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社長日記

1976年10月01日

Rockin'on NO.24_1976_10

rockin'on NO.24_1976_10_P.30

小売店のおはなし
ものを売るという事

角のスーパーマーケットでは、子供の日の記念セールと名うって、シャケの切れ身を特売していた。あは。街では、アメリカ建国200年記念とかで、下着のバーゲンセールをやっていた。あは。要するに昨今の小売商というのは、ものを売るために、そのものとは直接関係のないあおりで売る事に力を入れてるらしい。

買う方にしても、60年代買物時代にやたらと色んなものを買ってる訳で、今となっては、日常的に消費する物以外に、これはどうしても買わなくては死んでしまう、というような必然性もなく街へ買物に出る訳だから、こういうあおりにはすぐのってしまう。

J・レノンは<僕たちのレコードを買う人達は、だまされたがっているのさ>と言ったけど、その発言は、つまり、レノン自身が<だましている>と自覚してい事の現れである。しかし、今の商品社会には、だましてる方もだまされてる方も、全然、自覚がない。自覚がないから子供の日にシャケの切れ身を特売だと称して売っていても、誰も不思議とは思わない。

確かに、ものを買う、というのは、快楽には違いないから(ソ連ではシアーズのカタログがベストセラーという話もある)池袋の西武デパートなんかに行ったら、一日中商品をみえてるだけでも飽きない。何んとかカタログの本は、バカバカしくて買う気にはならないが、でも、実際に読んだら、結構楽しめるのかも知れない。要するに、僕たちはデパートへ、必要なものを買いに行くのではなくて、必要なものを探しに行く訳だから、プチブルとしては、まあ、後で考えれば余計なゴミみたいなものも、いつの間にか買ってたりする訳だ。

マスコミなんてのも、考えてみれば、必要なものを売る訳ではなく、あおりを売る訳で、オリンピックもロッキードもアグネスラムも、デパートのアメリカ建国バーゲンと大して変りはないみたいだ。鈴木清順という映画監督は、新聞の一面は全て死亡通知にすべし、と書いていたけど、新聞も例えば、一面に家庭欄がくれば、それはそれで意味があるんだろうけど。

ところで、ROも最近は、あおりが多くなりまして、そして表紙をR・テイラーにすれば確実に部数が増える、という現実がありまして、しかし、ここで表紙を渋谷陽一にすると、無責任な連中に面白がれるのが関の山で、潰れるのは目に見えております。僕たちも実際には、ロックにあおられてきた訳だし、ROだってロックにあおられて出て来たみたいなものだ。だけど、ハタと考えるに、本当は、そんなものにあおられなくたって、僕たちはここまで来ただろうし、あおりの裏側に、ひっそりとたたずんでいた沈黙こそを僕たちは信じてきたのだ。ウム、

ウム。ROは何を売ってるんだろうか。ウムウム。それが分るまでは、分ってコトバに出来るまでは、実権派の渋谷社長を信頼して、あおってみるか。いいかい、ダマスからね、ちゃんと一所懸命、ダマされてみてよ。・・・・・・ヘンなの。


●橘川幸夫

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Rockin'on NO.24_1976_10_P.49

まほろば合掌団
太陽通信の章 最終回
橘川幸夫 & 本田義高

 雨の日の公園で見かけた。昨日まで火照っていたアスファルトの道が、今日はうるんでいる。生まれた時から片親だった少年が、見ず知らずの中年男になぐさめられているような、雨の日の公園。雨は、ゆっくりと、気長に降っていた。
 ゆれている、ゆれている。世界がゆれている。花がゆれている。道がゆれている。声がゆれている。あなたの肩をゆらすように、雨が降る。
雨の日の噴水。時刻がまるでオナニーのように義務的に走り抜けて行く。デパートでは夏だというのにスキーの特売セールをやっている。彼には分かっていないのだ、この夏の意味を。ウイーンが超異常乾燥でヒモノになっても、シベリアが砂漠と化しても、彼はスキーをしこたま売りまくって大儲けするだろう。悲しみとか苦しみは、彼に渡してしまえばいい。うまく、売り払ってしまうだろう。後は、僕らがだまされて売り付けられないように用心すればいい。
しかし僕は雨の日の公園で見た。だから僕は雪の日の街角でも見るだろう。それが、太陽と混じりいくものの後姿であろうとも、僕は追い求めるような事はもうしない。壊れたオモチャのように、時々思い出したように鐘を鳴らしてくれれば良い。分る、という事は<分らない>という言葉を放棄する事だから、知らない事は沢山あっても、分らない事など最初から何もなかったのだから。雨と大地が静かに愛の仕事をしている。緑色にもえている芝生たち。景色……風景でも情況でもなく、生フィルムのようにぼくの生命を盗み取る。
あなたが歩いて行く。あの山脈を、あの海原を、あの運河を、あのキレットを、この、雨の日の公園を。この、雨の日の青空を。

ユダが気恥しげに呟いた。「彼は私を愛したんじゃない。私を愛し過ぎたんだ。」しかし、僕は雨の日の公園で見た。ゆっくりと雨霧の中の道を歩いて行く姿を。大地にとっては、一本の傷痕ではない。道とは大地そのものである。だから、しっかりと道を進む、とは、しっかりと大地に広がって行く事に他ならない。雨は種子。ホオーツク海に射精された精子の群。
木立をゆする風音がにぎやかだ。ある日思い付きながら、今は忘れてしまった数々の想念。別れた恋人。
「……だからさ、君は自分のためにおしゃれしているからさ、一人よがりでキマラないんだよ(」)(」)なしタイプミス?
「…彼らは彼らの強さのゆえに滅びるさ
「君は私と会った事を大事にしすぎる
「……欲望、か。それはつまりこうだろうぁ。欲望によって愛するな、欲望を愛せよ、と。
「正解も誤解のひとつだというコトワザがあるじゃないか
「……人は、何かになろうとして、何かにならなくてはいけないと志す事によって、心の中に志行性の彼岸をつくり出してしまう。
「今時、めんくいだなんて、ふざけた話だ。君の美を求める目は充分濁っているさ 「信念を持たない奴は嫌だが、自分の信念を疑わない人ってもっと嫌
「老いる、って言葉はないさ。ただ、ゆるむって言葉がある
「池があって、どうして池の水が地面にしみこまないのか、と悩むよりは、しみこまない場所に水がたまったのが池だ、と考えるほうがラクじゃない
「ゆれるという事は大地と直結したいという事だから
「夢って、目が覚めた時、初めて見るもんだよね
忘れる。見る事の暴力が完成する事。忘れる。僕は誤って大地に付けてしまった傷をいやす。忘れる。あなたを誤って愛し過ぎてしまった事を。忘れる。あなたを見かけた事を。もう見えない。もう感じない。もう終りは来ない。時が判決を下してしまったものを、今時に向かって求刑する。決して終らない。