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社長日記

2006年09月07日

内田勝さん(2006/09/05)

 大日本印刷が五反田に高層ビルを作ったので、知り合いに頼んで上層部にいかせてもらった。僕は高い所が好きなのである。高いところから、遠くを視てると、落ち着く。そのあと、築地の聖路加病院に行ったので、やはり高い所から東京を眺めた。戦後の「東京」はいろんな意味で実験だったし歴史的にも事件だったと思う。昔、古本屋でみつけた昭和初期の「東京ガイドブック」があって、これが楽しい本だった。ウナギ屋とか甘味屋とかの案内が出ているのだが、今はほとんど消えてしまった店ばかり。でもリアリティはあって不思議なノスタルジィ感覚。こういう本や、加藤秀俊らの東京社会学からアラーキーの東京映像までを総合編集したシリーズ「東京全集」を作ってみたい。オンブックは新しい人をデビューさせる装置であると同時に、古いものを再編集する装置でもある。

 予定の時間より少し早かったので、聖路加病院の2階にあるコーヒーショップに入ろうとしたら、内田勝さんとバッタリ。内田さんは1965年から1972年までの「少年マガジン」の黄金時代の編集長で、出版界では伝説的な人だった。初めてあったのは1979年頃で、内田さんが「ホットドッグプレス」(HDP)の創刊を準備していた頃だ。内田さんは当時の若い世代のスタイルを「昆虫」に喩えていた。殻が固くてじっとしている。確かに、そのへんから動きがはじまったオタク文化は昆虫的とも言えるだろう。HDPが創刊された時に「文化通信」という業界新聞の巻頭で、内田さんと僕の対談が掲載された。対談は銀座の三笠会館の個室で行われて、ああ、大手出版社というのは、こういうところで対談とかやるのか、と思った。当時の僕は「ロッキングオン」のメインスタッフと「ポンプ」という雑誌の編集長をやっていたが、貧乏サブカルチャーの本流だったからね(笑)その後、HDPでは何度か原稿を書かせてもらった。

 コーヒーを飲みながら、内田さんは最近読んだ本のことを教えてくれた。矢崎泰久さんの「口きかん、わが心の菊池寛」と嵐山光三郎さんの「悪党芭蕉」だ。矢崎さんのゴッドファーザーが菊池寛だったとは知らなかった。内田さんの話を聞いて、僕も伊賀上野の芭蕉記念館に行きたくなった。新刊というのは、信頼できる知り合いから「面白かった」と言われると読んでみたい気持ちになるから不思議だ。

 そのあと、ソニーピクチャーズエンターティメント(SPEJ)の会議室に行って、「三丁目図書館」についてのミーティング。ボスの福田さん、担当の足立くん、内田さん。僕を福田さんに紹介して「三丁目図書館」を引き出したのは内田さんである。人と人を会わせて新しきものを生み出すのが「編集」というものなのだろう。

 築地の旭通の入ってるビルの2階にある「台湾海鮮」に移って食事。作家の山下卓を呼んであったので合流。山下くんには「三丁目図書館」で行う「ケータイ文学賞」の審査員を頼んだ。ケータイの世界は、新しい人たちが蠢いているから、きっとまた何か新しい出会いがあるだろう。山下くんは、ここのところ「小学7年生」という雑誌企画を抱えて動き回っている。山下くんを内田さんに紹介。これは僕の編集作業だ。70種類の生薬が入っているというスープでの海鮮鍋は、なんか元気が出る。おなか一杯。

 そうそう、内田さんと故・大友昌司との友情を描いた映画企画が動いているそうだ。これは、いろんな意味で期待出来る。「東京全集」の次は「戦後全集」だな。

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