の町だ。ここからしばらく歩いた所に「読書のすすめ」という名前の本屋さんがある。店長の清水克衛さんに会ってきた。清水さんは12年前に、コンビニの店長から自分の好きな本を売りたいがために書店を開業した。開業してみて、書店の経営感覚のなさに呆れて、全く独自の書店をスタートした。話には聞いていたけど、実際、書店の中に入ってみて驚いてしまった。売ってる本は、日販から仕入れた普通の市販本である。しかし陳列方法から並べ方に関しては、モロに清水店長そのものがパフォーマンスされているのだ。ラーメン本の隣に九鬼周造が置いてある。カタツムリ社の本が平積みされている。スピリチュアルな本からビジネス本まで、もの凄い密度の品揃えだ。ここでは、世の中的なベストセラーはないけど、この店だけで500冊売ったり、この店で売れたがために増刷になった本があると言う。
 清水さんは「NPO法人 読書普及協会」を事務局長のパカポンすずきさんと立ち上げ、日本中で講演活動しながら読書の普及運動を行っている。今では、日本中から、わざわざ篠崎の何もないこの本屋に来るために客が集まってくる。沖縄から飛行機で本を買いに来るお医者さんがいるそうだ。何のことか分からない人は、ぜひ一度、お店に行ってみるとよい。本を好きな人ほど衝撃を受けると思う。
 清水さんには、いろいろとお願いごとをして、今後、いろいろと協力していただくことになった。そして清水さんがもうすぐインターネットで電子ショッピングサイトを開く。題して「人情横丁−−気持ちが繋がるインターネット商店街」。これも素晴らしい。企画書にこうある。「インターネットショップでも少しでも安いところを目指して買い物をしますが、そのような人情のない商いでは人は育たないのです」と。
 いやはや、世の中は、まだまだ捨てたものではないと思いました。

2006年10月14日

にっぽん再鎖国論/岩谷宏

 久しぶりにロッキオングオンに行ってきた。今度、岩谷宏の「にっぽん再鎖国論 ぼくらに英語は分からない」をオンブックで復刻するので渋谷陽一に電話したら、会おうということになった。僕も忙しい男だが、渋谷は僕の10倍は忙しい。1時間だけ時間がとれた。

 岩谷宏は、20代の僕にとって強烈な影響を受けた一人だ。彼の著作はそれぞれ意味があるのだが、この本はロッキングオンの最後の本であり、より普遍的な本になっている。一番分かりやすい岩谷宏入門だろう。実際、この本に影響を受けて、その後、活躍している物書きたちを何人か知っている。

 本書は英語の単語を順次取り上げて、解説を加えたものである。70年代、ロックの詩と格闘した岩谷さんならではの分析である。



a

なぜI am boy.でいけないのか。日本語では当然「ぼくは少年です」でよい。

Iといえば(Weではないのだから)単数に決まっている。それなのに、なぜわざわざ、aという爐海箸錣蟒颪瓩boyの前につけるのか。さて、以下が本論:

英語の名詞は物を指示する。

日本語の名詞は、単数であることを暗黙の前提としているところが英語と違うだけで、本質は英語と同じく物の指示詞か、といえばそれも違う。日本語では「……たち」、「……ども」等を使わなくては複数を示せないと同様、英語でもboysとしなければならないのだから。

ゆえに、またぞろ、「boyは単数やんけ。なんでわざわざaをつける必要あるんや」と言いたくなってくる。

英語の名詞は、a, the, s等が付くことによって、物の指示詞として完成するのである。aは日本語では、「あ、ちょっと…」とか、「あ、これこれ、これよォ!」とかの「あ」、つまり、ものごとの特定点への注意を促す「あ」にほゞ相当するようにも思われる。

日本語の名詞は、物の指示詞ではない。事の指示詞である。「少年」は、「少年というもの」を指示するのでなく「少年ということ」を指示するのである。ゆえに、主語が複数となっても「少年」でよい。例「おまえらは少年だ」

ちなみに、I am boy.という文をよーくみてみよう。aがついていないと、boyが、なんとなく、形容詞と名詞との合いの子みたいな、すなわち、犹の指示詞瓩剖瓩い發里妨えてくるであろう。なに?見えてこん?そりゃあみつめ方が足らんのよ。もっと、よーみつめい。ヌハハハ。

で、じゃあ、日本語で物を指示したい、という不心得物がおったら、そいつはどうすればええか。驚異的な発見であるが、日本語ではそれは不可能なのである。

逆に英語で事を指示したいと思ったら、being a boyとか、to be a boyとか、ややこしくなるし、そもそも、I am a being a boyなどとやると、それすら再び物の指示詞になってしまう。どもならんのォ、である。

日本語では、事(コト)は言(コト)であり、言(コト)は事(コト)であり、音声や文字を用いてカタチとなった言(コト)は、したがって、コトバ←―コトのハであって、けしてモノバではない。これはこの本全体の基本テーマであるので、ここでは簡単にのみ触れておく。

(ついでに、この本全体への注として:アル・ナイの成り立つのを「物」、アルしか成りたたないのを「事」と呼ぶことにする。くわしくはNo, Notの項を。)


 こうした感じで「a」から「Wild」まで、用語が解析されていく。英語を解析しながら、どこかに岩谷さん自身が書いていたが「昭和に舞い降りた本居宣長」のように、日本を解析していく。

 この本を書いた後、この流れが続くのかと思ったら、突然、コンピュータ言語の方に進んでしまったので、僕としては残念なのだが、本書が名著であるという認識は変わらない。オンブックを作った時に、何冊か、必ず復刻したいと思っていたうちの1冊である。こうした「埋もれた名著」がたくさんある。

追伸1
ちなみに、文章を短いセンテンスに分けて、文章と文章の間を1行あきにして書く風潮は、特にインターネットなどで文章を書く人には拡がっているが、たぶん、僕の影響があると思う。僕の本はずっとこの方式で書いている。1984年に「メディアが何をしたか」という単行本を出した時に、電通の人が書評で、この方式を誉めてくれた。1行あきの文章なんて、当時はなかったし、そういう原稿を書いても雑誌の編集者などは勝手につめてしまっていた。一つのセンテンスが独立したユニットになっていて、将来的にデータベース化出来ると最初から意識して書いてきた。ただし、この方式を最初に始めたのは1972年の岩谷宏である。僕は彼の真似をしたのだから。実際、この方式で書いてみると、冗長な散文も、ビートのきいた音楽になるのだから不思議だ。

追伸2
 渋谷と会ったついでに、「ロッキングオンの時代」(仮題)という、ロッキングオンの創刊前後の話を書いた原稿を持っていった。これはオンブックで出すのではないのだが、ある出版社の社長に頼まれて書いたものだ。記憶を辿って書いたものなので、誤解・間違いがあると思うのでチェックしてもらった。70年代のサブカル史は、もっと現場の奥深くから残されていくべきだと思う。
 帰りのエレベーターホールで、渋谷が「おまえ、体調だけは気をつけろよ。キヨシローがガンで倒れたことは、ホント、オレ、衝撃だよ」と言った。

2006年10月12日

和田中界隈

 杉並区の和田中学校に行った。元リクルートの藤原和博校長が民間校長として頑張っている学校だ。少し早く着いたら、藤原くんは前の打ち合わせをやっていた。「ちょっと待ってて」と言われて、廊下で待っていた。なんとなく中学校の廊下で待たされるというのは、哀愁を感じる時間だ。廊下には、藤原くんが招いた有名人の写真などが張り出されている。長州小力が来校した時の写真があって、「『みんな、僕のことを久保田先輩と呼んでくれ』と小力が言ったら、生徒は『久保田先輩、お帰りなさーい』と叫んで、小力さんがウルウルする」という説明があった。そういえば、こないだ藤原くんに外で会った時に「ああ、これから長州小力が学校に来るので帰らなければ」と言っていたのを思い出した。卒業生なのである。最後はパラパラのフルバージョンを生徒に見せたようである。
 現在、日本の公立学校に民間出身の校長先生は60人近くいるという。でもまだまだ少ないと思う。特に団塊世代で、さまざまな業界で活躍した人が、小学校・中学校に入って、自分の経験とノウハウを活用すべきだと思う。藤原くんの活動を見て、つくづくそう思った。
 現在、オンブックでは、和田中の子どもたちが書いている読書感想文を出版するプロジェクトを進めている。さまざまな活動の結果報告を本にしましょう。
 和田中の近くにある、めちゃくちゃにうまいソバ屋に行って、いろいろと打ち合わせ。そのあと「IDEA HACKS!」というヒット本を出した、原尻・小山くん、宝島の編集者の柳原さんらと東高円寺のモスバーガーで雑談。小山くんは現在は松竹にいるがNY滞在中に、僕の「リアルテキスト塾」に入塾したいと連絡をくれた人だ。
 「リアルテキスト塾」は近日、6期が始まる。まだ余裕があるので入塾希望者は連絡を。

2006年10月08日

米澤嘉博くん

 米澤嘉博くんが亡くなった。20年ぐらい前に何度か会っただけだけど、その後のコミケの発展はすさまじいものがあった。コミケは今では日本最大規模の定例オフ会になり、80年代の草の根BBSはインターネットにつながっていった。コミケのような地べたから立ち上がった参加型メディアの運営システムこそ、現在「Web2.0」だ「CGM」だと、外部からの知識で能書きをたれている連中は学習すべきだ。

 先日、秋葉原のミニシンポジウムに参加したので秋葉原をうろついた。秋葉原は「オタクの聖地」なんかではなく、「オタクを相手にした大人の街」に変わりつつあると思った。かつて渋谷の街が「若者の街から、若者相手の商売をする街」に変貌したように。コミケやゲームショーに現れたコスプレーヤーは本物だったが、秋葉原にいるのは、誰かにギャラもらってコスやってるフリーターが大半だ。

 オンブックを始める時に、古い名刺を整理してて、連絡を取ろうと思った人の名刺はフォルダーにまとめてあった。米澤くんの名刺はその中にあった。彼と、オタク文化の流通ソリューションについて語りたかった。自分より若い人が亡くなるのは、なんとも切ない。ご冥福をお祈り致します。

インターネット時代の「出版事業」とは何か?

▼以下の原稿は「出版ニュース」2006年9月下旬号に掲載したものです。次号が出たので公開します。


インターネット時代の「出版事業」とは何か?
橘川幸夫 株式会社オンブック 代表


1.雑誌と書籍


 僕は学生時代に仲間たちと「ロッキングオン」を創刊して以来、30数年間、出版の世界に関わってきた。スタートが雑誌であり、雑誌のライブ感が好きだったので、書籍の世界は何か芸術家の偉そうな作品作りのような気がして、なじめなかった。大出版社の中を見ていても、雑誌部と書籍部は、概して仲が悪かった。雑誌というのは「今という時代に起きている事を、いち早く世界全体に伝えたい」ということがモチベーションであり、書籍というのは、「時代の本質に触れている著作者個人の表現を、長く時間を超えて記録していこう」とする作業だ。同じ出版の仕事をしていながら、向いている方向も作業の内容も作法も全く異なるものなのである。
 戦後の雑誌メディアが日本社会の産業成長に合わせて、広告媒体としてのポジションを拡大していくにつれ、雑誌部と書籍部の方法論はますます乖離していく。それでも雑誌を発行することによって新しい著者やテーマを発見し、それを書籍部に紹介していくという相互補完的な役割は機能していた。それが10年くらい前から変化してきた。10年前というのは、インターネットが社会に登場してきた頃である。
 雑誌が「今という時代に起きている事を、いち早く世界全体に伝える」ことであるなら、インターネット網による情報伝達は、まさに雑誌的な情報を伝達するのに最適である。しかも、膨大にうごめく今の出来事を、公的情報から噂話のレベルまで全て網羅しながら、アクセスユーザー(読者)の側から自由に検索・抽出出来るようになってきた。インターネットの普及で一番打撃を受けたのは情報雑誌だと思う。企業の側も雑誌広告に意味を失い、企業にとって雑誌媒体の広告価値は自社のWebサイトへの誘導のためであると言い切る広告担当者も少なくない。雑誌広告の衰退はバブルの崩壊などではなく、メディア構造の変容であったことに気がつかないまま、今となって顔面蒼白になっている雑誌主体の出版社も少なくない。


2.デジタル技術の進化

 僕はインターネットというインフラが、戦後社会、もしくは近代社会の目指したものの到達した世界だと思っている。情報の共有化と、あらゆる介在物を中抜きして最大効率で個人と情報が到達出来るシステム。インターネットは今、起きていることを最大スピードで全世界に伝達することが出来る。こうしたインフラを前提にする社会においては、もはや近代社会が目指した組織論は意味を失っている。キリストの出現によって西洋社会は個人のアイデンティティもライフスタイルも変わったように、僕はインターネットがなかった時代をBI(befor internet)と呼び、インターネットが登場してからの世界をAI(after internet)と呼んでいる。
「インターネットか出版か」という論点や「インターネットが普及しても本はやっぱり必要だ」というような対立構造で僕は考えない。インターネットが存在する世界(AIの世界)での出版業界とはどういうものなのか? という問いかけをする。かつて、農業の時代の中で工業が生まれたが、農業はなくならなかった。しかし、工業化社会の中での農業のスタイルは変化せざるを得なかったのである。同じように、これからの社会が工業化社会から本格的な情報化社会に移行していくのであるなら、工業の質が変化していくのである。
 工業化社会の目的は生産の拡大だから「大量生産・大量消費」が理想のスタイルとなる。出版業界におけるベストセラー指向も工業化の流れと同じである。しかし「大量生産・大量消費」という構造の中には「大量生産(大量宣伝)大量消費(大量破棄)」という別の「大量」が隠されている。日本の戦後社会は、こうしたスタイルの拡大であった。
 僕は情報化社会における生産構造の基本はオンデマンド方式だと思っている。「必要なものを必要なだけ生産し、必要な人にだけ届ける」というシステムである。世界をつなぐネットワーク・システムは、オンデマンド社会を実現させるためにインフラ整備をしているのである。
 出版業界は、実はデジタル技術の多大な恩恵を受けている。かつての活字組版、写植組版代は、著者がテキスト入力をしてくれる時代になり入力代が不要になった。そしてCTPというコンピュータを使ったダイレクト製版技術は、製版フィルムさえも不要にし、3000部以下の小ロット印刷を劇的にコストダウンさせた。平河工業社のCTP書籍印刷事業は、自費出版会社を始めとして、大手印刷会社でも小ロット書籍印刷の場合は平河に回すということが普通になっている。そして、印刷会社名に平河工業社の名前をクレジットすると、更に安い価格で別の印刷会社からダイレクトメールが届く。
 デジタル技術の進化の中でオンデマンド印刷が登場する。もともとは大型コンピュータのような受託システムのマニュアルを制作するために開発されたものだが、版下データを作っておけば、あとは注文を受けるたびに1冊ずつ印刷するので、印刷投資リスクや在庫リスクが全くなく、発行出来る。アメリカにルルコムというオンデマンド出版のサービスがある。ボブヤングという、リナックスのムーブメントを展開したレッドハットのメンバーが始めたオンデマンド出版社である。もともとリナックスのマニュアルを提供するために開始したようだが、オープンソースの考え方が基本になっているので、すがすがしいサービスサイトである。WebDTPのソリューションもあり、オンデマンド出版の一つのモデルだと言えよう。
 インターネットの普及によって「雑誌的」なメディアはインターネットに収斂される。であるなら、今は「雑誌」との対極にある「書籍」の意味と役割が問われるのだと思う。インターネットが普及した後の時代の出版、それは「オンデマンド印刷」による「書籍」ではないか、と僕は思った。インターネットは雑誌のように今という時間を通して広く世界に広がっていくが、書籍は紙という具体的な空間を通して時代の垣根を越えて残るものだと思う。


3.日本型オンデマンド出版


 2000年前後、日本にもオンデマンド印刷機のブームがあった。地方の印刷屋さんなどが競って導入したが、使い道が分からずに事業停止したところも少なくない。大量生産・大量消費モデルの発想から抜け出さない限りオンデマンド事業のビジネスモデル構築は難しいだろう。また、オンデマンド出版事業も、取次や大手印刷会社が主体となって開始したが、現状は芳しくない。何故かという理由は分かっている。事業主体が流通業や印刷業であり、出版事業の本体である出版社が本気になって取り組まなかったからである。それはニューメディアの時代から同じであるが、出版社は旧来のビジネスモデルが大事なので、新しいものには積極的に荷担しない。オンデマンド出版事業というのは、本気で追求していくと、携帯電話の着メロにおけるレコード会社の立場と同じように、出版社を中抜きして著者がダイレクトに出版事業を開始出来るという危険性が含まれていることに気づく。
 オンブックは、日本のオンデマンド出版の限界が露呈した2004年冬からスタートした。2005年6月にサイトをスタートして、1年間で36冊の新刊をオンデマンドで出版した。中学生の小説もあれば東大教授の学術書もある。多様なコンテンツを集め、最小のコストで発行してきた。開始して意外だったのは、問い合わせをしてくる人の9割以上は出版のプロなのである。すでに著作のある著者や編集プロダクション、フリー編集者たちである。もっと素人が集まるのかと思ったら、そうではなかった。出版社の管理が厳しくなり、今や、出版のプロほど、出したい本が出せない状況なのであろう。また、自費出版社に数百万円を支払って出版をした経験のある人からの問い合わせも目立つ。本を出したい欲求は社会的に高まっているが、既存出版社は著者の販売実績優先だし、プロは恥ずかしくて自費出版社に原稿は持ち込めないのだろう。
 オンデマンド出版は究極のロングテール・モデルなので、販売部数も極めて小さい。2006年の春より、大阪屋に口座を開設しアマゾンへの販売ルートを確保。その後、太洋社の口座開設でbk1へのルートも作った。東販、日販へはアプローチしなかった。最初から、大量に印刷して委託配本するという方式は考えていなかったからである。そして、日本地図共販という取次と出会うことにより、オンブックは、これまでにない書籍の発行ソリューションを構築出来たと思っている。


1.下部構造に「オンデマンド出版」(無料出版)というレイアーがある。これは著者本人が原稿を作成すれば、ほぼ無料で発行出来る。現状の発行条件は自著を10冊定価購入するということになっているが、内容によりリクープという方式もある。もちろん公序良俗に反する作品は認められないし、あまりに内容のひどい作品は発行を拒否している。それでも、投資リスクはないので、通常の出版企画の発行判断よりは、はるかに低いレベルで発行が認められる。将来的には「発行=著者、もしくは団体・企業 販売=オンブック」という形で、発行責任をオンブックが持たない形でソリューションを提供出来るようにしたい。

2.このソリューションによって、さまざまな出版企画、原稿などが集まって来る。その中でオンブックとして、よりリスペクト(尊敬的賛同)の度合いが高く、多くの人に読んでもらいたい書籍については、「小ロット出版」というレイアーに移る。これは、オンデマンド印刷で200部印刷することになる。新刊委託はしないが在庫を確保することによって、主にアマゾンなどのネット販売が可能になる。ただし単価コストが高いので、学術書や専門書などに限定される。

3.更に上部のレイアーとして「中ロット出版」を設定した。これは帳合各社との共同作業になるのだが、CTP印刷によって1000部単位での印刷を行う。既存の出版発行システムのように、パターン配本で全国の書店にばらまくというのではなくて、書店からの注文に応じて配本するという「オンデマンド型書店流通」である。印刷部数を1000部から3000部までとし、注文に応じて増刷していく。このレイアーで書店販売を行い、売れ行きが止まったものについては、「1」のレイアーに落とすことにより、絶版もなく長期的に販売することが出来る。

 現在はまだ「1」のレイアーを固めているところであるが、「2」「3」の動きは、今秋から確実に展開していく。実際、オンブックには、さまざまなルートから、過去に100万部売ったことのある著者や、書店でヒットしている著作のライターからの問い合わせも集まってきていて、鋭意、編集作業中である。
 


4.電子メディアの展開

 オンブックが目指しているものは、出版業界の活性化そのものであり、書籍コンテンツの充実である。既存出版社に門を閉ざされ、自費出版社に高額なコスト負担を要求されている状況の中で、新しい才能、新しい発想を、世の中と歴史の中に投げかけていきたい。
 オンデマンド出版という「必要に応じて必要な生産を行う」というシステムは、もう一つの大事な側面があって、それはコンテンツのデータベース化である。データベース化されたコンテンツは、今後、さまざまに展開するITメディアに対応していけるのである。
 オンブックでは、本年8月から株式会社ソニー・ピクチャーズエンターティメントと提携して「三丁目図書館」という携帯コンテンツのサイトを立ち上げた。携帯電話の世界にいる若い世代を見つけ出し、逆に出版の世界に引き出す仕掛けとして「ケー文学賞」というコンテストを実施する。また松下電器産業の携帯サイトにもコンテンツを提供し、今後、オンブックで発行するコンテンツを続々と携帯電話や読書端末などの新しいメディアに提供していくことになる。書籍の発行から2次流通までトータルに管理出来るソリューションなのである。
 出版事業の要諦は出版コンテンツそのものであるということは理解している。現在の出版業界が見逃しているコンテンツを発掘し、最小限のコストで効果的に販売していく方法を確立したいと思う。今後のオンブックの活動にご注目いただきたい。

2006年10月05日

装丁内!

 村松恒平と打ち合わせ。村松くんとはものすごく古い仲間だ。僕が「宝島」で「仕事型録」というインタビュー記事の連載をしていたのは1977年ぐらいで、その連載は始まったばかりの「別冊宝島」で1冊の本になった。カメラマンは斎藤陽一。その担当者の渡辺尚子さんのエディスクールの同級生だということで現れたのが村松くんだ。今も昔も風貌は変わらない。その後、彼は「宝島」に入り、「ANOANO」で女子大生ブームを引き起こし、若いライターの面倒をみながらサブカルチャーの流れを作っていった。
 今回の打ち合わせは、彼の詩集をオンブックで出すということと、携帯コンテンツに彼の著作を流すというような話だったが、以前から、頭の中でまとめていた企画が具体化した。企画というのはだいたい人と話をしている時に具体化するものなのだ。
 村松くんは、最近はトランス派というアート運動に熱心で(僕もカメラマンとして参加しているが)本人も味のあるイラストを書いている。以前にゴールデン街で個展もやった。
 村松のイラストは本の表紙になるよね、という話になって、そういえば最近、博多の女流書家からオンブックの装丁に協力したいというメールをいただき、そうなんだ、オンブックの課題の一つは多様な「装丁」なんだと盛り上がった。
 そこで企画「装丁内」が生まれた。これは、本の装丁をしたいデザイナーを募集して、集まったサンプル作品を1冊の本にしてオンデマンドで発行する。カラーが必要だな。カラーコピーと同じなのでかなり印刷コストが高くなるが仕方がない。オンブックで本を出したい人は、作品集の作品からデザイナーを選んでもらって、直接、装丁を依頼する。
 というような感じだな。デザイナーで装丁をやりたい人は多くて、特に広告関係のデザインやってる人はギャラは良いが、広告というのは消えてしまうので、本のように確実に保存される作品に関わりたがる。著者とのコミュニケーションが生まれれば、面白い動きになるはずだ。
 まずは、1冊「装丁内」を発行したいので、装丁希望のデザイナーは連絡してください。

追伸
「装丁内!プロジェクト」の連絡室、登録サイトが出来ました。覗いてください。

下中直也さん

 神保町を歩いていたら、下中直也さんにばったりと会った。ものすごく久しぶりだ。平凡社の社長の直人くんの父上で、僕は「ロッキングオン」と「ポンプ」を同時に辞めた後、直也さんに面倒見てもらっていた。銀座の事務所で、僕の変な企画を面白がって応援してくれたのは直也さんだ。「文庫本の次は手帳だ!」と言って「手帳情報センター」を作ったのは1982年。まだファイロファクスが上陸する以前に、奈良聡一郎さんの「システムダイアリー」に注目したり、日本中の手帳を集めたりして、平凡社の「別冊太陽」で「手帳の本」を作った。おかげでTBSの朝番組に出た時、僕の肩書きは「手帳評論家」であった。
 そこでの活動で「バンタムブックス」に出会い、ゲームブックの発想を思いつき、出版社に提案作業をしていた。それから数年後にブレイクしたゲームブックだが、実際に儲けたのは僕ではないが(笑)。ゲームブックの流れとシステムダイアリーの流れを重ね合わせる人はいないだろう。それはコンピュータの思想の流れなのだ。バンタムブックスというアメリカで開発されたゲームブックのルーツは、コンビュータのエンジニアが自分の息子が本を読まないので、なんとか読ませたいと思って、フローチャートの仕組みで本を作ったのだ。僕らは、バンダムブックスを解析してフローチェートを組み立てたものだ。奈良聡一郎さん(当時は、お茶の水の洋館に住んでいたので僕らは「お茶の水博士」と呼んでいた)は、日本で最初に「テレビ付きコンピュータ」を発明した人だ。彼もコンピュータ会社の社長をやっていて、会社手帳を作っていたら、システムダイアリーになったのである。
 神保町やお茶の水周辺には、そうした不思議な老人たちの気配が残っていて好きだな。
 直也さんと「マップハウス」に行って、近くでコーヒーをご馳走になった。出版業界の過去だけではなく、未来についても、未だ熱い思いを持っている方だ。ああ、毎日、歩いているだけで無数の「出版企画」に出会っていく。