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社長日記

1981年09月27日

情報進化論

情報進化論
仏作って魂入れず
ヤング&子供通信94号 81-09-27

1.だるまさんが転んだ

●ビデオ・ディスクが、なんで世の中にスムーズに定着しないのか、というと、理由は明白である。ビデオ・ディスクという機器を必要とする欲求とは別のところで、機器の開発のみが勝手に突っ走ってしまったからである。機器ができたところで「さて、この機器を使って、どんなことができるか、みなさん考えて下さい。ビデオ・ディスクの将来はひとえにソフトウェアの開発にかかっています」と言われても、それは本末転倒というものだ。大体からして「ソフトウェア」というのは、外部の圧力で開発するもんなんかじゃなく、環境や情況に囲まれて生きる個人の内部から滲み出てくるものなんですよ。機器にせっつかれて登場する「内容」なんてものは、所詮は現在の機器で充分こなせるもの、となる。それすら充分にこなしてないで、何がソフトウェアの開発だ。「ハードウェアの進歩にソフトウェアが追いつかない」という論も当たってはいない。ソフトウェアの進歩というのは、そんな競争ごとではないのだから。ハードウェアが勝手に突っ走っただけなんだから、テクノ屋さんが何をワメこうとも、そんなの知ったことか、という気が最近はしているのだ。ハードの「進歩」に目がくらんでしまうと、肝心な「自分は何を必要としているのか」という点が見えなくなってしまう。

●本末転倒の事例はたくさんある。ハードウェアの勝手な「進歩」は大方のソフトウェアの土壌とは何ら関係のないところでの、閉ざされた研究室での一人相撲であり、熱狂して迎え入れているのは、一部のマニアたちだけだ。車はそんなに速くしたって仕方ないのに、マニアたちには、ひたすら、0→400mを何秒で走ったか、なんてことに夢中になる。イデオロギーなき、性能向上のための、ハードウェアのしもべ。一体、何のための努力なんだ、これは。

●ビデオ・ディスクは「必要」である。ただし、今のように、単に家電業界の思惑によって必要なのではなく、私たちのソフトウェアの進歩(コミュニケーションの充実)のために必要なのである。「情報公開」(公的情報の一部権力者による独占の打破)という意識が、あまねく人々の中に欲求として根ざした段階で、それを具体的に保証する装置として、例えばビデオ・ディスクが「必要」となってくる、という具合に。ビデオ・ディスクを、マニアたちのための玩具としないためには、まず、私たちひとりひとりの側の「必要」の成熟が必要なのである。

●70年代、情報化社会のソフトウェア部門で特筆すべき事件に「情報誌」の登場があった。これは「ぴあ」でも「シティロード」でも「プレイガイドジャーナル」でも良いんだけど、その出発点にあった発想は、映画好きの学生が「映画のスケジュールがちゃんと分かれば、自分も便利だし、友だちも喜ぶだろうな」ということなんだ。だからおんなじ情報誌といっても「アングル」のように、企業的思惑から「今、こんなの作ったら売れるべ」という発想で出てきたものとは、根本的に違うのだ。自分たちの必要から登場して定着したものは、これからもつながって行くだろうが、「アングル」はとっくに、やるべきことを見失っている。「ぴあ」の最初の発想が拡がっていったその先に、例えばビデオ・ディスクという情報収容力の高い、ランダム・アクセス機能を持っている機器が必要となってくるのだ。ビデオ・ディスクよ、それまでおとなしく待ってなさい。

●仏作って魂入れず。ぽよっ。

2.リサイクル社会

●さて、70年代の情報産業のエポック・メーカーが「ぴあ」だとしたら、80年代は「黎紅堂」となるのだろう。貸レコードということは、昔から仲の良い友人の間でレコードを貸し借りするということはあったのだから、その発想(コミュニティ・シップ!)を社会的なものとする(≒商売にする)という提案は当然出てくるものと思ってたし、だから受け入れられたわけだ。

●貸レコード屋の問題は、現在の、この社会に内在する様々な問題を露出させてくると思われるので、私なんかは興味津々なのであります。これらの問題に対し、しっかりケリをつけない限り、今の会社が次のステップに移行することも難しくなるのではないか、とさえ思う。

●結局、「貸レコード屋」が普及できたのは、昔なら、一部の人間が独占していた「録音装置」が、ハードウェアの進歩と共に、より広範により安価に個人のところまで展開しえたからである。それを今さら、「録音しちゃイカン」などと、家電音響メーカーのソフトウェア部門(=レコード会社)が言うのは、自分たちが何のためにハードウェアを開発してきたのか、まるっきり分かっていない証拠ではないか。録音装置が個人の所有になったということは、放送局の設備が個人のところに設置されたということであり、これは来たるべき社会の準備段階として、ヒジョーに喜ばしいことではないか。ソフトウェアに関わっているものとしては、録音操作の開発を促進するならともかく、中段や後退を要求するなど、一体、何を考えているのだ、と言いたい。

●今はまだ「録音装置」の段階だけど、ここいらのソフトウェアをちゃんとマスターしたところで、次に各個人がオリジナルな「発信装置」を必要としてくるのだ。家電音響メーカーは、そこでまた大儲けするわけではないか。

●ハードウェアの進化(利便さ、低価格、高性能、etc.)は、結果的にソフトウェアの希少価値を奪うことである。旧来の、極度に鍛えあげられた職人芸(ソフトウェアの希少価値)がなくても、誰でも簡単に作品が作れる(複製も含めて)、といった具合に。だから言ってみれば、ハードウェアの企業利益の追求の仕方と、ソフトウェアの企業利益の擁護というのは、最初から矛盾しているのだ。今のような高性能のカセットレコーダーがなかったら、誰も音質を落としてまでダビングはしないさ。そして、この矛盾は、これから、ますます目に見えてくる争いとして、あなた方の問題となってくるのだ。

●例えばビデオ・ディスク。レーザー方式なわけだから、まるっきり盤は痛まない。ということは、新品であろうと100回以上使った盤であろうと、画像・音質はまったく同質であることになる。これはまさしくハードウェアの進歩であるが、その結果、アメリカでは新譜よりも電気街で中古のビデオ・ディスク・レコードを買う人が増えているらしい。

●今のレコード盤にしても、やがて、デジタル化、レーザー化という機器へとグレードアップしていくわけだから、(そうしないと、家電音響メーカーは生き残れないから)ますます、貸レコード屋の運営はたやすくなるだろう。

●著作権ということに関しては、非常に問題の多い権利だと思う。本を書くにしても、例えば1万部売れようが100万部売れようが、1冊の本を書く労働量に変わりないのに、その結果として、収入に差が出てきてしまうのはとても合理的な報酬システムだとは思えない。労働に対してそれにみあった報酬は当然としても、一発当てた作家の行く末なんかを見てると、あわれ商品社会の犠牲者、という気がしてくる。ミュージシャンの生活のメンドウは見てあげたいが、しかし、屋根付きテニス場で遊ばせるために、私たちはレコードを買ったのではないのだ。こういうことは大いにヒガムべきであり腹立たしく思うべきであり、決して憧れたりしてはならないことだ。

●今の段階で著作権を廃止しても、結局よろこぶのは中間販売業者であるから、そんなことは言わないが、私たちの次の社会のステップとして、どのような構造がありうるのか、見抜いていく必要があるだろう。

●こないだ我が家では冷蔵庫を買い換えた。子供の食欲が増してきて、今まで使っていた冷蔵庫では小さくなり、まだ使えるんだけど、かわりに大型の冷凍冷蔵庫を入れた。電気屋さんがやってきて、「この古い冷蔵庫、どうしますか?持って行きましょうか?」「あっ、それは友だちにあげることになってるから、置いといて」「そりゃあ、いいや。最近は使える冷蔵庫もほとんど持ち帰らされて、ウチの下取り倉庫に山積みになってるよ」
一瞬、城の石垣のように冷蔵庫が積み重ねられた倉庫の風景を想ってしまった。これだけの使える道具が使われぬまま放置され、やがて破棄されていくのだろう。一方ではハードウェアが急送に進歩しているのに、ここではフソフトウェア(使い方)がハードウェア(道具)を見殺しにしている。しかしこの放置された冷蔵庫が新たな回路を経て市場に流れ出したら、結果的に新品の冷蔵庫の売り上げが減少するわけだから、企業としては、破棄した方が利益につながると思っているのだろう。今日の安定と快楽のために明日を食い散らかしているように思える。この社会の構造そのものが、ね。

●「ぴあ」は「映画」を契機にスタートしたが、やがて全国域の情報誌として、発想展開するだろう。「黎紅堂」は「音楽」を契機としてスタートしたが、やがて全国域のリサイクル・ショップとして発想展開するだろう。(すでに、「カメラ」とか「ビデオ」のレンタルショップの動きはある)前者は情報のリサイクルということであり、後者は物品のリサイクルということである。まあ、気の長い話であるが、とっかかりはこの辺から、ということですな。次の社会へ向けての。

3.複写社会

●ハードウェアの進歩が産業としてのソフトウェアをどんどん脅かしていくということは、最大の業界であるプリント・メディアに対しても同一である。私は今のコピー・マシンの設備費・維持費がベラボウに高いのは、なにかのインボウではないのかと疑っているのだが、やがて必ず、家庭用の普及型コピー・マシンが出てくる。カシオみたいな、ベンチャー・ビジネスがうってくるのではないかと思ってる。大体いつまで、あんなに大型で頑丈に作らなければいけないのだ。

●素材(紙)の問題さえ何とかなれば、後は、実際に本を買うよりも安くコピーできる装置が出てくるはずである。(そうなれば、貸し本屋の意味が大きく変わってくる)。家庭にコピー・マシンが入る、ファクシミリが入る……ということを前提に、これからの出版社は動かなくてはならないのではないか? 本と言う商品を売ることで利益を上げるのとは違った、ソフトウェアの流通回路を開発していかなくてはならないのではないか?

●グーテンベルグの為したことを「革命性」と呼ぶか「反革命性」と呼ぶかは、評価の分かれるところだ。しかし、それを「革命性」であるという評価を基に展開してきた出版業界が、今、コピー・マシンの「反革命性」を叫ぶのは、どうも納得しがたい。それは、畑をつぶして作られた社宅払い下げ住宅に住む初老の奥さんが、新しく裏山を崩して作られた団地に住む若奥さんに対して「近頃、自然が少なくなって困りますねぇ」と嫌味を言うようなものだ。

●レコード業界がミュージシャンの才能を守るといいながら、実は、人の才能に寄生して生きている自分たちの保身に汲々としているのは自明であり、送り手と受け手の間ではやがて消えていかなくてはならない立場に対する不安もあるのだろう。

●カセット・テープは46分ものが一番売れているのだそうだ。120分が一番割安だから、これの方が売れていると思ったら、違っているので、調査した人がびっくりしてた。当たり前だ。46分というのはLPの裏表分。FMのある番組では音楽の長さが40分になるように曲を流している。エアチェック専門局が無数にできたら、貸しレコード屋すら無用になるだろう。個人的なレコード貸し借りがエアーで出来るようにだってなる。そういう時代すら、すでに、現実的なハードウェアの保証として、見えてきているのだ。中間搾取的な業種はどんどん簡素化され機械化されていく。ミュージシャンの才能を守る、なんていってないで、自分もミュージシャンになることを思ってみることだ。それがこれからの社会で生きる、基本的な態度のような気がする。裏方は機械にまかせましょ。

4.まち

●街へ出ると、人がゾロゾロ。渋谷の「ファースト・キッチン」でチーズバーガーを食べていたのね。隣の席へ中学生の女の子が3人やってきた。すると、1人が「ちょっと待っててね」といって立ち上がり外に出て行った。しばらくすると、ケンタッキー・フライドチキンの袋を持って帰ってきた。すごいなぁ〜、と思った。どうということはないんだけど、すごいなぁ〜と思った。ファーストフードは街を食堂にしてしまったのだから、そのうち、街のあちこちに、共同の食べる場所(広場)ができるようになるのかな、と思った。そういうスペースを作るだけで商売になるな、と思った。ここにも「必要の進化」があった。その店ではその店のものだけ楽しむ、という発想は固定的なんだな。彼女たちは、渋谷という街を楽しんでいるんだな。

●ファーストフードの店で気付くのは、やたらと女の子のグループが多いのね。男は1人できて、ひたすら静かに食べていたりする。のべ人数として女の子の利用客が多いのも、グループでやってくるからだろう。そいで、おしゃべり。おしゃべりにやってくる場なのね。だから、食べ物は軽い方がよい。ファーストフードを単に飲食業の展開として考えると見あやまるな。吉野家のようにファーストフードはガソリンスタンドではない。広場だ。

5.著作権問題異論

●70年代に発生したニュービジネスは、いずれも「サービス産業」である。資本主義社会の中心はビジネスだから、これは世の中の中心が「モノを追求する時代」から「コトを追求する時代へ」、ハードウェア中心からソフトウェア中心の時代へと移りつつあることを示している。

●しかし、「サービス産業」がニュービジネスになるというのは実は不思議なことなのである。なぜなら私たちは既に、巨大なサービス会社を持っているからである。それは「国」である。国の仕事は、モノを生産・販売することではなく、コトをスムーズに運ぶことにある。

●70年代に成長したビジネスを見てみると、それは本来「国」がやるべき仕事であることが、はっきりしている。
(例)
 崙本リクルートセンター」などの就職情報(労働省)
◆屮筌泪髪人◆廚覆匹梁雉淙悄瞥浩省)
「チェスコム」などの転送電話(電電公社)
ぁ屬圓◆廚覆匹離轡謄ガイド(市役所など)

●などなどである。いずれも本来の役所がちゃんと自分たちの仕事を時代背景の中に組み込んでいれば、とっくにやっていた仕事である。宅急便のように民間がやって成功すると、あわてて対応策を考えるような役所は、なんのために税金を徴収しているのだ。

●そして「黎紅堂」などの「貸レコード屋」である。これはまさしく「図書館」のやるべき仕事なのである。図書館とは文化財産を広く国民に共有させるためのシステムだろう。文化財産が書物しかなかった時代は書物だけ扱っていれば良かったが、現代はかつての書物と同じレベルで「レコード」「ビデオ」などが、私たちの文化財産である。図書館のレコード・ライブラリーは充実してきている、といっても、内容は「クラシック」か、せめて「ジャズ」が主体だ。書物なら最新ベストセラーが入るのに、今を表す最も重要な「ロック」や「歌謡曲」が少ないというのはどういうことだ。公営の「マンガ図書館」がないのはどういうことだ。

●まぁ、私は「ロックが文化かどうか」などというツマらない論争をするつもりはないので、とりあえず「レコードとは記録である」とだけ言っておこう。それよりも問題にしたいのは、現在の貸レコード屋に対する規制は本質的に図書館というシステムの否定であるということだ。ある単一のソフトウェアをコミュニティの複数の人間が共有する、ということの否定である、ということだ。現在の「著作権問題」を「レコード業界」などという狭い範囲だけのツジツマ合わせに終始してしまうと、後で大変なことになるはずだ。

●書物は、「図書館認定」になれば一定の部数が約束されるわけだから、出版社は喜ぶ。図書館がもっとレコード・ライブラリーを充実させれば逆に今のような「貸レコード屋規制」みたいな問題は起きなかったのではないか。最近の図書館は実にコマメに書物を揃えていてくれる。コミュニティにも密着しているし、近くの図書館になくても別のところから即、とり寄せてくれたりする。きっとマメに頑張っている図書館員が多いのだろう。そのエネルギーの一部をせめて次世代図書館、AV&C(オーディオ・ビデオ&コンピュータ・ソフト)ライブラリーのシステム構築のために使ってもらいたいと思う。アメリカの図書館じゃ、パソコンの貸し出しもはじめているぜ。次々世代図書館というのは、きっと、メディア機器のレンタル・ショップみたいなものになっているはずだ。そして、ライブラリーには、その機器を使って作った、地域のみんなの作品が集まっているのだ。(参加型図書館)。

●メディアの変容に合わせた「著作権問題」と「図書館の未来」を見ることができる、そういう役人はいないのかなぁ?

1981年09月02日

企画書

(表紙)
提出先:バンダイ 昭和56年9月2日 (1981年9月2日)
橘川幸夫 704-7671

[状況認識]
●このめまぐるしく進展する時代の中で、若者たちが夢中になっているもの、夢中になりつつあるもの、そして、これから夢中になるもの…を、見抜くには、データによる数量としての若者意識の分析や、大人の眼を通した若者意識の判断では、おのずと限界があります。ダイレクトに若者たちの意識の声に触れる必要があると思います。若者たち自身に、自分たちの意識を言葉に置きかえる能力がないとしたら、若者たちの直接的な意識を言葉に翻訳する、なにがしかの<装置(システム)>がありうるのではないか?

(ここまでが表紙)

図略

●基本的な構図は上手のように、シンプルなものです。

B 若者意識をいかにプールするかについては
…樟椽犬泙辰討發蕕辰届辰靴△ぁ発言などをプール
▲董璽泙鮟个靴董⊆蟷罎篥渡辰覆匹鮖箸辰堂鹽してもらう。
  学校などで、仲間にアンケートをまわす。
9垢法直接、動ける若者をリポーターとして組織して、若者の現場の中で<取材>する。

●若者のネットワークに関しては「ロッキングオン」という音楽投稿誌を9年間、「ポンプ」という投稿オンリー・マガジンを3年間やってきた橘川幸夫がノウハウと、現実的なネットワークを持っています。

組織案(一例)

おも研(=おもしろ、おもちゃ研究会)

☆ 中心グループ 高校生:男=2人  女=2人
大学生:男=2人  女=2人
一般 :男=2人  女=2人
☆ 協力グループ 中学生から一般人まで全国に約100人

グループリーダー兼プロデューサー  :橘川幸夫
顧問    :近藤純夫

中心グループは
・定例おしゃべり会
・取材
・「おもちゃ」に関するミニコミを製作する
・協力グループとのおしゃべり取材

こんなことを
やりたいと
思います

※この3行でA4一枚使っています。

.押璽燹Ε札鵐拭爾慮Φ
自称ゲーム・センターの鬼を数人+おも研メンバー数人による共同研究

追求点は
A.ハードウェアとしてのゲームの面白さ
B.ゲームに魅かれる<人間>の心理現象について


A:どのような機種の、どのようなポイントがうけているのか?(徹底調査)

(個人的な参考意見) 流れとしてこんな風に考えられます。
・初期はインベーダー・ゲーム全盛であった。
・現在は、ジャンピューターガ(?)が伸びている。
・次は、ウォーゲームやシュミレーションゲームなどを、コンピュータ内臓のディスクで操作するマイコンゲームが台頭してくるだろう。
 
 すなわち、インベーダー・ゲームは「兵隊のゲーム」であった。一平卒の狙撃主のゲームであった。それは、ドライブものでも潜水艦ものでも同じだ。ところがマイコンゲームになるとこれは「将校のゲーム」である。戦闘ではな戦略のゲームである。ここにいたる過渡期として、現在の「ジャンピューター」ブームを見といた方が良い。

・「将校のゲーム」として、既存のウォーゲームの他にどのようなものが考えられるだろうか?

 ・複数でやる「コンピュータ・ゲーム」は、どのようなものが可能だろうか?例えば「麻雀」にかわる「コンピュータ・ゲーム」はありえないだろうか?
  複数でやる「コンピュータ・野球ゲーム」というのはあり得ないだろうか?マネジメント・ゲームのコンピュータ版。


B.ゲーム狂の意識調査
Q.ゲームをやりながら浮かんでくる音楽は、なあに?
ETC

▲Εークマンのソフト開発
これだけ普及したウォークマン、東京では高校生、大学生の、かなりの数が所有している。一部では、すでに音楽を聴くだけでは飽きちゃってる部分もでてきています。

そこで

まず、ウォークマンの普及状況、利用状況を調査。

次に

ウォークマン・ゲームの開発
ソフト・テープの開発

Ex ウォークマンを使ったトランプ・ゲームは?
(ナポレオン)のようなゲームは、指令をテープにふきこませるとか。若者たちの、ウォークマンの使い方を、ていねいに追っていけば、商品化できるゲームの開発も可能と思われる。

今、学校で、こんな遊び!
遊びの定義をひろげていけば、ツッパルことも、ナンパすることも、授業をサボるのも、教科書に落書きするのも、もちろん、みんな、遊び。若者の生活はそのままが遊び。若者のトータルな生活白書を、直接的な言葉と取材でまとめあげれば、彼らの欲求と要求が見えてくるはず。

ぁ粉甼顱瓩もちゃ)という呼び名が成長すると何んと呼びかえたら、良いだろう。17才の少女のおもちゃ、22才、大学生のおもちゃ…などなどは、もっと、彼ら自身にフィットしたネーミングがあるはずだ。
言葉が変われば<おもちゃ>と<人間>の、かかわりかたも変ってくるはず。

Ex.大人のおもちゃ=別な言い切り方はないのか?
   ゲーム=別な言い方はないのか?
   ゲーム・センター=もっと、別な言い方をしてみろ!

ァ\宿覆離皀縫拭室宍擇喊契宿奮発室としての「OMOCHA HOUSE」の提案
・パイロット店みたいなカタチで、街に、ゲーム・センターとして設置するオープン方式。
・非公開の部屋に、会員を集めて、遊んでもらって、はなしを聞く、クローズ方式。

※参考資料として、「メディア・レビュー」誌に掲載される記事を添えます。これは、「雑誌」についての記事ということで、5人の若者を集めて作ったものです。

このような方式で、いくつかのテーマに関するチームが編成可能です。