レイシズム(人種差別)はモダニズムの畸形である。肌の色や体格など生理的な差異にはじまり、異言語、異文化を経て生活様式や文化伝統の違いにいたるまで、外的な差異を必ずしも必要とせず、いかなる同化も許されない絶対的なレイシズムは、近代の遊民の発生と軌を一にする。それを論述でなく、野史として実証するのが「有らざらん」である。 縦糸には、1868年の戊辰戦争のさなか、パークス英公使を襲ったテロリスト、三枝蓊と目撃者のA・B・ミットフォードの系譜を追う。ミットフォードは帰国後、19世紀の三大レイシストの一人、ヒューストン・チェンバレンを後援したが、紹介したのは兄の日本学者ベイジル・チェンバレンだった。第一次大戦でミットフォードの長男が死に、家督を継いだ次男デヴィッドの四女ユニティがレイシストに育っていく。他方、ウィーンのユダヤ系富豪ヴィトゲンシュタイン家に生まれたルートヴィヒは大戦に従軍した。 横糸は、進化論から派生した民族学の系譜。ベイジル・チェンバレンはヴェーダ研究家マックス・ミュラーに師事して沖縄を踏査する。ロンドンに乗り込んだ南方熊楠は、ミュラーもベイジルも浅薄として認めない。ベイジルが隠棲したジュネーヴに赴任した柳田国男は、南方との文通を契機に独自の南島論へ傾斜した。 「有らざらん 弐」は、第一次大戦後に舞台を移す。革命か復古か、そのはざまで呻吟する遊民たちは性愛に躓く。縦糸はミットフォード、ヴィトゲンシュタイン家の変奏であるハンガリーのアルマーシ家、ハンブルクのヴァールブルク家である。 後の砂漠探検家ラースロー・アルマーシは王政復古派クーデターに敗れ、図像学の祖アビ・ヴァールブルクは発狂して精神病院に幽閉される。ヒトラーやエルンスト・ユンガー、オズワルド・モズレーら「塹壕世代」は、小学校教師になった復員兵ヴィトゲンシュタイン、亡命地スイスから帰って女ボルシェヴィキと恋に落ちたベンヤミン、神学から哲学に転じユダヤ人女学生ハンナ・アーレントと不倫を重ねたハイデッガーと紙一重だった。 横糸は、三枝とともに天誅組の義挙に参加した石田英吉の孫、英一郎が、左傾して京都学連事件で逮捕され、上海で国民党のクーデターに遭遇する。その苛烈な青春は祖父が鷲家口で壊滅した天誅組の軌跡に重なる。下獄した彼は非転向を貫くが、彼が求めた救いはロシア語を学んだ亡命者ニコライ・ネフスキーと柳田や折口信夫が拓いた民俗学だった。 アメリカでも文化人類学が黎明期を迎えていた。コロンビア大学の早熟の“小悪魔”マーガレット・ミードが単身、南島サモアで行った野外調査は、優生学の横行に風穴をあけようとしたユダヤ系亡命ドイツ人教授の狙いに沿ったものだが、ミードに求愛する言語学者エドワード・サピア、ミードと眷恋の仲にあるルース・ベネディクトの三角関係の所産だった。その南島観は、明らかに柳田のベクトルとは逆の優越史観に汚染されている。 ■目次 前巻の梗概 6 アルマーシの城 7 火の廃物たち 8 狂った時計職人 9 ジュネーヴの柳田國男 10 カプリの葡萄山 11 鷲家口と蛍 12 サモアの靴べら ■著者プロフィール 経済総合誌「FACTA」編集兼発行人。 1948年、東京生まれ。東京大学文学部社会学科卒。73年に日本経済新聞社に入社、東京社会部、整理部、金融部、証券部を経て90年から論説委員兼編集委員、95〜98年に欧州総局ロンドン駐在編集委員。日経BP社に出向、「日経ベンチャー」編集長を経て退社し、ケンブリッジ大学客員研究員。 99〜2003年に月刊誌「選択」編集長、05年11月にファクタ出版株式会社を設立した。著書に『イラク建国』(中公新書)、訳書にP・K・ディック『あなたを合成します』、同『ブラッドマネー博士』。 |