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社長日記

1976年08月01日

Rockin'on NO.23_1976_08


P.34

ナイト・ライト/エリオット・マーフィー/橘川幸夫

●最近何を聞いてる? って尋ねられ、いや何んにも聞いてないよ、と答えると相手は話の先に進めなく困ってしまう。ステレオからはエアロとか10CCとか、あるいはスパークスやロキシーが日常的に流れている。でも僕は、いや何んも聞いていない、のです。
どういう事かというと、ロックを聞くという事は僕にとっては、その音楽と音楽の意味、あるいはそれを鏡とした自分と向い合う、という事なのです。でも僕にとって、あの日(君の知ってるあの日だ)から<向い合う>という発想は消滅したのです。エリオット・マーフィーも確かに部屋に流れてます。確かに流れていますよ。

●ロックというのは音楽形式の一つの流れだから、その人その時で良く出来た作品というのはあるのだろうが、ロックが完成される、という事はない。時代が完成されるという事がないように、である。しかしロックを聞く僕たちのそれぞれの主観においては、完成、という瞬間があるのかも知れない。ロックを聞く者の<ロックの完成>という事は、しかしそれは、客観的に完成されたすばらしいロックを聞く、という事ではなて、ロックが、今までのその人にとってあったようにはあらなくなった、という事ではないか。つまり、飽きたものでも老いたのでもなく、必要としなくなる、という瞬間、あなたにとってロックは完成したのだろう。
 ベイシティもキッスも、これからも様様なスタイルに移り変りながら何度も何度も登場してくる事だろう。でも問題なのは、僕たちロックファンが、それぞれの内部で、どのようにしてロックを完成するか、という事だと思う。

●5〜6年前、毎晩のように飲んだくれて、やたらと人につっかかっては乱闘を繰り返し、年がら年中女問題でこじらせ、自殺未遂の常習者だったあいつが、しばらく噂を聞かないと思ってたら旅に出ていたらしく、何年ぶりかに新宿に帰って来た。やあ。うん。……。……。いい顔になったな。うふっ、まあな。
 最近は、こういう風景が多いのだろう。それも僕の周辺だけではなく、僕は、30代の、40代の、やはり、こういう風景を目撃したのだ。
エリオット・マーフィーも、やはり、すっきりとした顔でNYに帰って来たのだろう。君が旅をしている間、僕だってずうっとここで旅をしていたのだ。だから君が帰って来てくれてすごく嬉しい。君が、どっかの土地に幻想を持ってしまって、そこで、のたれ生きでもしてるんじゃないかと思っていたんだ。
このレコードでの彼の声は、ディランじゃなくて、丁度ハンキィー・ドリイの頃のボウイのように、都会というものを(特にその夜の部分)よく分っている、押しつぶされた声で、いい。でも、アメリカのスター一般そうであるように、色気(スターというのは僕たちの共有の娼婦・娼夫だから、スターが結婚するとファンが怒るのだ=峰岸説)が欠けている。でも、肉体における声の先行理論というものが設定されるなら、これからのアメリカに対して、魅力的な期待を持っているかも知れない。

●ROも今年になってからよく売れてるらしいし、ロックもよく売れてるらしい。でも、何んか本当に新しいと思えるような新鮮な緊張感は薄くて、多分、今は、この数年間に出て来たものの<ベストアルバム>的な作品を、新しい聴者に聞いてもらってる時なのだろう。マンガもベストアルバム的な文庫が流行っているし、ROの読者も大幅に変動しつつあるみたいだ。
 ナイト・ライトは、まあ悪くはないけど、でも、この<悪くはないけど……>的なレコードが増えてきたのも、ひとつこの時代の困難さかも知れない。

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P.65 THINKIN'ON

さようならこんにちは
まほろば合掌団
橘川幸夫+本田義高

 明るい日が続く。もう何日も何週間も何億年も続いているように続く。情報をして現代の生活をメソポタミアの文明と非ざるものとしているのならばUFOとはメディアである。とか、メディアはマッサージであるとか、とか、ずいぶんとりとめのない、すっとぼけた事を考えている。あるいは、<内的遠方>とかいう言葉があったなとか時たま思い浮べながら、スープストックのフリージングに忙しい。はて、自分はこんな人間だったのだろうかと思って鏡に向ってみると、頬のところに一本の毛が生えている。薄くたどたどしい毛が、まるで雑草のようだ。草のようだと思ったら、突然に自分は灰色の大地のように思えた。……何か、言葉をつなぎとめておく鎖が外れてしまったようで、すいません。

 かって僕は何者かであろうとして何者かであるふりをして、結局とどのつまりが、このように、こうして、説明のつかないもあいを抱いたまま食卓に座っている。もあい?何じゃこれ。こんな言葉を僕は知らんぞ。知らんけど今ここにこうして使ったからには、もあいはもあいだ。きっと何かの本に出て来たのだろう。意味などどうでも良い。僕はもあいと共に今、原稿を書いてる。
もう書きたい事とか書かねばならない事とかは何もない。ただ僕たちが、かすかに触れ、触れる事によって僕たちをこのようにあらしめたものの姿を、いくらかでもなぞって行きたい。そのための唯一の能力にたよって旅をしたい。エロスの深いまなざしのような旅を。
その昔、ある男が自分はどこまで自分であるのかを探りたくて、まず手の指を切り落し、自問した。<私は私であるか>と。次に腕を切り落とし、次に足を切り落とし、次に……と次々に切り落とし、そして最後に自問した。<これでも私は私であるが>。
この話は丁度、机の上に置かれた一個のコップの非在を証明するためにコップを無限に分割していくのと同様の存在論の不安(非在の存在論)だが、今、僕はこう考える。
私が私である事を確かめるために、何かを切り取ったり、あるいは付け加えたり(例えば、その人の主張とか個性とか地位とか世代とか……)する事そのものが既に<私>ではない。あるがままの私という純粋な宇宙は、決して自ら捨て去る事のできるような自体ではなく、付加される得るような対自でもない。
唯一者でもなく無でもない、私、とは何か。と、ここででてくるのはもちろん、<あなた>という<関係性の視座>であり、関係性の磁場な訳ですが、お湯が沸いたので、ちょっとお茶を飲みます。

僕には友人・知人がやたらと多くてとにかく東京ならどこに行ったって知ってる人が住んでる。そしてROなんかをやり始めてから更に増え、これからもっと増えるだろう。それはそれで好きだからいい訳だけど、でも実際に一個人が死ぬまでに知りあえる人間の数なんてタカが知れてる。でも僕があなたと会えたというのはちょっと違うのです。
僕が地球上の日本に生れ橘川幸夫という名の姓を受けて26年間も生きてきた事、あるは渋谷陽一という名の男から突然電話をもらった事、あるいは一人の女性と知り合って一緒に暮してる事、そういう事は偶然だと思うのです。偶然でおかしかったら、めぐりあわせでも良い。しかし、僕が僕のなかに自分を発見し、そして更にあなたとであった、という事は決して偶然ではないのです。それは、同じ日本のどこそこに生れた、とか、小学校の同じクラスの隣同士だった、なんてのと違う質の<であい>だ。出会いは偶然だが出合いは必然(あるいは論理的・志行的帰納)だと思う。ROを本屋で見かけたのは偶然でも、意識的に読み続けてきたのは偶然ではないという事です。
僕は夫婦善哉のような、男と女の生活のほほえましさ(生活とは本来的にほほえましいのだ)は嫌い じゃないが、司会者がやたらと縁(えにし)という事を言って、単なる偶然にしかすぎない出会いを、あたかも絶対的な第三者が決定した必然のように(これは西洋社会の場合は神のおみちびき、という所だが日本の場合は運命という名の自然でありましょう)言う事が嫌いで仕方がない。そういう言い方は客観的事実を絶対化して自分の無限にある生きた可能性の途を自ら閉し殺している。問題なのは単にであったに過ぎない、両者がどのように出合いを完成していくか、なのだから。

トンネルだと思う。ロックも、恋愛も、文学も、運動部も、自問自答も、宗教も、金もうけも、病気も、みんな何もかもトンネルだと思う。サマーキャンプだと思う。いろんな形をしたトンネルがあるだろうし、いろんな暗さ、デコボコがあるだろう。でも、そんな事にかかずらわりすぎて、一体、何んの為のトンネルなのか忘れてしまってはミもフタもない。君は君という名のトンネルに過ぎない。トンネルを抜ければ、もう君は君という暗黒を必要としない。時はかって川のように流れていた。しかし、今、時は海のように流れている。時間とは、距離である。何の距離かというと<私>と<あなた>との、たましいの距離である。
主張もなく、呼応もないおだやかな距離。僕はテレビを観ているのだろうか。それとも老獪なるプレイボーイにだまされている乙女のごとく、夢想を与えられたのだろうか。
現実は、しかし確かに現実は主張であるに過ぎない。しかし革命が、僕とあなたの関係の問題であるならば、決して僕の夢想は、夢想のための夢想ではないはずだ。革命の成就とは、選挙で票を伸ばす事では決してなく、警察を奪うことでもない。それは、革命を必要としなくなる、という僕達相互の客観的な関係性を創り出す事だろう。
レコード評にも書いたけど、最近はロックを夢中になって聴いていないし、僕の心情からROの初期からの読者の心情を類推するに、多分、もうROは必要としないのでしょう。その分それ以上に新しいROの読者も増えて、ま、今日は卒(←旧字のソツ)業式という風情ですな。ROもひとつのトンネルに過ぎなかったのだから。お元気で、活躍を期待してますよ。僕は当分はROの用務員のおじさん、という感じで働く事になるでしょう。
とにかく、僕は、今までも今もこれからもずうっと、ROを通してあなたの読者であります。ボンボヤージ。