追悼 市川昌浩くん

市川昌浩くんのご冥福をお祈りします。

関係者の皆様は、こちらで、市川くんとの思い出を語ってください。
まとまりましたら、冊子にして、ご家族に渡すつもりです。
市川くんが、素晴らしい人たちに囲まれて、幸せな人生を過ごしたことを、お伝えしたいと思います。
[→橘川の追悼文はこちらです]
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No.127 塩沢雅代
イチカワ君のことを誰かに話す時、必ず「基本的には親切なんだけど」と言っていました。そして「でも、すごくイヂワルだ」と。こちらがイヂワルに憤慨すると、ちょっと笑うのがまた腹立たしかったりもしたのですが、そんなやりとりが楽しかった。
ありがとう。
No.126 村岡清子
ワールドカップの最中で、あまりに突然でした。
ワールドカップも佳境に入り、市川君とは毎晩メールで楽しく盛り上がっていたところでした。
スカパーではオシムさんが解説をしていたので、オシムさんの哲学的な言葉について等々、話題のつきない毎日でした。
お互い、リーガ・エスパニョールも見ていたし、サッカーの見過ぎでもありましたね。

私と市川君が初めて出会ったのは、30年近くも昔の事。
以来、仲間として、友人として時間を共有してきました。

私にとって、市川君は同じ問題意識で議論のできる、得難い友人でした。
市川君は博学で、しかもマニアックで律儀。でも、私が何よりも尊敬していたのは、社会や人、物事の本質を見抜くセンスと鋭い視角です。
市川君は、どんな事象にも表層に惑わされず、本質的な部分でそこに何を見るべきなのかを見抜く鋭さと柔軟性をあわせ持っていました。
何が大事で、何が大事じゃないのか。そうした、ものの本質を決して見失わない姿勢を深く信頼していました。

そして、私たちにとって重要だったロックや映画etc…。80年代、90年代、2000年代と、思い出は音楽や映画と共にあります。
市川君は何よりも笑える事が大好きで、昔からひねりの効いた楽しい文章でもいつも楽しませてくれていました。
今頃は、横道君と音楽やらあれやこれやで話題はつきず、大いに盛り上がっているのでしょうね。

喪失感の大きさは、言葉にできません。でも、その大きさは、逆に言えば、どれほど大きな充実感をもらっていたか、という事だとも感じています。
充実した時間を共有できて楽しかったです。
本当にありがとう。そして、これからも。。
No.125 関田厚司
市川さんと初めて会ったのは確か共通の友人を通して誰でもできるような
アルバイトでお手伝いした時でした。
その後もしばらくはいつも友人と一緒のことがほとんどで、二人きりで会うときは、
大抵こちらからのお願い事で、何かしらアドバイスしてもらう時でした。
たわいない質問にもこっちが恐縮するくらい丁寧に答えてくれて、
あんまりにも面倒見がよいので、徹夜して手伝ったアルバイトくらいで
いつまでもそんなに感謝されてるわけではないだろう、仮にそうだとしても
きっとすごく律儀なひとなんだろうなと思っていました。

自宅に呼んでいただいた時にはあきれるほど猫を可愛がっていて、
互いにじゃれあっている様がなんともおかしく、
あの毒舌、風貌とのギャップに大いに笑わせてもらいました。
猫のほうもなつき方が尋常ではなくて、市川さんがトイレに行って姿が見えなく
なるだけで、不安げに鳴いて探し回っているくらいでした。
なんだか彼の情の深さが感じられたような気がしました。
あの猫どうしているんだろう。

こうして今、ネットの追悼文などから僕の知らなかった市川さんの姿をみて、
やはり誰に対しても律儀であったことを知りました。
それは非常にエネルギーのいることだし、とても難しいことです。
そうしたかったのかそうせざるを得なかったのか、どちらにしても
凛とした決意のようなものすら感じます。
でも普段はそういったものは全く感じさせず深刻ぶらず飄々と
こなしていったのが市川さんでした。

「俺の好きなものほどなくなっちゃうんだよな」って言ってましたね。
ジョルトコーラはもうないけどドクターペッパーはまだ売ってるんですね。
あんなもんばっかり飲んでるからこんな追悼文を書くはめになるんじゃないですか、
と言ったとしたらたぶんまたあの、ちょっと意地悪でちょっといたずらっぽい
ちょっとはにかんだ笑顔を返してくれたんでしょう。
亡くなられて思い返す時に笑顔ばかり思い出させるというのはとても素敵なこと
です。
僕もそうありたい、と思います。
No.110 山下陽子 友人
一見イヂワルな風情を装いつつ、それは彼独特の照れ隠しで、実は面倒見がよく懐の広い人だということはすぐにバレバレ。

コンピュータに疎い私は、市川さんのお仕事面での偉業には認識が薄く、実にもったいないことでした。ですが、文学音楽映画からまことにどうでもよい雑知識まで、あらゆる面にわたる市川さんの博覧強記ぶりに感嘆し、(当時同じ事務所だった)Sさんと日夜繰り広げる漫才に笑わせてもらっておりました。

よくお菓子をお裾分けしていただきましたね。
そちらでもお気に入りのお菓子や音楽に囲まれてご機嫌だといいな。
ゆっくり休んでください。

ご冥福をお祈りいたします。
No.96 光永貴之 コピーライター、CDもらい屋
ありがとうしか書けない追悼文なんてと思うと、何も書けなかった。
長い時間の中でふくらんできた彼の存在感を説明できない。
心の近いところに彼がいてくれたことに対する感謝を、
どう言い表したらいいかがわからない。でも今はそれでいいことにした。
日常の中にありがとうがいっぱいだったのだ。
これからも日常の中で、ああ彼はもういないのだと気づくたびに、
ありがとうっていう気持ちになるのだと思うから。市川くん、本当にありがとう。

追伸
日本代表監督はザッケローニになった。
ザックって呼ぶらしいけど、ザックって言ったらスターキーだよね(笑)。
No.78 堀口琢司 エディター、CD交換仲間
思い出はいっぱい。。さよなら、市川。やっと言えた。
No.65 青木由美子
お久しぶりです。

少し前、深夜のBSで「新幹線大爆破」、やってくれてました。
ようやくラストまで見ることができましたよ。
今度会うことがあったら、まっさきにコレ言いたかったのに。

あの時、もう、20年以上も前、呼んだ?とばかりに
ジャジャーンとコメントつけてくれたのは、市川君でした。
みなさんおっしゃるとおり、本当にいろんなことを
見、聞き、知っている人でした。
その上、マメだった。
まさか見てるとは思わなかったもの。
映画も掲示板も。

またどこかで会えるものだと思ってました。


ただただ、ご冥福をお祈りします。
No.64 本橋牛乳 ジャーナリスト、ライター
市川さんとは、オンブックでいろいろお世話になったけど、記憶に残っているのは、去年、表参道で飲んだこと。
音楽や文学の話をした。
昔のアーティストがこっそり、自分のサイトだけでCDを売っていたりする、それを探して買ったりするのがぼく。
若い無名のアーティストを発掘して聞いているのが市川さん。
いずれにしても、音楽はレコード会社の外に置くことができるようになったのが現在。ダウンロードもできるけれど、CDというモノにも愛着がある。
これから、出版でも同じことが起こるのだと思う。
ダウンロードもできるけど、本というモノにも愛着がある。
でも、その姿を、市川さんはもう見ることができないというのが、とても悲しい。
ぼくは、この夜のことを、忘れることはないと思う。

元環境大臣の本をつくる、という約束もまだ果たせていないのに。
No.63 井上憲吾
7月25日、剣山へ登った。途中、歩きながら、市川君の少しはにかんだ笑い顔や語り口を思い起こした。30年近くにもなる時間から考えると、彼と会話したのは、ほんの僅かだとしか言えない。でも、目に見えない僕の礎石とも言える多くは、その会話から受け取ったものだ。上空に寒気が流れ込んだせいか、山頂へと近づくにつれ、視界の遠くないところまで霧が立ち込めて、雷音が途切れながら鳴り響いた。すれ違った下山途中の男性から「危ない」と声をかけられて、ふと、不安がよぎったけれど、それでも「きょうは山頂まで行く」と決めた。これは弔いだ。山頂には、草原が広がっていて、着いたとたんに、僕の胸は風を孕んだ。頭上を覆った雲がゆっくり動いて、少し歩くと、前方に青空が覗いた。とても涼しい。それでも、幾分押し戻されそうになる強い風が、体を吹き抜けて止まない。みるみる青空が広がって、ほどなく着いた三角点では陽が射していた。この数分間、改めて市川君の不在を感じた。安らかに。忘れることはありません。
No.62 みずみろさかな 深呼吸歌人
父や母が亡くなった時と同じように、
涙が「何故、何故」と理不尽の神に抗議する。
「ありがとう」の言葉を残り半分抱えてしまった哀しみ。
また、会いたい。温かき人よ──。

深い心の海底に棲む魚。誰にも届かず消えて行く想いの泡。そんな私に、一本の釣り糸を垂らしてくれたのが、編集者の市川さんでした。(奇遇にも、35年前の「ロッキングオン」で、同じ高校生読者だったことを「ネットで再会」した橘川さんから知らされました。)
 バラバラのジグソーパズルでしかない断片的な原稿を持ち込んだにも拘らず、市川さんは「誰かに届く」本を完成させるまでアドバイスし続けてくれました。面目ないのですが、当時、私は市川さんの手を焼かせている一番の著者のように思えました。それなのに、ぞんざいな態度は全く見当たらず、いつの時も真摯にこちらと向き合う市川さんの姿がありました。そして・・・空の見えるところに浮上できたのです。

「カミングアウトしていないのが大きな欠点です。自分のことをもっとさらけ出さないと・・・」
「人生と違って、原稿は何度でも書き直しが効きます。頑張ってみてください」

生まれて初めて自分をさらけ出し、過去と対峙し、心を削り取っては、剥ぎ合わせ・・・そんな作業を見守ってくれる相手が、市川さんで本当に良かったと、ただ、ただ感謝するのみです。

ふだんのご無沙汰をお詫びする前に、突然逝かれてしまうなんて。
まだ、信じたくない現実ですが、市川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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