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社長日記

1982年04月10日

(無題)

1982.04.10

私たちは今、人類史上、全く類を見ない局面に立たされている、こまかく指摘するまい。本質を問題にしよう。
人間とは何か、という問いに対して、若きマルクスは、
それは「人間的自然」だ、と言った。
人間とは、人間の姿をした自然だと言ったのだ。
人間の歴史とは、人間が人間であることを証明するための歴史であり、それを、ある方向性は、人間が自然から●●●●、すなわち、人間が自然を支配し、管理し、遂に、自然から切り離されたところで<人間が人間そのものとして成立する>そのような夢想が推進してきた歴史がある。畏るべきことに、それは、私たちの信じてる歴史である。

人間とは、「人間的生命(いのち)」である。そして、いま、
「私」とは「私(ワタクシ)的人間」である。

知とは何か?
欲望としての知=自然
情報としての知=管理

私は私の顔をした人間であり
人間の顔をした自然である。
ならば、私の知は、自然の知である。
私の好奇心は、自然の好奇心である。

人間は人間であることを強固にすることによって私を窒息させる。
人間とは、単なる人間的自然であることと納得すべき。
人間であることに固執しない。グーゼンである。
それは、
私であることに固執しない、と同義

そのことによってのみ、私は、窒息の外に出ることができる。

ほとんど宗教であるが、ほとんど政治だ。
問われるべきは構造でも技術でもなく、生と死
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社会は、これも社会的自然なのであるから生きものである。どのようにシステム化しようと、生きものでなくなったら崩壊する。

社会はカプセルではなく、自然との接点である。

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戦後を否定はしまい。父親を否定はしまい。

私たちは、戦後の舞台を降りるのみだ。近代の舞台を降りるのみだ。

ありがとう近代!私たちに小さな幸福と小さな悲しみを教えてくれた近代にありがとう!私たちは別なものに変態します。

もう一度、人間と自然のトータルな抱擁をめざして。
(近代は、人間の自然に対する復讐だった。強姦だった。)

人間と自然との和姦を目指して。

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私たちの<空間>

これがあるならある。ないのならない。
これは雑誌でも大学でもない。空間だ。

空間から声が聞こえるなら、そこにヒトがいるのだ。
聞こえたアナタもいることになる。

空間は拡がりつつ狭まりつつ生命している。