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社長日記

1972年12月11日

1972年12月11日〈月〉

◇「俺しか分からぬ男の気持ち/ドスできざんだおまえの名/うつろな胸のかたすみで/おもいを今も抱きながら/ゆうひのはてに燃え上がる/明日と呼べる日が/いつかくる」渡哲也 無頼人斬り五郎

◇土曜日に新宿で飲んでいたら高野がいた。青学の高野だ。何をしてるの? と尋ねたら「俺はシラケている」と答えた。

◇例えば情報化時代というけど、私たちは巨大な無意味な事が溢れている事は知っていても、本当の言葉というのは聴いてはいない。私たちは今、沈黙の宙に浮いているのであり、他人の言葉は私の肉体を透り抜けるしかない風だ。だけど、ほんの数人の裡から発せられる、かすかなうめきに似た言葉が私を突き動かす。ほんの数人だ。それもとぎれとぎれだ。彼らの言葉が私を突き動かす限り、私は彼らを信じる以外にない。

◇何を信じるというのだ。

◇人は弱いものだと、という時、それじゅあ何に対して弱いんだ、という問い方を僕はしたと思う。それは、人の強さに対してだ。

◇質問とは答えと対になって存在する。
冗談じゃねぇ。

1972年12月09日

1972-12-09 00:00:00

詩とは自分を語るのであり、
小説とは他人を語るのであり、
批評とは世界を語るのである。

他人を〈関係〉と、世界を〈時間〉としても同じだ。

要するに僕は、小林秀雄は詩だと思っているし、平野謙は小説だと思っている。