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社長日記

1989年07月25日

ネオテニー社会論

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標題=ネオテニー社会論
掲載媒体=日経トレンディ89/10月号
発行会社=日経ホーム出版
担当=福沢
執筆日=89/07/25
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 進化論の中に「ネオテニー」(neoteny)という考え方がある。「幼形成熟ともいう。幼成期に生殖巣が成熟してしまう現象」(三省堂・生物小事典第3版)である。例えば私たちは、胎児から赤ん坊になり幼児期・小児期を経て大人になり、そして大人が生殖して再び次世代の胎児へとつなげる。生物の種はそういう方法的な蓄積の上で発展してきたわけだけど、その固有の方法論が臨界点に達すると、その発展ルールを無視して、いきなり胎児が大人になってしまうというのだ。そして別の種としての発展を開始する。

 社会というものが、生物としての人間の意識の投影であり、歴史というものが投影の蓄積であるのなら、この考え方は、現在の状況に対して根本的な示唆を与えるものではないだろうか。人間はそれぞれが置かれた物理的環境、時間的環境の中で、最大限、それぞれの方法論を追及してきた生物である。しかし、その方法論が行き詰まり臨界点に近づいてくると、どんな現象が生まれてくるのだろうか。これ以上、既存の方法を体現した「大人」のやり方ではこの先、何も「新しい」ものは生めないと意識した次世代はどんな反応をするのだろうか。ひとつは、このまま突き進んで自滅するという考え方があるだろう。もうひとつは、もう一度、自分たちが出発した地点まで立ち戻って、別の方法的道路を探るのではないか。

 それは既存の大人の視点からすれば逆行のように見えるだろうが、もっと高い視点から見れば、それはループを描いた前進ということになるのではないか。
 さて、私が何を言いたいのかは、賢明なるあなたにはすべてお見通しでありましょう。この10年間に起きた「新しいもの」「ヒット商品」というものの根底には、「幼稚性」があるはずである。しかし、この幼稚性は、これまでの方法論によってたどりついた大人の視点から見れば「子どもっぽい」だけの幼稚性なのであるが、ネオテニーという視点から見ると、とんでもない構造変化を予感せずにはいられない。ではその視点を意識して10年間を振りかえってみてください。

○少年ジャンプ500万部
○ファーストフードの普及による「食のおやつ化」
○ベンチャービジネスという名の「会社ごっこビジネス」
○ハリウッドランチマーケットとかガラクタ貿易とかとなりのミヨちゃんなどの小物文化、ガジェット。
○大学生のまる文字、幼児語のよる会話
○縁日感覚の街
○パソコン通信の世界はハンドル名を使った横町仲間遊びである
○TDL3000万人
○マネーをゲーム感覚にしてしまった若手ファンドマネージャー
○バレンタインディを中心としたプレゼント文化の広まり
○シーズンスポーツクラブのような、これまでのクラブ活動ではない、わがままな遊び感覚
○買い物ごっことしての海外旅行・バーゲンハンティング
○グルメという名の駄菓子買い
○大人もまきこんだドラゴンクエスト

 などなど、より時代的な動きの中心に「とんでもない子どもっぽさ」や「過激な幼稚さ」を見ることができる。さて、私たちのこの時点での課題は、20世紀最後の10年間をどうやって過ごすか? ということになろう。今度の世紀末は100年単位のものであると同時に1000年単位のものである。いわゆる2度目の「大世紀末」を迎えているわけだ。一切の大人的方法論を無視して、元の方から別の根を伸ばし始めようとする種族が出てきても、そんなに異常なこととは思えない今日このごろである。