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社長日記

1989年08月25日

マルチハビテーション

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標題=マルチハビテーション
掲載媒体=日経トレンディ89/11月号
発行会社=日経ホーム出版
担当=福沢
執筆日=89/08/25
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 マルチハビテーションという考え方がある。マルチ(複数)にハビテーション(住む)ということで、都心の小さなマンションでウィークデーは生活し、週末は郊外の広い家に移ってのんびりと過ごす、というライフスタイルだ。都心の土地高騰を背景に、行政の側も乗り気で、セカンドハウス・ローンなる融資政策も行われている。

 マルチハビテーション、すなわち「複数棲家主義」ともいえる考え方は、確かに地価高騰によって、都内で家族が普通の生活を送れる住宅環境が確保しえない、というマイナスの要因から発生したわけだが、私には、仕方なく生まれた発想とは思えない。むしろ、個人は、積極的に複数の棲家を望むようになってきているのではないか? 

 棲家とはかつて個人の人格とダブっていた。個人は「家」というフレームの中に帰属するものであったし、家とは地域の大地にしっかりと根をはった大木のようなものであった。今でも田舎に行けば普通の言い方であるが、私の子どもの頃でも「目黒のおばさん」とか「板橋のおばあちゃん」という具合に地名と結びついた家は、個人名と同義のものであった。

 マルチハビテーションは、都市の中で地域の力が完全に喪失していることを合図している。都市、特に東京においては、最早、どのような個人であろうと、そこが安住の地ではありえない。借家住まいの人間はひんぱんに引っ越しをするし、マンションを買った人も、最初からやがて買い替えをする、ということを意識している。そして、今回の地価暴風は、戸建ての家でも、ここは定住の地ではなく、相続税・都市再開発などによって、やがては移動する地であることを知らしめた。かくて、すべての東京人はデラシネであることを自覚したわけだ。

 マルチハビテーションは、複数の棲家を個人に提案しているが、それは同時に、個人というものを複数の人格に分割していくのである。仕事をする自分とそのための家、家族のコミュニケーションを楽しむ自分とそのための家、という具合に。やがて、より個人的な趣味を楽しむ自分とそのための棲家というのも出てくるだろう。子どもが受験勉強するためにワンルーム・マンションを用意する、なんていうのも、この流れの動きだろう。

 かつて「下町の親父」は、どこにいっても「下町の親父」であったが、これからはそういうトータルな人格は成立しなくなるだろう。住居のTPOが要求されるように、人格も、それこそ「マルチ・パーソナリティ」としてコントロールされるようになるのだ。最近の新入社員は、会社が終わると、会社員としての洋服を脱いで別の自分という洋服に着替えるみたいで、アフター5に会社の人間と付き合いたがらない、という声が大分前から聞こえているが、それも都市の中での「分割されていく人格」という動きのあらわれであろう。

 アメリカに8年ほど前、「ビジネス・シェアリング」というアイデアが登場した。これは、複数の人間がチームを組み、複数の会社と業務の契約をかわすのである。例えば、2人のチームが、ビル清掃会社とソフトハウスの2社と契約する。A君は週の前半をビル掃除をし、B君はプログラマーとして働く。そして週の後半はA君とB君の業務を交替するのだ。このような動きも、あるいはマルチハビテーションのような「ホーム・シェアリング」の動きも、都市化と情報化の進行という事態の中では当然の帰結であろうし、もっと他方面の領域で登場してくることが想像される。モノを所有しないで、複数の人間が共同使用するというレンタル・ビジネスも、この動きのひとつとしてとらえられないことはない。

 さて、人はもともと、生まれたところで死ぬものであった。それが移動を繰り返し、故郷を離れ、都市を生み、ついに、日常生活そのものを高速で移動し続けるような局面まで進んできた。マルチハビテーションというライフスタイルは、これまでの都会人の個人とは別の、個人のありかたを誕生させることになるのかも知れない。

1989年08月01日

消費のホストコンピュータ渋谷

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標題=消費のホストコンピュータ渋谷
シリーズ名=VIEW POINT
掲載媒体=日経トレンディ
発行会社=日経ホーム出版
発行日=1989年8月1日
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